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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

俺のブロガー精神論

執着

 
 Geekなぺーじ:ブログ論
 最近のブロガーってどこで運営ノウハウ習得しているんだろう? - 情報の海の漂流者
 
 ブログの運営については何も知らない。
 だが、“長文ブロガー道”や“ブロガー精神論”についてなら語れる。
 
 『シロクマの屑籠』も今年で7年目を迎え、ブログはすっかり自分の生活の一部となった。書きたい時に書きたいことを書き、誰かに声を届けたくなったら躊躇せずトラックバック記事を書く――そういう素人ブロガーらしいブログライフを楽しめていると思う。
 
 この7年間、欲望の赴くままに書いてきたから、俺はブログの運営なるものを知らない。マネジメントを欠いているからこそ、デフォルトのままのデザインで、記事の方向性も散らかっている。じゃあそれで損をしたかと言われたら、あまり損をしていないような気がする。自分が書きたいことだけに意識のリソースを集中させることが出来たという意味では、“下手の考え休むに似たり”に陥らなくて良かったのかもしれない。
 
 それと、アフィリエイト。キャラクターやコンテンツの外観を紹介したい場合以外は、なるべく広告を貼り付けてこなかった。貼り付けるのが億劫だったのと、上手な貼り付け方がわからなかったからだ。けれども今になってみれば、貼り付け方がわからなくて良かったように思う。ブログに広告を入れるたび、読者の集中力は落ちる。2ch系まとめブログなどをみると、その集中力の低下具合がよくわかる。ああやって、読者の集中力を換金する行為は、金儲けのためのブログとしては正しいかもしれないが、読者に文章を提示するブログ・他のブログとの議論を愉しむブログのスタイルとしては本来の姿ではないと思う。ちなみに俺のブログの第一の読者は俺自身なので、俺が自分のブログを読みにくいと感じるなら、アフィリエイト的に効率が良くてもそのブログデザインはクソである。俺は自分が読みやすいブログを使いたい。
 
 ……そうか、俺の場合、「ブログ運営」とは「自分が読みやすいブログ・自分が書きたいブログをやること」だったわけか。マネジメントというほどご大層なものではないけれど、ポリシーは確かにあったと思う。
 
 それよりブログ精神論のほうだ。
 
 シロクマ先生が語るブログ論 - Togetterまとめ
  
 ・「昔なら「ブロガーとお知り合いたければブログを書けばいいじゃない」という強烈な発射台があったものの、今ではソーシャルで尊敬すべきブロガーさんらと即繋がれるのだから」
 ・周りは既にベテランばかり。入門した後の中間部分が妙に空地になってますね。
 
 これらの文章を眺めているうちに、「ふざけんな、てめえらそれでもブロガーの端くれか!」という気分になってきたので、以下に思うところを書き残してみる。
 
 

ブロガーが他のブロガーと知り合う手段にSNSを使う……だと?!

 
 ブロガーを自認する人間が、ブログではなくSNSを駆使して他のブロガーと“繋がる”という文字列を見た時、俺は唖然とした。なんという堕落、なんという体たらく、それが……それが……ブロガーのやることか!いみじくもブロガーを自認する者なら、ブログ記事をもって、他のブロガーと繋がるのが第一ではないのか。長文に対して長文でもって応じたり、異なる視点のトラックバックを送信したり、そうこうしているうちに「おっいつもの○○さんか、今日は何を書いているのかな」と相互認知が進んでいってブロガーとブロガーが繋がる……それがブロガーの人の縁ではなかったか。
 
 SNSが普及した今、“繋がる”だけなら――あるいは“繋がったと錯覚する”だけなら――有名人であれ、アルファなブロガーであれ、即座に繋がれるかもしれない。しかしSNSによってインスタントに繋がるのと、ブログのトラックバックや“おとなりさん的認証過程”を経て繋がるのでは、コミュニケーションとしての質感というか、文脈というかがが全く違うと俺は思っている。もちろんSNSのインスタントな接続性は悪いものではないし、知り合った後のブロガー同士のコミュニケーション手段としても優れている。けれども、ブログを介して一定のまとまりをもった思念をぶつけ合わなければ見えて来ない世界、浮かんでこない文脈というのは確実に存在する。そのブロガーだけしか知りえない境地を希求するからこその、ブログライフ、ブロガー根性ではなかったのか*1
 
