シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

オタク・サブカル・ヤンキー、どれが歳を取りやすいか

 
 ゆうべtwitterで議論していたことをちょっと。
 
 ものすごく大雑把な分類になるけれど、日本のサブカルチャー領域の愛好者を、とりあえずオタク、サブカル、ヤンキーの三種類に分類する、というマッピングの仕方があると思う。
 
 

 
 上の図は、私の個人的印象に過ぎない。だから是非あなたもサブカルチャー三角形を描いてみて、各種コンテンツやお友達を三角形のなかにプロットしてみて欲しい。意外と色んなことに気付けて楽しいと思う。
 
 さて、ここからが本題。
 
 そんなオタク、サブカル、ヤンキーもいつか歳を取っていく。それぞれが歳を取った時、どんな姿になるのか?また、サブカルチャー愛好家として歳を取っていく難易度はどれぐらいなのか?「オタク、サブカル、ヤンキーの歳の取りやすさ」について考えてみる。
 
 

1.ヤンキーとして歳を取っていく難易度

 
 ヤンキーとして歳を取っていく難易度は、おそらく低い。尖ったヤンキーのまま年老いていく人・40代になっても暴走族を続ける人は大変かもしれないが、「ヤンキー」→「元ヤン」への軟着陸は難しくないと思われる。地方の国道沿いでは、元ヤンの母親・父親が無難に子育てしている姿を多数見かける。
 
 彼らのアドバンテージは、ヤンキーという思春期における趣味領域が、国道沿いのライフスタイルやアメニティと矛盾しない、ということだ。クルマ、パチスロ、TSUTAYA、ラーメン、ラブホテル的ゴージャスetc…。どれも国道沿いの基礎なアメニティであり、そうしたアメニティの内側で心理的に充足できるヤンキーの適応スタイルは強い。子どもが生まれた後も、イオン、しまむら、テーマパーク、パワースポット巡りと、レジャーには事欠かない。サブカルやオタクとは異なり、集団でのアウトドアを厭わない彼らには、バーベキュー、釣り、海水浴といった選択肢もある。
 
 ヤンキーの文化習俗については、サブカル側からもオタク側からもあまり評判が良くないかもしれず、キラキラネーム問題のような話も聞こえてはくる。しかし、大都市圏の一部地域を除くと、日本全域のサブカルチャー的テンプレートはヤンキーであり、オタクやサブカルではない。そして国道沿いに暮らす自称オタクや自称サブカルも、必ずと言っていいほどヤンキー的な文化習俗に親和性を持っている*1――言い方を変えるなら、サブカルやオタクもある程度ヤンキーに染まっている。例えば地方の痛車文化はヤンキーとオタクの化合物であり、地方のラーメン文化はヤンキーとサブカルの化合物、と言えるかもしれない。少なくとも親和性は、ある。そしてサブカルの場合はどうだか知らないが、オタク的ライフスタイルを維持できなくなった地方のオタクが吸い寄せられるのは、元ヤンキー的な、国道然としたライフスタイルと相場が決まっている。
 
 

2.オタクとして歳をとっていく難易度

 
 歳を取ってもオタクを続ける男性に関しては、私自身がオタクだからか、意外と周りに見かける。結婚した後も深夜アニメやニコニコ動画をチェックし続ける人、フィギュアを集め続ける人というのはそれなりにいる。また、アーケードゲーム界隈では四十代の現役シューターは数多く、『ダライアスバーストAC』の全一ホルダーにも年季の入った人が多い。彼らは若い頃に比べて時間的/体力的余裕を失っている筈である。しかしそのあたりは経験・要領・情熱でカバーしているのだろう。
 
 一方、歳をとるにつれてオタク的ライフスタイル維持できなくなってくる人も見かける。
 
 
 40 歳前後のおっさんオタのリテラシがガタ落ちしているらしいという話
 オタク中年化問題(汎適所属)
 
 上記リンク先にあるような、【オタクをやめた】というより【オタクでいられなくなった】という言葉のほうが似合う人達を、周囲に見かけるようになった。2000年代前半まではアニメやゲームの最新作にcatch upしていたオタクが、いつの間にか、ネット麻雀と月刊誌とビールに興味が移っていたり、完全に仕事の世界に軸足を移してしまったり。また、新しい作風を嫌悪し、懐古的になっている人もいる*2。歳を取ってからもオタクを続けるためには、オタク仲間、生活環境、情熱といった複数のファクターに恵まれていなければならないのかもしれない。
 
 

3.サブカルとして歳を取っていく難易度

 
 サブカルチャー三角形のなかで、人生のギアチェンジが一番キツそうなのはサブカルのような気がする。80年代後半〜90年代前半的な、緊張感漂うサブカルであれ、昨今の、ヤンキーやオタクとの境界不明瞭なサブカルであれ、「消費コンテンツでライバル達にかっこつける(=かっこつけざるを得ない)」という自意識を抱えたまま歳をとっていくのは、かなり難しいように思える。特に、サブカルとして尖っていればいるほど、である。
 
 とはいうものの、以上はあくまで推測で、私の周りには年取ったサブカルの知人があまりいないので本当のところはわからない。とはいえ大槻ケンヂさんのインタビュー記事などを読むにつけても、サブカル者としてのライフスタイルを維持しながら生きるのは大変難しい印象は受ける。
 
 ただし、90年代以降の「サブカル」はともかく、それ以前のサブカルチャー愛好家が元気に活動している例なら、それなりに視界に入る。ジャズの好きな人が喫茶店や衣料品店を営んでいたり、週末に楽器を持ち寄ってセッションを組んだり、といった人達だ。永年趣味を貫くだけの情熱なり根気なりを持ち合わせた、いわば“古兵の精鋭”なのだろう。90年代以降の用語としての「サブカル」に属する人のなかにも、おそらくこうした“古兵の精鋭”に相当する人物が存在すると思われるが、国道沿いの田舎ではそうした人達にはなかなか出遭わないので確認できていない。大都市圏に住んでいる人の報告を読んでみたい。
 
 



 
 こうして文章にしてみると、ヤンキーの加齢適応性の高さとロードサイド適応性の高さが印象に残った。「“武勇伝”だらけのヤンキーでさえ、結婚や出産を機に、あっけなく心のギアチェンジを果たせる」というライフコース上の優位性は、世代再生産を通して後世のサブカルチャー形成にも貢献していくと推測される。なにしろ、数十年後の思春期人口において圧倒的多数派を占めているのは、オタクの子でもサブカルの子でもなく、ヤンキーの子に違いないのだから*3
 
 もちろん、オタクやサブカルを貫きながら壮年期/老年期を過ごしていく人もいるだろう。しかし、そういった人々が(日本国土の大部分を占める)国道沿いの生活空間で暮らす場合には、国道沿いのアメニティに最適化されていない趣味スタイルを貫き続けなければならない。それがイヤなら、大都市圏の然るべきエリアに引っ越してしまわなければならない。オタクやサブカルを貫きながら年老いていくためには、それ相応の情熱やリソースが求められるだろう。
 

*1:稀に、そうでないオタクやサブカルがいるが、そのようなオタクやサブカルは国道沿いの暮らしのなかで完全に孤立する羽目になる

*2:例えば『新世紀エヴァンゲリオン』の時代で時が止まってしまった人とか

*3:とはいえ、数十年後の庶民文化がヤンキー文化圏によって完全に塗りつぶされるわけではもないだろう。オタクにしても、大都市圏のごく少数の人々に端を発したことは忘れるわけにはいかない。