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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

コミュニケーションがボトルネックとなった社会

コミュニケーション

 
 
 コミュニケーションがボトルネックになった社会。
 
 「リア充はみんな死んでしまえ」~「人とのつながり」が重視される現在の就活の落とし穴~ 就活生に甘える社会人
 
 リンク先で触れられているように、コネにせよソーシャルメディアの活用にせよ、今、人と人とを繋ぐコミュニケーションの技能が求められている。
 
 企業が就活生に「コミュニケーション能力」を求めるようになって久しい。その、コミュニケーション至上主義的な雰囲気はこれまで何度も批判されてきたが、コミュニケーションの技能を求める向きはいっこうに変わらないか、むしろエスカレートすらしているように見える。
 
 コミュニケーションの技能とは、それほどまでに重要なもの、らしい。なら、どうしてそれほどまでにコミュニケーションの技能が問われるようになっているのか?それについて、書き残してみる。
 
 

コミュニケーション能力を問われない仕事が少なすぎる

 
 あらかじめ断っておくが、コミュニケーション能力を問わない仕事が絶無というわけではない。もちろん例外は、ある。
 
 例えば、とある大企業の研究室――その研究室には“動物園”という渾名がついているらしい――には、コミュニケーションのあまり上手くない人・エキセントリックな人がたくさんいると聞く。しかし彼らのアウトプットは高く評価され、大企業の重要な頭脳になっている。
 
 また、イタリアやフランスのワイン産地には、コミュニケーションが上手いとは言えない、“天才肌”の醸造家や寡黙な醸造家がいる。しかし素晴らしいワインを創り出す彼らを市場が放っておくわけがなく、勢い、そのワインは高値となっている。
 
 どちらの場合も、独創的な仕事さえしていれば、コミュニケーションの技能とは無関係に評価される点では共通している。彼らにとって、コミュニケーションの技能はボトルネックにはなっていない。
 
 問題は、そういったコミュニケーションを不問に付す職業が世の中にどれぐらい残っているのか、ということだ。大企業のラボであれ、名醸地のワイナリーであれ、そんなところで働けるの一握りの幸運な(また、おそらく有能な)人達だけだ。誰もが椅子取りゲームの覇者になれるわけではない。
 
 「なら、もっと普通の農業や工業の仕事はどうなんだ」と言う人がいるかもしれない。確かに、土や機械を相手にずっと働ける仕事なら、コミュニケーションの技能は要らなそうに見える。
 
 だが現代社会に占める農業や工業の割合はかなり小さい。総務省統計局のデータによれば、平成17年の全就業者に占める第一次産業の割合は5.1%、第二次産業も25.9%でしかない。残りの7割近くを第三次産業が占めているのだ。そして実際には、農工業は人気職種とは言えないし、その農工業でさえ、コミュニケーションの技能が求められる場面は少なくない*1。そして機械化やロボット化のことを思うと、こうしたコミュニケーションの苦手な人々の受け皿になるような、農工業の仕事はさらに減り続けると想定したほうが無難だろう。最後まで残るのは、ロボットには真似の出来ないような、非常に高度な仕事だけかもしれない。
 
 こうして考えると、コミュニケーションの技能を度外視しても構わない仕事は既に少なく、今後も減少傾向が続くと考えざるを得ない。なんとしてもコミュニケーション抜きの仕事を選びたい人は、機械やロボットに将来取って代わられるリスクを含んだ仕事を選ぶか、機械やロボットでは決して真似できないような超専門的な技能を持ったプロフェッショナルになるしかない。
 
 

初対面ではコミュニケーションの技能がボトルネックになる

 
 問題はそれだけではない。
 
 コミュニケーションを要する仕事が増えているだけでなく、仕事に就く以前に、就職面接というマッチング過程でもコミュニケーションの技能がモノを言い、それによって採用が左右されるという意味でも、コミュニケーションがある種のボトルネックになっている。
 
 これが昔の、世襲や縁故採用が占める割合の大きな時代だったら、コミュニケーションの技能――少なくとも就活界隈で言われる「コミュニケーション能力」のような――はそんなに問われなかった筈である。親から子への世襲・旧知の人間の採用・そして大学教授の口利きを介しての就職などの場合、就職する側/新たに雇う側の間に何らかの繋がりがあるので、人と人とのマッチング作業はある程度終わっている。少なくとも、ゼロからコミュニケーション&マッチングをしなければならないわけではないぶん、初対面の人に緊張するような人や口下手な人も、コミュニケーション上のハンディは軽くなる。
 
 しかし21世紀において、世襲や縁故で就職を決められる人はそう多くはない。誰もが自由に職業を選べる&選ばなければならない社会が到来し、と同時に、雇用者側は見知らぬ相手を採用しなければならなくなり、就職面接というシステムが発展していった。しかし、就職面接が重要になったということは、初対面の人間とゼロからコミュニケーションを重ね、それなりにマッチング作業を行える人でなければ雇って貰いにくい時代がやってきた、ということでもある。控えめに言っても、その手のコミュニケーションが苦手な人が不利を蒙りやすい時代になった、とまでは言える。
 
 かくして、ほとんどの就職に際してコミュニケーションの可否がつきまとうようになり、ボトルネックになった。ひとことでコミュニケーションの技能と言っても実際には色々あるが、就活上、「初対面の人間とゼロからコミュニケーションを重ねる技能」がつとに重視されるのも、そのボトルネックを切り抜けるための技能が否応なく問われているからだろう。
 
 そして、「人と人がゼロからマッチングしてためのコミュニケーションの技能が問われる」というこの傾向は就職に限らない。例えば結婚でも同じことが言えて、ゼロからコミュニケーションを重ね、望ましいマッチング作業をこなさなければ、結婚に至らないようになっている。そんなことが全ての男女にできるわけがないのに!現に、結婚したいけれども出来ない男女が世に溢れている。
  
 これも、コミュニケーションがボトルネックになっている一例だと思う。
 
 

“誰もがコミュニケーションを問われる社会”

 
 以上を踏まえると、この社会で望み通りのライフスタイルを構築したいと思ったら、コミュニケーションの能力が半ば必須に近い、と考えざるを得ない。もちろん一万人に一人ぐらいの才能を持った人はこの限りではないが、そういう天賦の人は、あくまで例外でしかない。
 
 私は、コミュニケーションがボトルネックになった社会は、理想とは程遠いと思う。なぜなら、コミュニケーションをしたくない人・コミュニケーションの苦手な人にとって、恐ろしく生き辛い社会であろうからだ。また、初対面の人間同士のコミュニケーションばかりが目につきやすく、長い付き合いのコミュニケーションが(相対的に)評価の対象外となりやすいのも、随分と偏ったことだと思う。
 
 さりとて、これといった対策が思いつくでもないし、思いついたとしてもそれで社会がすぐ変わるとも思えない。政治家の人達は、このあたりをどのように考えているのだろうか?いずれにせよ、今という時代を生きている私達は、この厄介なコミュニケーションに揉まれながら、とにかくもやっていくしか無いのだろう。たとえ、しんどくても。
 

*1:農家は農家で、近所との付き合いや折り合いを無視して一人で自活できる時代ではないし、工場勤務にしても、転勤や昇進といった、コミュニケーションを再編せざるを得ない場面というのは多々ある