 何が悲しくて、ブログを愛好する者が、他のブロガーと繋がるためにSNSを使わなければならないんだ!そんな事する前に、相手のブログにトラックバック打てよ!もし片思いのブロガーがいたなら、二ヶ月に一回・一年ほどトラックバックし続けてみればいい。否でも相手は覚えてくれるし、相手にとって有意味なコミュニケーションの体裁と礼法をとり、記事内容も奮ったものであれば、親密度を高められるかもしれない。ブロガーとは、そういうタイムスパンで人と繋がることを厭わぬ生き物ではなかったか。インスタントな繋がりは、インスタントな結果しか生まない。ブロガーなら、ブログを使って「お、こいつまた何かゴソゴソやってるな」と相手に認知させてからダメ押し的にSNSを使うべきだろう。そのほうが仲良くもなれるだろうし。
 
 

「周りは既にベテランばかり」→それがどうした!

 
 それと「周りは既にベテランばかり」論。
 
 「周りは既にベテランばかり」というフレーズは、古参のネットユーザーなら聞き飽きていると思う。曰く、「テキストサイトは既にベテランばかり」「ニュースサイトは既にベテランばかり」「ブログは既にベテランばかり」 etc...。
 
 俺がウェブサイトを始めた2001年頃は、『侍魂』や『ちゆ12歳』といった大手テキストサイトにトラフィックが集中していて、今から個人ウェブサイトを――それも論説テキスト中心のウェブサイトを――立ち上げるにも「周りは既にベテランばかり」だった。けれども長く続けていれば良いことはあるもので、2005年ぐらいには、トラフィックこそ少ないながら、ウェブサイトを通じて知り合いもそれなりに出来、ブログを書いてみようというお誘いを頂いたりもした。もし、あのときブログを書くように誘われていなかったら、俺の趣味生活はこうはなっていなかった。
 
 で、2006年にブログを始めてみると、既にアルファブロガーと呼ばれる巨大ブログがあちこちに存在していて、これまた「周りは既にベテランばかり」だった。けれどもあっちこっちにトラックバックを飛ばしているうちに、ブログは成長を続け、いつしか色々なブロガーの人と知り合いになった。ブログを通して色んな人と出会って、有意義な意見交換ができたと思う。
 
 だから俺は「周りは既にベテランばかり」か否かはたいした問題じゃない、と主観的に思う。だいたい、まだベテランのいないブルーオーシャンなんて、そうそう簡単に見つけられないからこそのブルーオーシャンなわけで、人に先んじてそれを発見する嗅覚が無い人は、多かれ少なかれ「周りは既にベテランばかり」のなかで戦っていくしかない。
 
 いや、ブログの場合だったら逆に考えたっていいのだ。「周りは既にベテランばかり」ということは、噛み付く相手・トラックバックを打つ相手に事欠かないということでもある。
 
 もちろん、メディアには寿命があるので、メディアとしてのブログが命数を使い果たしつつあるなら、ブログを始めるべきではない。そういえば、twitterやFacebookが流行しはじめた頃に「ブログはオワコン」的な言説をたくさん見かけたし、実際、そういう言説を真に受けたブロガーや、twitterでの毛繕いの心地よさに魅了されたブロガーは、ブログの更新をやめてSNSの住人になっていった。
 
 ところがブログは死ななかった。少なくともブログに相当する機能をSNSが総ざらいするような状況にはならなかった。そりゃそうだ、SNSは所詮、瞬間的なコミュニケーションツールでしかなく、ブログのようなストック蓄積は無いに等しい。ソーシャルブックマークや各種ニュースサイトとの相性もよろしくない。一定以上の文字数を駆使したディスカッションや問題提起に関しては、今でもブログが一番便利だ。ウェブサイトやメルマガに頼るという方法もあるが、1.手軽に投稿できて、2.無名の人でもスタートしやすく、3.なおかつある程度のストック&フロー性 といったブログのアドバンテージは捨てがたい。いつか、ブログの上位互換に相当するメディアが登場して更新されるまでは、たぶんブログは死なない。
 
