シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“自尊心が低い人ほど、自尊心を高めるリソースも乏しい” に関して

  
 先日、厚生労働省が発表した国民健康・栄養調査のなかに「所得が比較的低い人ほど喫煙率が高く、女性では肥満の割合が高い」というものがあった。
 
 [参考]:平成22年国民健康・栄養調査結果の概要 |報道発表資料|厚生労働省
 
 「所得が低い」ということは、おそらく金銭的に余裕が無いだけでなく、知識面も含め、健康増進に割り当てられるリソースが総合的に少ない、ということなのだろう。金銭に余裕が無い→ストレスが溜まりやすく、喫煙や大食に走ってしまう→ますます金銭に余裕が無くなる という悪循環。喫煙や大食の部分が“ギャンブル”に置き換わっている人も多そうだ。
 
 この話を見ていて私は、「メンタルの領域でも同じ悪循環があるなぁ」と思った*1。例えば、自尊心や自信を欠いているせいでストレスが溜まりやすい→コンテンツやガジェットに溺れてストレス解消&劣等感をしばし忘れる→時間もお金も費やしてしまう→ますます自尊心や自信を培うチャンスから遠ざかる といった悪循環だ。
 
 先日私は、自尊心や自信を培うために必要なリソースについてまとめてみたが、そういったリソースの乏しい人は、えてして社会生活で蒙るストレスも大きかったり、ストレス解消が下手だったりもする。すると、ストレスを晴らすため・劣等感を代償するために多くの時間やエネルギーを割かざるを得ないので、手持ちのリソースの大半が費やされてしまい、自尊心や自信を支えるために必要な技能修得にはリソースが回らなくなる。“いつでもメンタルの修理で手一杯”、というわけだ。
 
 しかし、こうした“自尊心の自転車操業”的なライフスタイルが続けば、十年単位で自分自身を変えていくような中期〜長期的な展望を持ちにくくなり、だんだんと即時的・刹那的なストレス対応行動ばかり熟達していくことになる。より刹那的で、より視野の短い、今この瞬間のフィーリングだけを追求する人間が出来上がってしまい、“自尊心の自転車操業”をいつまでも続ける羽目になる。
 
 

リソースが乏しい人は、どうすれば良いのか

 
 結局、健康管理にしても心理上の問題にしても、入り用なリソースの多寡によって問題解決の難易度と可能性は大きく違ってくる、ということなのだろう。ここでいうリソースとは、勿論金銭的なものだけでなく、心理的・体力的・知識的なものも含めてのリソース、である。リソースに恵まれた者ほど多くの弱点を克服しやすく、リソースが乏しい者ほど弱点を克服しにくい――まったく面白くない結論だが、たぶん、間違ってはいない。
 
 では、このリソースに大きく左右されがちな現実を前に、どうすれば良いのか?
 
 模範解答としては、「自分自身のリソースとその限界を見極めながら、やれる範囲でやってみる」が良いように思える。しかし、自分自身の手持ちリソースを過大評価も過小評価もせずに見積もること自体、相当に難しいので、どこまでトライすべきなのか・どこから諦めるべきかは、たいていの場合、クエスチョンマークを含んだ決断にならざるを得ない。
 
 熱意の強弱を参考にするのは良いかもしれない。「十年かけてでも劣等感をどうにかしたい」と意気込んでいる人と、「劣等感をどうにかしたいけど、何もしたくないし、できれば誰かに助けて貰いたい」と思っている人では、同じ目標でも、前者のほうがまだしも達成に近い。自分の心理的境遇を変えたいという熱意がそれほどでもない場合は、リソースの乏しさを熱意でカバーできないので、いっそ諦めてしまうのも手だと思う。尤も、今日日は熱意を持てるということ自体、リソースに恵まれたことかもしれないが*2
 
 また、もしも巡りあわせの運に恵まれるなら、望ましい影響を与えてくれる誰かに出会ってから全力投球するのもアリかもしれない――自力だけでは決して手の届かないチャンスの到来なのだから。知識や経験を授けてくれる人・適度な心理的距離を維持しながら良い付き合いが続けられる人といった、リソースの乏しさをカバーしてくれる人物に出会ったら、その縁を無碍にしてはもったいない。付き合いを大切にしていけば、僅かずつ、自分自身に変化が訪れるかもしれない。また、そうやって縁を大切にしていこうという意志をもった付き合い自体が、人間関係構築の貴重な体験になる。ただし、善人の顔をした搾取者というのはどこにでもいるので、人を見る目か、良縁を手繰り寄せられるだけの幸運か、どちらか一方はあったほうが良いが*3
 
 しかし、上記のようなチャンスがろくに与えられないような、とことんリソースの乏しい人は一体全体どうすれば良いのだろうか?
 
 1.何か、そういうリソースを提供するような慈善的な団体/コミュニティが世の中にはあるのかもしれない。しかし、少なくとも私はどういった団体が推奨できるのかをよく知らない。世の中には、人の劣等感につけこむ悪漢だっているだろうから、そのような団体/コミュニティ選びは慎重でなければならないだろう。カルトな団体に嵌ったら目も当てられない。
 
 2.知識面に関しては、他人の経験やテキストを参照にしても良いかもしれない。ただこれも、いわゆる情報商材の類やライフハック系が横行していることを思うと、コストに見合ったベネフィットを手にするには、それなりの鑑識眼と、即効性に拘り過ぎない忍耐心が求められる。
 
 しかし上記1.2.に限らず、他力本願なやり方は、その他力にあたる部分をどうチョイスするか次第なので、結局、他人を見極める能力や、自分自身のコミュニケーションの技能などが求められることになる。それが無理なら――他人が慈善者か詐欺師かを判断しないまま、エイヤと自分の運命を他人に委ねるほかないのかもしれない。
 
 

いっそ、諦めてしまったほうが幸せかもしれない

 
 個人的には、誰とも知れない他人に手綱を委ねるぐらいなら、いっそ、自尊心や自信を高めようと無理しないほうがマシなのではないか、とも思う。主体的な判断力・知識を蒐集する甲斐性・コミュニケーションの諸技能・情熱すら持たないような人は、仮に一時的に自尊心や自信が高まったとしても、どのみち、それを下支えする能力の不足によって元の木阿弥になってしまう可能性が高い。それぐらいなら、“自尊心の自転車操業”をひたすら究めたほうが良いのかもしれない。その方面のノウハウを蓄積するのも、決して無駄ではない。
 
 それは、コンテンツやガジェットを絶え間なく消費する道であり、コンテンツやガジェットの提供者に深く依存する道でもある。だが、それも人の生きる道の一つではあるし、喜びや楽しみを失ってしまうわけでもない。なにより、無理を重ねてメンタルを壊したりカルトな団体に捕まってしまうのに比べれば、まだしもローリスク・ローコストのように見える。
 

*1:特に、このブックマークコメントを読んでそう思った→http://b.hatena.ne.jp/REV/20120201#bookmark-78163245

*2:「嫌なことはやりたくない」どころか「なにも好きなことがない」というアパシーの塊のような人すら、最近は珍しくないので

*3:人を見る目!ああ、なんというぜいたく品だろう。人を見る目を10代20代のうちから養える人というのは、もうその時点でリソースに恵まれた人間といわざるを得ない。また、良縁を手繰り寄せるだけの幸運も、突き詰めてみれば、付き合う人間の本能的な選択・話しぶり・価値観などが深く関与する領域なのだから、これまた一種の“育ちの良さ”的な、社会的リソースの多寡によって大きく左右される領域と推定せざるを得ない