シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

青少年の成熟を促すようなネットコミュニティについて考える

 
 最近、表題のようなことをよく考える。
 
 年配の人達、特にインターネットにあまり詳しくない人達にとって、SNSのたぐいは現代風コミュニケーションというよりも、コミュニケーション不全の象徴とうつる、らしい。
 
 確かに、ネトゲ中毒やソーシャルゲーム中毒のような状態が、青少年の精神的成熟を促すとはちょっと考えにくいし、一部のネットユーザーがtwitter上でみせている悲喜劇を見るにつけても、twitterが人を成熟させる例よりも、twitterが人を堕落させたり、退行させたりする例のほうが多いようにすら見える。とかく、ネットの使い方は難しい。
 
 その一方で、青少年のコミュニケーションに占めるオンラインの割合は確実に増えている筈だし、なにがしかのネットコミュニティ・クラスタに所属している時間も増えている筈である。ということは、現代の若い世代は、思春期の多感な時期に、ネットコミュニケーションやネットコミュニティからより多くの影響を受けるということでもある。それも、ほとんどデフォルトに、である。
 
 ここで考えておかなければならないのは、日常的に過ごす空間やコミュニティというやつは、オンラインであれ、オフラインであれ、その人のコミュニケーションの様式や処世術の様式を、ひいてはモノの見方や人格形成を左右していくきわめて重要な要素、ということだ。
 
 こちらの記事では「ネットが道路や水道と同じような当たり前のインフラになった」と指摘されている。当たり前のインフラになったということは、その与えられるインフラ空間によって、ユーザーの認知・思考の様式が形作られていく度合いや確率も高まる、ということでもある。twitterやFacebookといったSNS、その端末としてのスマートフォンは、単なる情報伝達ツールとして機能しているだけでなく、認知や思考の様式が形成途上の人間のソレを形作っていく一大要素としても機能しているわけで、若い頃からそうしたSNSを駆使してコミュニケーションに慣れていくということは、そのようなコミュニケーション・認知・思考の様式を身につけていくということであり、ひいては、そこでの人間関係が将来の対人関係のテンプレートへと浸透していくだろう、ということでもある。
 
 だから本来、思春期のなかでも若くてヘビーなネットユーザーが、どのようなネットインフラを使って、どのようなネットコミュニティに所属するのかは、その人の将来のコミュニケーションや対人関係のテンプレートに影響を及ぼすと推測すべきで、安易に選んではいけないのかもしれない。あるいは、影響を受けすぎないようなライトな使い方に留めておくべきなのかもしれない*1
 
 話が逸れた。「成熟に親和的なネットコミュニティはあり得るのか?」に戻ろう。
 
 現状のネットユースをみるに、ネットコミュニティ内でのコミュニケーションは、それほど成熟促進的ではないように見える。もちろん、若干の成熟促進性はあるかもしれない――中二病的な吹き上がりに対する年長ユーザーの冷笑は、中二病から高二病への移行を早めはするだろう。しかし、思春期のメンタリティを脱して壮年期に至るとか、コミュニケーションの様式を「コンテンツ媒介型コミュニケーション」から「もっと多層的で、コンテンツの切れ目が縁の切れ目で終わってしまわないコミュニケーション」へと発展できるような、そういった部分での成熟促進性は、現在のインターネット、少なくともオープンなネット空間には存在しない。
 
 うまく言えないのだが、「この人の冠婚葬祭に参列しようと思えるような人間関係」や「キャラやコンテンツの枠組みの外でも付き合っていけるような人間関係」に発展させやすいような、そういうネットコミュニティが(特にオープンな領域には)欠けているんじゃないか、と言いたいわけだ。
 
 はてな村にせよ、twitterやニコニコ生放送にせよ、そこで繰り広げられているのは、キャラやコンテンツを媒介物とした承認欲求の相互充当であったり、カルトな人物との擬似親近感を介した心理的充当が専らである。これらは、当座の心理的欲求を充たすには十分であっても、その心理的欲求の充たし方・充たすためのコミュニケーションの様式を変化させるには適していない。というより、その場その場の心理的欲求を充たすためのコミュニケーションを反復させ、そこばかり効率化していくのがオチである。そのようなコミュニケーション空間やネットコミュニティにおいては、「この人の冠婚葬祭に参列しようと思えるような人間関係」や「キャラやコンテンツの枠組みの外でも付き合っていけるような人間関係」を身につけていく体験が得られるとは思えない。
 
