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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

メイド属性は消え、“メイドコス”が残った

 
 久しぶりにTYPE-MOONの『月姫』を触る機会があって、ふと思い出した。
 
 昔、メイドキャラクターは虐げられた存在だった。『殻の中の小鳥』に出てきたキャラクターなどが典型的だけど、彼女達は調教や折檻の対象であり、“メイドのコスプレ”ではなく本当の意味で服従を強いられていた。メイドキャラクター達は拭いきれない悲壮感・厳格な主従関係といった絶望的距離感を漂わせているのが常で、まただからこそ、そういった障害を克服した時の喜びも大きい、という感じだった。オタク界隈にメイド属性が登場した頃、メイド達はそういう暗さを帯びていた筈だ。『To heart』のあの健気なマルチにしても、メイドロボという設定が与えられていた点は見逃せない。メイド属性は、明らかにハードなカテゴリだった。
 
 ところが最近見かけるメイドの大半には、そういった悲壮さ・暗さが欠けている。
 
 ライトノベルやアニメにおいて、メイド服は頻出というか、ごくありふれたアイテムになった。けれどメイド服に身を纏った彼女達には、『月姫』の翡翠や琥珀のような悲壮感が無い。悲壮なメイドが少なくなった以上に、“メイドのコスプレ”が増えた、という感じがする。職業・身分としてメイドではなく、“メイドのコスプレ”をするキャラクター達。思えば、『けいおん!』の秋山澪も、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の黒猫も、なんともかわいらしい、カジュアルな“メイドコス”を披露してくれた。過去のメイド属性から悲壮さ・暗さを脱臭した、ソフトな“メイドコス”が市場淘汰を生き残った、ということだろうか。
 
 同じことがメイド喫茶にも言えて、メイド服を着た従業員が「萌え〜萌え〜キュン!」などとほざいているあれは、正確には「“メイドコス”喫茶」であり、旧来のメイド属性を忠実に再現する努力が払われているわけではない。もし、旧来のメイド属性を参照するなら、メイド喫茶の従業員は『月姫』の翡翠や琥珀のような薄幸さを現していなければならない。
 
 とはいえ旧来のメイド属性は、「少女への欲求の押し付け」「少女の犠牲」を前提として含んでいて、その結果としての従順・悲壮だったわけで、そんなものを現実のメイド喫茶で忠実に再現してしまったら、一般的な感性の人には寛げないようなシロモノになってしまうだろう。第一、そんな仕事をやりたがるバイトさんが集まりそうにない。そういう意味では、現実のメイド喫茶が“メイドコス”に軟着陸したのは、それはそれで良かったのかもしれない。
 
 かくして、悲壮なメイド属性は消え、かわいい“メイドコス”だけが残った。
 
 

“メイドコス”という日本文化について

 
 蛇足かもしれないが、ここで“メイドコス”という日本文化について補足しておきたい。
 
 西欧におけるもともとのメイドはサービス業の一業態であって、日本においてそれに近いのは「女中」であった。だからメイドそのものを日本文化と呼ぶのは間違っている。
 
 しかし、メイドがコピー元だったはずの“メイドコス”は、日本の男性オタク達の欲望によって改変が繰り返されて現れてきた、オタクカルチャー*1内の産物と言えるもので、西洋に存在するものではないし、西洋人には生み出し難しかったと推定される何かだ。
 
 “メイドコス”に似た話として、ちょっと古いが、私はDCブランドのピンクハウスのことを思い出す。ピンクハウスのリボンやフリルは西欧に出自を持つが、ピンクハウスそのものは西欧のリボンやフリルとは似て非なるものであり、国内で独自の洗練を遂げた過剰の美である。ピンクハウス絡みでは、大塚英志さんが以下のようなことを書いている。
 

 この、コピーを続けることで生じるオリジナリティなり美というのはひどく説明しにくい。例えば金子と同じ「コピーであることのオリジナリティ」について、実は三島由紀夫が「文化防衛論」そのほかで語っていることは注意してもいいかもしれない。金子のこの発言は、三島との同時代的な意識の発露としてむしろあったとさえ思う。しかし、それとは別に例えばジャパニメーションの絵がそもそもディズニーから手塚治虫が借用した記号絵を後進の作家たちがコピーし続け、そこに奇妙な洗練がなされたというプロセスを考えればピンクハウスが何故、最終的にコミケの御用達ブランドに行き着くのかは、ある程度理解できる。
 大塚英志『おたくの精神史』P145より抜粋

 『おたくの精神史』のなかに出てくるこの話は、ピンクハウスの閉じっぷり(と、それと相同的なおたくサブカルチャーの閉じっぷり)こそが80年代のサブカルチャーのひとつの特徴であり、可能性である、と締めくくられている。
 
 翻って“メイドコス”について再考してみる。
 “メイドコス”もまた、出自自体は西欧のメイドではあっても、国内オタク界隈という狭いニッチの、独自のニーズに寄り添う形で洗練を遂げた産物と言える。ピンクハウスは着用する側の「まなざされる」ことを前提とした創出物であり、“メイドコス”は「まなざす」側の欲望のなかで洗練されてきたという違いはあるにせよ、どちらも、日本上陸後に独自の意味と文脈とデザインを有するに至った点では共通している。
 
 そしてサブカルチャーという枠を離れても、コピーでありながらオリジナルとしかいいようのない、西欧では発生し得なかったであろう独特の物品が日本には非常に多いと気付く。古くは「アンパン」「赤玉スイートワイン」、最近では「きのこの山」「たけのこの里」といった国産のお菓子の類などは、ルーツ自体は西欧でも、この国の消費者のニーズに寄り添った結果としてユニークな洗練をみた例だといえる。外国人が、日本のお菓子を見てびっくりするのも、まあ当然だろう。あれはあれで日本文化なのだから。
 
 外国の正確なコピー、正確な模倣が素晴らしいという人もいるだろうけど、日本独自の文脈に絡め取られて変質した妙ちくりんなプロダクツも、それはそれでいいものだな、と思う。そう思いながら『這い寄れ!ニャル子さん』を眺めていると、「ははぁこれが日本のオタク界隈の薫陶を受けたクトゥルフ神話なのかぁ」と感慨深い。
 
 [関連]:翻訳冒険活劇 : 「日本は何でも萌え美少女にするなww」『這いよれ!ニャル子さん』第1話 海外アニメファンの感想
 

*1:もちろんこれはサブカルチャーと分類されるものの一ジャンルに過ぎない