シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「ダメおやじ」の功罪

 
 ダメな大人の表現が変わった・・・ | FANTA-G - 楽天ブログ
 
 ここで問いたいのは全国のお父さんがたの功罪ではなく、昭和後期から流通した「ダメおやじ」というフレーズの功罪であり、「ダメおやじ」を格好悪いとみなす価値観が何をもたらしたのか、である。
 
 かつて『ダメおやじ』という漫画・アニメが連載されてそれなり人気を博し、その後も再放送されたことがあった。この作品がスタートした1970年当時、“上司に怒られ、得意先でペコペコして、安月給で、家では奥さんに粗大ゴミ扱いされる父親”的なイメージがどの程度一般的だったのか私は知らない。しかし少なくとも1980年代を迎える頃には、『ダメおやじ』的な父親イメージが、もはやジョークでは済まない程度に流通していた、という事は覚えている。当時小学生だった私は、母親が買ってきた教育書にまさに「ダメおやじ」を批判するような文章が載っていたのを見かけた。
 
 “うだつの上がらない、安月給で、娘や息子に生ゴミ扱いされる父親像”はその後も長く残存した。オヤジはダサくて臭くて汚いものと貶められ、格好悪いもの・なってはいけないものと見做されるようになっていった。
 
 

「ダメおやじ」は実は凄いオヤジだった

 
 しかし少し考えてみれば、「ダメおやじ」をやっていた父親達は凄かった。
 
 世の「ダメおやじ」達は、花形職業の高給取り達に比べて少ない給料(と少ない尊敬)にもかかわらず、労働に耐え、家族を養うことを諦めず働き続けた。自分の衣服にリソースを回すよりも家族にリソースを回し、それゆえ“お洒落なオヤジ”になんてなりようもなく、家庭に不在がち&安月給のゆえに子ども達にも感謝されにくい気の毒な立場だった。そんな立場でも家族を投げ捨てずに給料袋を持ち帰ろうと奮戦した人達が「ダメおやじ」にはたくさん含まれていた。
 
 こうした、より厳しい環境下で父親を引き受けていた人達――そして日本社会の屋台骨を支えていた人達――のことを、「ああいうオヤジになってはいけないよ、あれは格好悪いんだよ」と青少年の耳に囁き続けた人達がいたのである。80年代といえば、ちょうど“新人類”の時代でもある。「センスの良い消費ができる人間がいちばん格好良い」という“新人類”の時代においては、自分の消費活動を犠牲にしてでも家計を支える「ダメおやじ」的な父親は、ことさら格好悪く映ったに違いない。
 
  

「ダメおやじみたいに働いたら負けだと思っている」

 
 さて、そうやって「ダメおやじ」を軽蔑しながら育った青少年が成人を迎えた時、何が起こったか。
 
 「ダメおやじのような大人は格好悪いんだよ」という価値観を内面化した成人達は、当然、「ダメおやじ」になるのを避けようとした。安月給でペコペコしながら家族を支えるのは格好悪い生き方だと教わった彼らは、そうならない職業を選ぼうとする;安月給のためにペコペコする生き方は格好悪いので、それぐらいなら働かないほうが良いと考える人も出てくる。
 
 また、「ダメおやじ」を軽蔑して育った青少年は結婚や子育てに慎重にならざるを得ない。もしも、自分の給与で子どもを育て始めた時に「ダメおやじ」になってしまうとしたら?――「ダメおやじ」な人生を歩むのは格好悪いことだから、それぐらいなら、子どもをつくらず「格好良い選択のできる消費者」という立場を手放さないほうが居心地が良かろう。ただでさえ苦労する子育てを、格好悪くなってまでやりたいと思う者がどれぐらいいるだろうか?
 
 こうやって見てみると、「ダメおやじ」的な生き方を軽蔑するという風潮は、それなり禍根となって現世代の行動選択に影響を与えているように見える。
 
 もちろん私は、現在の若い成人の全ての行動選択を「ダメおやじ」という視点で説明できるとは思っていない。第一には、“失われた二十年”問題などといった雇用情勢の変化や景気のほうを問題視するべきだろう。しかしだからといってニート問題や少子化問題といった現象を、経済的な理由だけで説明できるものだろうか?私は違うと思う。「ダメおやじ」を格好悪いとみなすような価値観がどれだけ青少年の心に内面化されているのか・どんな生き方を格好良いとみなし、どんな生き方を格好悪いとみなす雰囲気が社会に存在するのかも、それなり考察の対象にすべきではないかと思う。
 
 

“「ダメおやじ」に花束を”

 
 70年代〜80年代に生まれた多くの人間は、「ダメおやじ」のような生き方を格好悪いとみなし「センスの良い消費をすること」を格好良いとみなす価値観に触れながら成長してきた。その価値観は、大なり小なり内面化されているだろう。しかし「ダメおやじ」を軽蔑する価値観によって自ら生き方を狭めている人がいるとしたら、大変不幸なことだと思う。そして不当なまでに貶められた「ダメおやじ」はいい加減名誉回復されるべきだと思う。あの華やかな消費の時代を影で支えていたのは、他ならぬ「ダメおやじ」達だった事を思うにつけても。