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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

【コミュニケーション能力=他人の行動確率を変化させて自分にとって適応的な状況をもたらす能力】

コミュニケーション

 
「コミュニケーション能力」と十把一絡げに捉えることの弊害 - 脱社畜ブログ
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/07/134423
 
 新年早々、「そもそもコミュニケーション能力ってなによ」とは威勢のいいタイトルですね。こういう問いかけは、2006〜2007年ぐらいにブログ界隈で散々見かけたものです。懐かしいと思いました。
 
 「コミュニケーション能力」って言葉をいい加減に使っている企業とか人物とかって、本当に多いですよね。「私はコミュニケーション能力の高い人間を欲している」と言っている人がいたとして、事業主のAさんは不特定多数との無難な業務応対を求めているかもしれないし、婚活中のBさんは継続的で親密な人間関係を構築する方面を期待しているかもしれない。Cさんに到っては、挨拶が出来て、上下関係を尊重して、命令に「はい」答えるような性質をコミュニケーション能力という言葉に仮託しているかもしれません。
 
 だから、「コミュニケーション能力」という言葉に当惑する人がいるのも当然ですし、もっと各論的に定義・言及したほうがいいという人も繰り返し現れる。そのあたりはよくわかる話ではあるんです。
  
 なら、コミュニケーション能力を、相手・場面・用途ごとにバラバラに分類して各論的に論じるしかないのか?論じるべきなのか?
 
 私なら、半分イエス、半分ノーと答えます。各論的にやったほうがわかりがいいこともありますし、具体的に説明しやすくなることも多いでしょうから。それと、全体の一部分を抽出して○○能力と名付けると、数量化・スコア化もしやすいので、現代人が三度の飯より大好きな“客観的なデータ”とやらも得られるかもしれません。
 
 でも、実際にはコミュニケーション能力を各論的にバラして考えるのは、それはそれで大変です。昔、『コミュニケーション能力をちょっと解剖してみる』という記事を書いて、コミュニケーション能力を学習難易度別に各論化してみたことがあるんですが、この程度の分類ではまったく不十分です。それと、各論で分類する時って、「学習難易度別」「用途別」「業種別」「時代の流行り廃り」といった具合に、色んなアングルで分類しなければならないと思います。そうやって、様々なアングルを意識しながら具象性の高い各論を書き連ねていくと、もう、ボキャブラリーとしておさまりが悪くなりすぎて、使い物になりません。
 
 「だったらコミュニケーション能力って言葉を消滅させようよ」と言う人もいるかもしれないけれども、どうやらたくさんの人がコミュニケーション能力という言葉を使いたがっているし、そもそも、コミュニケーションというこれまた漠然とした言葉が世間に流通していたりします。だから、どうあれコミュニケーション能力という言葉は消滅しないでしょう。だから私は、「コミュニケーション能力を各論に分解して足れりとするだけでは駄目で、総論としてコミュニケーション能力という言葉をどう定義するのか、みたいな考え方も一応必要」と思います。どうせ世の中でこの言葉が使われ続けるなら、せめて自分だけでも、定義づけをしっかりさせて使っておきたいと。
 
 

「コミュニケーション能力」の総論的な意味

 
 で、「コミュニケーション能力」の総論的な意味って何なのよ?という話にうつりますが、私の答えはタイトルのとおりです。「コミュニケーション能力=他人の行動の確率を変化させて自分または双方に適応的状況をもたらす能力」です。
 
 この定義づけにはネタ元があります。進化生物学者のジャレド・ダイアモンド博士が、どこかの本のなかで“コミュニケーションの定義”を書いていたんですよ。
 

“行動学で言うコミュニケーションとは、他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである”
 ジャレド・ダイアモンド著 長谷川寿一訳『セックスはなぜ楽しいか』草思社,1999,p.205-206より抜粋

 約十年ほど前、「これだ!」と膝ポンしたものです。
 
 自分以外の人間*1に働きかけることで、自分自身、または自分自身以外も含めた人間にとって適応的な状況をつくるプロセスをコミュニケーションと呼ぶとしたら、コミュニケーション能力とは、そういう適応的な状況をつくるプロセスの実行機能という意味になります。総論としては、これで十分ではないでしょうか。
 
 適応的な状況をつくるプロセスの実行機能を「コミュニケーション能力」と呼ぶ以上、ほんらい、ここには色んな各論的能力が含まれる筈です。コンビニの仕事で言うなら、レジの接客業務だけでなく、どの棚にどの商品を配置するのか・店のデコレーションをどうするのか・といったことも「自分以外の人間に働きかけることで、適応的な状況をつくるプロセス」に含まれますから、立派なコミュニケーション能力です。店長がお客さんに働きかけ、店長自身や店にとって適応的な状況をつくっているわけですから。
 
 ネットリテラシーもそうですよね。コミュニケーションっていうと、ついつい face to face な会話を想像しがちですが、いまはネットがコミュニケーションのかなりの割合を占めています。ということは、ネットリテラシーだって「ネット上で適応的な状況をつくるプロセスの実行機能」の一部なのでコミュニケーション能力と呼べるでしょう。ブログやウェブサイトを運営している人間の場合、レイアウトやハイパーリンクの貼り方などもコミュニケーション能力。無意味なリンクをベタベタ貼り付けている人・へたくそなレイアウトにしている人は、その方面ではコミュニケーション能力が低い、と言わざるを得ません。
 
 あと重要なのは、コミュニケーション能力の定義を「他人に働きかけることで適応的な状況をつくるプロセスの実行機能」とする以上、自分にとって不適応な状況を招くようなモテかたをする人とか、人気者になるのと引き替えにメンタルヘルスをすり減らすような人のコミュニケーション能力は、高くないと評価すべきだと思います。そういう人のコミュニケーションって、ある部分では適応促進的な結果を生み出しているけれども、燃費が悪いというか、副作用が大きすぎるというか、別の部分では不適応の原因を作り出しているわけで、コミュニケーション能力としては上等とは言えません。
 
 他人に働きかけることで自分にとって望ましい状況をつくりだす実行機能すべてを「コミュニケーション能力」と呼ぶなら、なるほど、高い実行機能を持った人間を会社が欲しがるのはわかるような気がします。サービス業が産業の主流になって、製造業や農業でも顧客のハートを掴めるような“商品”が求められる時代ですからね*2。それどころか、プライベートの領域でも、いまやコミュニケーションの巧拙が死命を制するような状況です。今、個々人のコミュニケーション能力が、不断に、問われているのです*3
 
 「コミュニケーション能力」をバラバラに分解して各論やるのもいいですが、たまには総論的な意味について真面目に考えてみるのもいいんじゃないかと思って、この文章をまとめてみました。


 
 [関連]:コミュニケーションがボトルネックとなった社会 - シロクマの屑籠
 [関連]:新卒採用で“コミュニケーション能力”がメルクマールとなる背景 - シロクマの屑籠
 
 ※ダイアモンド博士の本といえば、これ↓が有名ですが、他にも面白い本がいっぱいです。オススメ。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

*1:厳密には、人間だけでなく動物も含みますが…。

*2:実際にはコミュニケーション能力が高すぎる人間ばかりが集めてしまうと、組織としてはそれはそれで困りそうですけどね。手に負えませんから

*3:「コミュニケーション能力が、不断に問われるような社会状況の是非」については、また別の機会にゆっくりと。