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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

悪いのは夫か、妻か、SNSか、社会か

 
 誰か教えてください
 
 リンク先は『はてな匿名ダイアリー』なので、釣りのような気がしなくもないけれども、モデルケースとしてはよく出来ているだとは思うので言及してみる。
 
 こういう「夫がスマホばかりいじっていて家族にかまけていない風景」は、決して珍しいものではないと思う*1。間近な家族より小さなディスプレイの向こう側に夫の心がいつも移っていて、ネット空間で専ら自己愛を充たしていれば、そりゃ、夫婦の間は冷え切るでしょう。妻から見れば「なんだこいつ家族じゃないのかよ」という思いが膨らんでくるに違いない。ましてや、二人の子育てで忙しい折、家族や妻に対する関心ひとつ示さず自分だけの小さな世界に入り込んでいるとなれば、イラっと来ないほうがおかしい。
 
 ただ、「夫が家でスマホばかりいじっている風景」というのは、複数の要因によって起こり得る現象というか、ときには妻の側が悪い場合も含めて起こりえるものなので、リンク先を読んだだけでは「誰々が悪い」と単一原因に絞り込むのは難しい。いや、夫がある程度以上悪いのははっきりしているけれども。以下に、「夫がスマホばかりいじっていて家族にかまけていない風景」の原因となり得る要因について列挙してみる。
 
 
 ・夫が悪い
 まず、夫が悪い可能性。子育てを妻に任せきりで、自分は子どもに関わりたくない・独身以来のスタンドアロンな自己愛充当をスマホ経由でガンガンやりたいという、ただそれだけの場合。子ども二人の子育てという、夫婦二人でかかりきりでも大変な課題に際して、その負担を妻に任せきりで自分は何もしなくて構わない&関心すら示さないようでは、妻の側は心理的にかなりキツい。もし、妻の人間関係が比較的少ないライフスタイルで、なおかつ夫が構ってくれなかったら、一体どこの誰を介して妻は自己愛を充たせばいいのか?ここで、「子どもを介して自己愛を充たせばいい」と答える人がいるかもしれないが、それも度が過ぎればNGだ。子どもが母親の自己愛充当の対象になりすぎると、母子分離がこじれてしまいかねない。だから、子育て中の寂しい妻を放っておいて、小さなディスプレイばかり覗き込んでいるというのは、まあ、夫の人は、悪いんだろうなと思う。リンク先などを読んでいると、「こいつ、妻を飯炊きマシーン&子育てマシーンぐらいに思ってるんじゃないか?」という疑念がどうしても浮かんできてしまう。
 
 人はお金のみで生きるにあらず。自己愛充当のような、心理的充足がなければ生きていけないぐらいに人間はややこしくできている。リンク先のようなケースの場合、家庭に稼ぎを入れているとは言っても、控えめに言っても、「それであんた家族かね」と非難された時に弁護のしようがない、とは思う。
 
 
 ・妻が悪い
 とはいえ、こういうケースで必ず夫が全部悪いとは限らない。第一の要因として、夫が家族との親密さを感じにくい・家でのコミュニケーションの居心地の悪い環境を与えられていて、その結果として二次的にスマホいじりに夢中になっている、という可能性もある。夫の人が、家族のなかで疎外感を感じ取っているような場合は、夫は家庭のなかで自己愛を充たせなくなるので、自己愛充当をアウトソースしようとするだろう……というかするしかない。そのアウトソース手段としてtwitterやFacebookが活用されているとしたら、夫を糾弾する前に、いかに夫が家庭のなかで一体感を感じやすい・家族と過ごすことを喜びやすい環境を整えるか、という妻の側の課題が問われることになる。
 
 なお、余談になるが、もし奥さん自身がtwitterやFacebookをやりまくっていたら、本件のような相談は表面化しなかったかもしれない。その場合、奥さんの側もtwitterやFacebookに自己愛充当をアウトソースできるので、そもそも不満がたまりにくいからである。尤もその場合は、夫も妻もスマホしか見ていない家族という風になるので、これはこれで、家族とは言いがたい、子どもの情操教育上一体どんなエフェクトが起こるのか分からない境遇がマイホームの内側に展開されることになるけれども。
 
 寂しい人が寂しさを紛らわし、自己愛充当をアウトソースする手段としてSNSが有効であるという事実を踏まえるなら、夫のほうも、案外寂しい人なのかもしれない。だから、本件のような状況において、夫だけが悪いと即断するのは難しい。
 
