シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

大人向けファンタジーアニメ『おおかみこどもの雨と雪』

 
 

おおかみこどもの雨と雪 オフィシャルブック 花のように

おおかみこどもの雨と雪 オフィシャルブック 花のように

  • 作者: 「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/07/23
  • メディア: 単行本
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 『おおかみこどもの雨と雪』を観てきた!館内はカップルや親子連れで溢れかえっていて、なかには祖父-親-子という三世代で観に来ている家族もいた。かなり幅広いお客さんが観に来ているという印象。それはさておき。
 
 「ああ、俺はこんなアニメが観たかったんだ!」と心から思える、素晴らしい作品だった!頭が熱くなっているうちに、書き残しておく。
 
 

思春期を敢えて外し、壮年期を狙ってきた作品

 
 この作品は、観る人を選ぶ作品だと思う。
 
 実際、映画が終わった後の客席の反応は、『新劇場版ヱヴァンゲリオン破』などに比べると、はっきりとした笑顔が少なかった。満足顔の親子や目を潤ませている女性もいたけれども、「あまりピンと来なかった」と会話をしているカップルもいた。受け取る人によって、受け取り方や受け取りどころの異なる作品だと思う。
 
 まず、リアリティという点で、この作品はちっともリアルではない。主人公である母・花はところどころ超人めいていて、どうしてあれほど豊かな母性・強靱な身体・タフで豊かな情緒・聡明な知性をそろい踏みで身につけられたのか、根拠となる情報は省かれている。また、田舎の人付き合いの面倒くささについても、脱臭が効きすぎているきらいがある*1。なにより、花が、彼女自身の思春期モラトリアムをあっさり放棄して母親としてのフェーズに移行し、さらにその母親としてのフェーズから親離れ/子離れのフェーズを十年余りでこなしていくさまは、いくら花がスーパーマザーだとしても――いや、花がスーパーマザー だ か ら こ そ !――あっけらかんとしすぎている。現実なら、あれほど苦労し手塩にかけて育てた子どもを、シングルでスーパーな母親が中学生のうちに手放せるわけがない。まず間違いなく、母子密着の罠にハマるだろう*2
 
 しかし、リアリティの問題点をあげつらってこの作品を減点するのはナンセンスだ。そもそも、タイトルに「おおかみこども」と書いてあるアニメが、どうしてリアリティが足りないという理由で貶されなければならないのか。この作品は、リアリティを追求した作品ではなく、第一にファンタジーなのだ。タイトルに妖怪の名前が出てくる『となりのトトロ』や『借り暮らしのアリエッティ』などと同じ種類、ということだ。とはいえ、あっちこっち現実離れしているのは事実なので、リアリティ重視なアニメファンから見れば、この作品は落第点をもらうと想像される。
 
 第二に、この作品はメッセージ性を帯びすぎているので、相容れない主義や価値観を持っている人から見れば、「説法じみた作品」とうつるかもしれない。幾つか挙げてみると、
 
 ・医療に頼らない子育てって素晴らしい
 ・自然分娩って素晴らしい
 ・大自然のもとでの子育ては素晴らしい
 ・田舎の人間関係は素晴らしい
 ・親の子離れ、子の親離れは素晴らしい
 ・座学でインストールできる情報だけじゃ、育てるってムリだよね
 
 こういったメッセージ性が、『おおかみこどもの雨と雪』からはプンプン伝わってくる。もちろん、登場人物がじかに説法しているわけではないが、これらがリスクやコストを(あるていど)脱臭され、(あるていど)美しく描かれるのを観て、カチンと来る人はカチンと来るかもしれない。男と女、親と子ども、都会/田舎の暮らしといったテーマは普遍的なもので、かつエモーションに直結した領域なので、一定割合で本作のメッセージにイラっと来たりカチンと来たりする人がいるのは想像に難くない。
 
 第三に、この作品のエッセンスのかなりの部分、特に「花から観た子ども達」「花の子どもを思う気持ち」にまつわる描写の殆どが、年少者や子どもの世話を親身にやったことの無い人にはピンと来ないつくりになっている。
 
 ・シリカゲルを飲み込んだ雪を発見した時の花の不安
 ・その後、雪が「おなか減った!」と言った時の安堵
 ・夜泣きにまつわる苦労いろいろ
 ・川に流された雨を追いかけるシーンの花
 ・弱かった筈の雨が、姉の雪を喧嘩で傷だらけにしてしまうシーンの当惑
 ・親の手を離れ、自分の世界をつくっていく子ども達に対する花の葛藤
 
 どれも、知識としては十代の子どもでも理解できないわけではない。しかし、これらを観てシンパシーを感じたり、心拍数が上がったり、嬉しいような哀しいような妙な気持ちにさせられたりするためには、親身になって子育てや幼少者の世話をしたことがなければ難しいんじゃないかと思う。少なくとも私自身を省みるに、たとえば十年前の私が本作を観たとしても、これらのシーンで情緒を刺激されなかったと思う。せいぜい、「へぇー」ぐらいにしか思わなかったのではないか。
 
