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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

杏子の葬式――劇場版『魔法少女まどか☆マギカ 後編』を観て気づいたこと

 
 劇場版『魔法少女まどか☆マギカ 後編』を見てきたら、キャラ萌え的な刺激が強くてたまらなかった。杏子ファンにはたまらない弔い合戦というか。
 

魔法少女まどか☆マギカ ねんどろいど 佐倉杏子 (ノンスケール ABS&PVC製塗装済み可動フィギュア)

魔法少女まどか☆マギカ ねんどろいど 佐倉杏子 (ノンスケール ABS&PVC製塗装済み可動フィギュア)

 
 
 俺は、アニメやゲームをやるときには「昆虫のように分析し、豚のように萌えろ」と思っている。両立できない時は、まず第一に豚のように萌えて、メタで昆虫的な分析は後回し、とも思う。娯楽に際しての感動やパトスの閃きは、メタな理解よりもずっと重要だし、メタな理解なんてものはスープが冷めてからでも遅くはないのである。対して、ブヒーも含めた感動やパトスの閃きというのは、第一にその場のライブな感覚であり、スープが冷めてしまってからでは遅い。もちろん、昨今のオタク界隈の作法として、キャラクターやネタをもとに、後で二次創作的に感情を温め直すことは可能ではある。しかし二次創作的なブヒリズムというやつは、自分の欲求によって煮込まれ加工された手垢のついた何かだ。
 
 そういう萌えやブヒーな水準で言えば、魔法少女のねんどろいどを揃えてしまう俺のような人種にとって、『まどか☆マギカ後編』は灼けるように萌える仕様だった。しかも今回は、映画館という大音量・大画面な環境下で好きなキャラクターを鑑賞できるのである。杏子〜!
 
 劇場版でも結局、杏子は助からない。しかし、彼女はTV版以上に儚い聖女として描かれ、気合いの入った、美しい、力強さを伴って散っていった(杏子の死の背景には精神疾患があるなどというふざけた解釈の余地は一層なくなった)。もちろん、さやかとの出会いが転機となって自分自身が似た心境を抱えていたとまどかに語って聞かせるシーンなどは、省かれることなく描かれている。それと、まどかとほむらの“絡み”がスクリーンにでかでかと描かれるさまも堪らないものがあった。キャラ萌えという次元で考えるなら前編後編大勝利としか言いようが無い。このあたり、あちこちに施されたアレンジメントと劇場ならではの迫力が効きまくっていていた。
 
 個人的には、杏子が死んだ後の墓地シーンの追加がとても良かった。赤い夕陽を背景にキュウべぇとほむらが問答を行う風景――その問答の陰惨さと無数の墓石は、さやかや杏子の死がおそらくありふれた死に過ぎないことを連想させる。その一方で、さやかの物語・杏子の物語がこれほどまでに胸を打ったという事実もあるわけで、そこらへんがせめぎ合い、けれども赤い夕陽と花輪のついた大きな十字架の演出にお膳立てしてもらった結果として、「ああ、杏子もさやかもかけがえのない魔法少女達だったのだなぁ」という余韻が残るのである。さやかも杏子も、どうしようもなく死んだ!しかしかけがえのない魔法少女達だったのだ!直後のシーン、ほむらがブツブツ呟きながらモノクロな森の中に入っていくシーンも、そうした感傷をブーストしてくれる。このような厳かな杏子の葬式が執り行われたことに、俺はとても心動かされた。
 
 こういう感情のブースト回路にかけては、この、劇場版『まどか☆マギカ』はTV版よりも密度が高いと感じた。大画面大音量というアドバンテージにくわえて、上述のような演出上のブーストがいくつも追加されていて、「おらー!萌えろー!萌えろー!おまえら、こういう演出で感動するんだよなぁ、我慢しなくてもいいですよー」という制作スタッフの声が聞こえてくるようである。TV版にはTV版なりのアドバンテージがあるわけだが、単位時間あたりにキャラ萌え感情をブーストさせる馬力というか勃起力というかは、やはり劇場版のほうが上だろう。見ようによってはあざとい“ファンサービス”だが、この作品は、TV版においても“ファンサービス”に抜かりが無かったことを思えば、「萌える阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら萌えなきゃ損損」といわざるを得ない。少なくとも、杏子やマミさんが大好きで、まどか×ほむら などというしようがない妄想をたくましくしてしまうような連中にとって、これはチャンスなのである――スクリーンいっぱいに展開される魔法少女達の活躍にエモーションを刺激されまくって、性欲なのか崇拝欲なのか共感なのかわからないパトスの濁流を垂れ流す(涙と鼻水を垂れ流すのも可)、またとない機会なのである。いやしくも、まどか☆マギカの魔法少女のいずれかを贔屓しているような好事家の人達においては、ガタガタ言わずに劇場に足を運び、カタルシスに身を任せるべきだろう。オラーおまえら餌の時間だー!!
 
 もちろんこれは、登場する五人の魔法少女のいずれかに贔屓感情を持つ者・ブヒーな感情や萌えなエモーションを惹起された者への推薦であって、もう少し落ち着いた鑑賞を旨としている人にとっては、劇場版を見に行く必然性は薄い、とは思う。世の中には、キャラクターへの贔屓感情や萌えやブヒリズムとは無関係に『まどか☆マギカ』を鑑賞し、楽しんでいる客層も確かに存在するわけで、そうした冷静な(あるいはメタなレイヤーを主たる欲求充足にあてている)鑑賞者においては、劇場版の値打ちは、スタッフロール後の次回予告だけかもしれないし、そういう情報だけなら、ネット上のネタバレでカバーしても十分かもしれない。しかしキャラ萌えやブヒリズムという観点から見ると、これはとても素晴らしい何かだった。
 
 そういえば、次回予告に登場した杏子の服装と台詞はどうだ……。杏子が一番の贔屓なファンにとって、どう考えてもご褒美と言わざるを得ない。他のキャラが贔屓な人にとってどうかは知らないが、杏子ファン、あるいは崇拝者にはやはりお勧めだと思う。
 
 

劇場の様子というか観察記録というか

 
 なお、「劇場版『まどか☆マギカ』を小学生が見て云々」といったお話をネットで見かけたりもしたので、いつも以上に念入りにシアターの客層とその動向について観察してきたので、報告しておく。
 
・観察したのは前編の時と同じ映画館。前回の男女比は6:4ぐらいだったが、今回は8:2に近いところまで男性の比率が増えている。間違いなく女性の割合が減った。もちろん満員。
・年齢的には十代〜二十代がやはり圧倒的に多い。三十代より上は少数。若い世代はグループ率が高い。
・カップルの姿はそれなりに見かける。女性だけのペアやグループも一応見かける。なかには明らかに小学生と中学生な姉妹もいる。この姉妹が後編を観に来ているということは、前編を観たか、テレビ版を観ていたのだろう。
・その小中学生な姉妹は、見終わった後満足だったようで、続きが楽しみだとウキウキと話していた。周りの席の反応に耳を澄ませても、「シナリオは既知だったが満足」という感想を多く聞いた。「シナリオが既知だったので不満足」と「シナリオが既知でも満足」とを分かつ分水嶺について思いを馳せるとともに、娯楽として上手くいっていたんだろうな、などと思った。
 
 [関連]:劇場版前編で気づいたことについてはこちら→劇場版『魔法少女まどか☆マギカ 前編』を観て気づいたこと - シロクマの屑籠