 より持久力のある人間関係を育てていこうと思ったら・あるいはそのような人間関係を保持できるような人間へと変わっていこうと思ったら、刹那的な心理的充足にとどまらないコミュニケーション体験が必要不可欠である。そのためには、キャラやコンテンツを媒介とした、単層的なコミュニケーションの枠を超えて、もっと色々な接点を持てるような・キャラの“なかのひと”に思いを馳せるような多層的なコミュニケーションが必要となるわけだが、それに適したネットコミュニティ、特にオープンネットコミュニティはどこにあるのか?見渡してみると、あまり見当たらないように思えてならないのだ。
 
 多層的なコミュニケーションというと聞こえは良いが、もちろん、度がすぎれば“しがらみ”になるし、脆弱すぎるメンタリティの人にはハリネズミのジレンマを惹き起こす可能性もあるわけだけれど。
 
 

オープンなネット→クローズなネット→オフ会 という導線が欲しい

 
 この問題について、ゆうべ加野瀬未友さんと議論をしていて思ったのは、“オープンなネットコミュニケーションを基調にしつつ、より親密でクローズドなコミュニケーションへの導線を引き受けてくれるネットインフラがあればいいのになぁ”というものだった。
 
 Facebookのようにリアルと実名に紐付けられたクローズド中心のネットインフラでもなく、現在のはてなのようなオープン上等のネットインフラでもなく、オープンで半匿名な人間関係→クローズドで密な人間関係までをひとつのサービス内でしっかりサポートする前提のネットインフラがあったら、きっと便利だろう。そこでならネット発の多層的なコミュニケーションが期待できるかもしれない。そして、青少年の成熟に多少なりとも寄与するような営為が生まれるかもしれない。
 
 ネットで人と仲良くなるためにはプライベートな連絡手段が必須なので、はてなメッセージを強化して欲しい - ARTIFACT@ハテナ系
 
 加野瀬未友さんは、はてなユーザー同士のプライベートな連絡機能を強化して欲しい、とリンク先に書いている。これに近い機能はtwitterやGoogle+などにも既にあるけれど、はてなという「オープンなインターネットコミュニティ」にこの機能が実装されれば、オープン一辺倒にありがちなコンテンツ/キャラに依存したコミュニケーションではなく、半匿名のユーザー同士の、もっと多層的な交流を生み出してくれるんじゃないかと期待する。“真・はてな村”の誕生、というか。
 
 なかには「そんなコミュニケーションは、もともとリアルで知り合っている者同士でやればいい。だったらFacebookで十分じゃないか」と言う人もいるかもしれない。なるほど、首都圏で仕事に趣味に頑張っている“リア充”な人なら、そうだろう。けれども私のように田舎に暮らし、『まどか☆マギカ』の映画を見に行く仲間すら周囲に見出せずに困っているような人間にとって、オープンなネットコミュニティで出会った人間関係から、オフ会で一緒に映画を見に行けるような人間関係まで辿り着けるか否かはわりと切実な問題だ。
 
 それに、これから先、ネットコミュニティが人々の暮らしの一部としてデフォルト化していくとしたら、オープンで細い縁を、クローズで丈夫な縁へと育てていくのに便宜を図ってくれるようなネットコミュニティもあったほうが、長続きする人と人との繋がりをたくさん生み出せるんじゃないのかな、とも思う。「オープンなインターネットから始まる生涯の友情」や「生涯の伴侶」がもっと増えたっていいと思うし。
 
 こうした、オープンからクローズへ・単層的コミュニケーションから多層的コミュニケーションへの移行は、現状では、ユーザーひとりひとりが複数のネットインフラ・複数のネットサービスのアカウントを使い分けるような形で営まれていると思う(例えば、twitter→skype、といったような形で)。しかしこれは、お互いが複数のネットサービスのアカウントを持っていることが成立条件になってしまっているし、かなり面倒くさい。「新しいネットサービスが立ち上がるたびにアカウントをつくらなければならない問題」は2012年においても健在である。このあたりは、オープン→クローズ というコミュニケーションの導線がしっかりしたネットサービスが出来て欲しいし、はてなユーザーの一人としては、(株)はてながやってくれても嬉しいな、とも思う。
 

*1:尤もライトな使い方のユーザーが大多数を占めるなかで、そのライトな影響の蓄積が、その世代のコミュニケーションの様相に広く薄い影響を与える、ということはあるかもしれない。ケータイメール、twitter、LINE、といったコミュニケーション媒体が該当世代のマクロなコミュニケーションの様相に与える影響は、決して軽視できるものではないと思う。