 花の立ち位置、つまり親としての立ち位置から感情移入するためには、それに類する体験や、これから自分がそういう体験に突入するかもしれないという予感が多かれ少なかれ必要なんじゃないか――少なくとも感情移入の強度が断然違うのではないか。作中描写のかなりの部分は、親としての立ち位置から描かれていて、もちろん、この作品の主人公は母親としての花である。親としての立ち位置から眺めなければ感情移入しにくい情景描写にかなりのリソースを割いているということは、そのぶん、この作品は親としての立ち位置から遠い人達には響きにくい作品と推測される。それどころか、親に反抗したくてウズウズしているような思春期の人々にとって、作中描写の幾つかは煙たいものかもしれない。
 
 このことをE.エリクソンのライフサイクル論で言い直すと、本作の多くのパートは、壮年期の発達課題である生殖性genitalityに突入していなければ情緒的には響かないだろう、ということだ。思春期メンタリティたけなわの、自分自身のことで頭が一杯になっていて、年少者を親身に世話する心の準備ができていない段階の人にとって、子育てにまつわる親のエモーションに感情移入するのはきわめて難しいと思われる。
 
 ちなみに思春期の発達課題といえば“アイデンティティの確立”だが、本作では、そのような思春期的イシューは、物語の後半に、雪と草平のやりとりのなかでちょっぴり描写されるに過ぎない。花にしても、思春期モラトリアムをすっ飛ばして「彼」と親密になって、いきなり母としての役割を引き受けており、あたかも大学生時代から ready to mother であったかのようだ。そういう点でも、本作は思春期真っ盛りの人達のほうを向いていない造りになっている。“配偶について悩まず、さっさと子育てに突入する女子大生ヒロイン”はいかにも架空のキャラクター然としているが、壮年期の描写にウエイトを持ってくるために、敢えて思春期をバッサリと切り落としてあるのだろう。強調すべき描写を強調するためには適切な措置だと私は思った。
 
 

壮年期の発達課題を真正面から描いたアニメは珍しい

 
 『おおかみこどもの雨と雪』は、ファミリー向けファンタジーという、ブロードバンドな客層を狙った外観になっているにも関わらず、その内実は壮年期の発達課題に狙いを絞った、かなり思い切った作品になっていると私は感じた。“問題作”だと思う。
 
 こういう、壮年期にやたらアプローチしてくる作風は、よそのジャンルならともかく、昨今の“いはゆる大人向けアニメ作品”では珍しいものだと思う。最近はまともな大人を描くアニメが増えつつあるけれども、それでも思春期へのアプローチが主であって、壮年期へのアプローチは従、という印象は否めなかった。だから、“大人向けアニメ作品”ではあたかも必要不可欠のようだった思春期な人達へのリップサービスを最小限に絞り、そのぶん作中リソースの多くを親子関係の描写――それも、親サイドから見た親子関係の描写――に割り当て、世代再生産に重点を置いたのは、制作者サイドとして勇気の要ることだったんじゃないかと思う。
 
 しかし、そのようなリソース配分にしたことによって、この作品は固有の魅力*3をもって輝いているし、たぶん、長く記憶され言及されるのだろう、と思う*4。個人的には、シングルマザーの母親が息子を手放す際の葛藤をもう少し掘り下げて描いて欲しかったけれども、そんなのは贅沢すぎる注文であって、別の作品が、時間をかけて描くべきテーマとも思う。二時間映画という尺の短さゆえ、減点法で採点すれば幾らでもダメ出し出来る作品だけど、命の循環*5を描いたファンタジーとして、本作にしか出来ない仕事をきっちりこなしたと思う。
 
 俺はこのファンタジーがとても気に入った。“金曜ロードーショー”で放送されるたびについつい視聴してしまう類の作品だと思う。物語終盤、雪の思春期の始まりを予感させるシーンがあったのも、雨の門出を朝日で象徴しているのも、すごく良かった。思春期真っ盛りじゃない人には、かなりお勧め。
 

*1:『サマーウォーズ』ほど脱臭が華々しいわけではないにしても

*2:もしリアリティを追求するなら、雨を檻に閉じ込めて山にいかせない母親を描いたほうが、お似合いだが、そんなことをしたらこの作品はぶち壊しである。

*3:ここでいう魅力とは、言うまでも無く、嫌いな人から見れば蛇蝎のように嫌われるであろう特徴を指す。つまり、やはり魅力というほかない。

*4:また、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』と順番に並べながら、細田守監督の心理的背景についてパトグラフィー的に想像してみると、色々と興味深いというか、なんとなく、『サマーウォーズ』の後でなければこの作品は出てこなかったんじゃないのかな、という気がしてならなかったりもする

*5:と書いてライフサイクルと読む