 
 ・SNSが悪い、スマホが悪い
 「スマホのような道具があるからこんな悲劇が起こるのだ!」という考え方もできなくは無い。スマホが無ければスマホ依存も起こらないし、SNSが無ければSNS依存も起こらない。道理である。しかし、どうせそのような人は、SNSやスマホが無い時代でも無いなりに、カネで自己愛充当を買えるようなサービスに夢中になってしまうのではないか、という気もする。具体的には、スナックやキャバクラに通ってみたり、といった具合にである。あるいは孤独を紛らわす手段として、酒やギャンブルにのめり込む人もいるかもしれない。
 
 だからこの場合、「twitterやFacebookが悪い」と言い切ってしまうのはちょっと微妙ではある。それに、SNSが無ければ生まれない出会い・SNSがとりもつ結婚があることを思うにつけても、これらを縁切りの悪魔と切って捨てるのもどうなのか、とは思う。使い方次第では、夫婦の仲をとりもつアイテムのひとつとしてSNSを活用する道もあるんだから、これは道具が悪いというより、道具の使い方が悪い。
 
 仮に、こういうSNS依存になっている夫の人からSNSを取り上げることが可能だとも、たぶん奥さんにとって満足のいく解決にはならないと思う。夫の人が家族や奥さんとコミュニケートし、そこに心理的充足を見いだすような体制にもっていかない限り、夫の人はSNS以外の何かに自己愛充当のアウトソースを期待するようになる可能性が高い。
 
 
 ・社会が悪い
 
 夫が家庭のなかで自己愛を充たすことなく、家庭の外に自己愛充当をアウトソースしがちな社会構造は、たぶん高度成長期以来のものだけど、これは多分、まだまだ変わりきっていないと思う*2。また、専業主婦が寂しくて大変な境遇のなかで子育てを強いられ、どこにも自己愛充当のリソースを求めることができないまま、我が子との一体感に溺れ切った挙げ句に母子分離に失敗してしまうようなシチュエーションも、まだまだ過去のものではないと思う。
 
 そういう意味では、自己愛充当にまつわる夫婦の問題は、社会構造によってある程度誘導された、マクロな問題だと言えなくも無い。ニュータウンで何も考えずにノホホンと暮らしていれば、夫婦の自己愛充当がそれぞれ別系統になりやすく、それが家庭内の自己愛充当の様式や、「よりどころ」としての家庭機能を変容させているとしたら……これはもう、個々の夫婦が悪いという以前に、そんな家庭にデフォルトでなってしまう社会が悪い。そもそも、SNSやtwitterがこれほど流行しているのも、そういうスタンドアロンな自己愛充当の様式がそれだけみんなに必要とされていればこそなわけで、間近な人付き合いで心理的に充足していれば、SNSやらtwitterやらに依存する必要なんて無い筈なのである。
 
 尤も、いくら「社会が悪い」と言ってみたところで、対案らしい対案は思いつかないし、さしあたって、今、困っている夫婦の仲を改善させることは出来ないのだけれども。
 
 けれども、“現代のニュータウン暮らしにおいては、夫婦の自己愛充当がそれぞれ別系統になりがちで、その別系統になってしまうことが、夫婦間の人間関係や、ひいては子育てにも影を落とすかもしれない”とあらかじめ分かっていれば、夫婦のあり方や、夫や妻や子どもに対してどう接するべきかについて、あれこれ気をつけながら夫婦をやれると思うので、「社会が悪い」論も、そういう意味では効能があるんじゃないかと私は思う。
 
 
 ・人間の仕様が悪い
 
 「どうしてカネやモノだけじゃ人は満足できないんだ」「心理的充足とか自己愛充当とかが無ければ生きていけない人間のデフォルト仕様が悪い」と言う人もいるかもしれない。うん、確かにめんどくさいかもしれませんね。でも、こればっかりは人が人である限り変更できないっぽいので、嘆いても無駄。
 
 



 
 以上、つらつらと書いてきたけれど、夫婦をはじめ、間近な人間関係は、しっかり水をまいて施肥を行ってメンテしていかないと保てないものなので、夫の人も妻の人も、そこのところを思い出してがんばって欲しいと思う。
 
 

*1:程度の差はあるにせよ

*2:家族の相手をすることを「家族サービス」という表現をするあの言葉なども、夫が家庭では自己愛を充たせないんですよ、というのを暗に示していると思う