 しかも、現在のブログ界隈は相対的に競争相手が少ない。twitterやFacebookが流行してくれたお陰で、少なからぬブロガーが、それまで丹精込めて育ててきた自分のブログを潰してSNSに旅立ってくれた。「中間部分が空き地になっている」とはこのことだ。2ch系まとめサイトがシュリンクしているのもプラス材料かもしれない。過剰供給気味だった書き手の供給が、相対的に緩和されている。だから目立ちたがりの人が新興ブログをはじめるには、いい時期だと思う。
 
 実際、今、急成長を遂げているブログもある。私の間近なところでは、id:Rootportさんの『デマこいてんじゃねぇ!』がそれにあたる。軽い筆致のブログながら、試行錯誤を繰り返しながら着実にPVを稼ぎ、Rootportさんなりの道を進んでおられるようにみえる*2
 
 ブログは2008年あたりから2012年まで、SNSの台頭の影に隠れて「たいしたものではない・くだらないものでしかない・時代おくれの遺物」とみなされ続けてきた。その間、長文をアーカイブ化できるというメリットは長いこと忘れられていた。だからチャンスは幾らでもある――頭がSNSボケしてない限りは。
 
 

「長文を書ける歓びを噛みしめるがよい」

 
 しかし一番大切なのは、己がブログというメディアを愛しているのか・そしてブログというメディアに見合った文字数の文章をアウトプットすることに快感を覚えているかどうか、だ。万国のブロガーは、140字には収まらぬ長文を書ける歓びを噛みしめるべきだ。その歓びを噛みしめながら、自分自身にとっての武器防具なり、見知らぬ誰かに届ける郵便物なりを鍛造すればいい。あるいは、鬱積した情念を(適切な社会化形式へと昇華しつつ)吐き出してしまえばいい。それがブロガーの生活、ブロガーの楽しみというものでしょう――少なくとも金儲けでやっているわけではない素人ブロガーならそうではないか。
 
 もちろん、こういう事を書くと「長文を書く歓びなんてないよー」「長文なんて書きたくないよー」「140字以内で十分だよー」と応える人がいるだろう。案ずることはない、そういう人はブロガーじゃないんですよ。より正確には「ブロガーとして長く続かないタイプのブロガー」だと思うので、SNSの森に帰ってキャッキャウフフしていればいい。書きたくもない文字列をタイプするのは苦行である。そんな苦行が長続きするわけがないし、誰かを魅了する文章ができあがるとも思えない。だから、長文を書きたくもない人がブログを書くのは大変よろしくない。向いていない人は、やめたほうがいい。
 
 けれども、長文を交換することになにかしらの値打ちを感じている人・長文を書けること自体が喜ばしい人なら、SNSよりはブログで書いたほうが自分自身に残るものは多いと思う*3。ブログを書くという行為は驚くほど書き手自身の変化を促すし、誰かにトラックバックを送るための文章を書いた記憶・誰かからトラックバックをもらった記憶は、鮮明に残る。だから、長文を書く歓びを知っている人は、どしどし書けばいいと思う。まあいい、他人がどうするかはさておき、俺はそうやってブログを書いているし、これからも書く。

*1:もちろんこれは、儲けるためのブログの話ではなく、コミュニケーションの手段としてのブログの話であり、“誰かと一緒に考え、その過程を通してお互いの人となりを知っていくためのブログ”の話である。プロの人やプロ志望者にはここの話は該当しない。

*2:Rootportさんのブログ運営の目的と実装は、私のそれとは大きく異なっている。私だったらああいうブログは書かないが、ああいうブログを書くことで何かをやっている・何かを思案しているという手応えはしっかりと伝わってくる。そういう手ごたえも、人のブログを継続的に読み続ける際の楽しみのひとつ。

*3:あるいは物語を書くのが好きな人なら、「小説家になろう」あたりでも良いかもしれない