シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

街で、ものすごいクレーマーを見た。

 
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11523
 
 上記リンク先を読んだ直後、たまたま街で凄いクレーマーを見かけてびっくりした。会話から察するに、何かの契約内容にクレームをつけているらしかったが、クレーマーの言動があまりに強烈すぎて、見ているだけでしんどかった。対応した店員は、たぶん今日一日グロッキーだろう。
 

クレーマー「お前が説明しなかったから頭に来てるんだよ!」

店員「契約の内容については、事前に説明しました。これが、署名の写しです」

クレーマー「そんなのマトモに読んでるわけないだろ!私も忙しいんだから!(激怒)」

店員「では、説明を受けた事実は確かなんですね」

クレーマー「お前、私のこと馬鹿だと見下してるだろう!頭に来た!(さらに激怒)」

 
 うわぁ……こんな人、本当にいるんだ……。
 
 
 クレーム対応という次元で見れば、店員側にも非があるかもしれない。「もっと上手いやり方」もあるだろう。それにしても、「説明なんて受けていない」と言い張った挙句、自分が説明を受けた証拠を提示されたら「忙しいからまともに見てるわけないだろ!」と言い放ち、さらに「お前は上から目線だ」と声を荒げるような人物が、21世紀の日本社会にも存在するのか!
 
 携帯電話の契約時に、強迫的なまでに丁寧な、やたらと時間のかかった説明を行うのも、とどのつまり、こういう極少数の人々を念頭に置いているんだろうな、と納得した。
 
 

サービス提供者が支払う安全保障費

 
 リンク先の文章で、fromdusktildawnさんは、以下のように書いている。
 

よりよい社会のヴィジョンを描くとき、この「最低最悪のクズ」が社会に対して持つ構造決定力を無視して理想論をいくら語っても、それはただの夢想に留まる。
だから、よりよい社会を求める人間こそ、この、ごくごく例外的な、最低最悪のクズがどのような人間で、何を考え、どう行動するのか、彼らが持つ社会構造の決定力は具体的にどのようなものなのか、念入りに見極める必要があるのではないかと思う。

http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11523

 
 実物のクレーマーを見るにつけても、こうした「極少数の困った人による構造決定力」というやつは「リスク対応」を必要とし、最終的にはなんらかの「コスト」となる。確率的には一万分の一程度でも、一発で現場をシステムダウンさせるような事案に対しては、相応に対処しなければならない。対処できなければ、そのサービスが成立しないだけだ*1。「誰もがクレーマーになる自由」を尊重する社会においては、そのための種々のコストを躊躇ってはならないのだろう;「契約書の分厚さは厚く、システムは堅牢に、警備員は屈強にすべき。末端の従業員の精神衛生を守るためのコストもふんだんに支払うべき。」そうでもしない限り、従業員のメンタルヘルスを使い捨てに(ふざけるな!)する羽目になってしまうだろう。
 
 しかし、こうした人々に対処するためにサービス提供者側がハリネズミのように備える世の中は、あまり良い世の中とは言えない、と私は思う。システムを護るために重武装化したサービス業者のサービスを、高いコストを支払って購入する時代…治安とは別次元のところで、安全保障費がかさむ時代。
 
 コストを支払うだけならまだいい;もし、自分自身がサービス提供者側に回っている際に、その、滅多にいないけれども致命的に困った人に出会ったら、ともかくも“対応”しなければならないのである。もし、不運にも、そうした何万人に一人の困った人と対峙してしまったら、相手に余計な言質を与えず、感情を落ち着け、自分のメンタルヘルスを護れるような、そんな高度な技能が求められるだろう。それが出来なければ生き残れないとしたら…。
 
 

サービス業の最前線は、重戦車の徘徊する戦場

 
 先に述べた「極少数の困った人による構造決定力」というやつは、サービス業の業態を左右しているだけでなく、サービス業の労働環境全体や、個人メンタルヘルスの脆弱性全般にも、広く薄い影響を与えていると思う。たとえ頻度は少ないとしても、重戦車の如きクレーマーに自分自身が対応しなければならないかもしれないと思えば、もう、それだけでも大きなプレッシャーだ。そして、実際にそのような困った人に出くわしてしまったら、コミュニケーションの技能と、周囲の支援と、幸運がなければ、生き残れない。しかも見た目だけでは、誰が困った人なのかは識別できないときている。学校の先生方のプレッシャーなどは、いかばかりだろうか。
 
 最近、「職場では元気が無くて、職場以外では元気な“新型うつ病”が増えている」などと言われることがある。けれども、そんな“重戦車みたいなクレーマーがいつ襲ってくるか分からない環境”では、精神力を削られるのは当たり前じゃないかと私は思うし、職場/職場以外で気分のギャップが出るのも自然だよなぁとも思う*2。多少のプレッシャーやストレスはサービス業の常とはいえ、冒頭のクレーマーのような、物凄いケースに対応できる人は実際にはそれほど多くないのではないか。現実には、その耐えられないを耐えながら、たくさんの人達がサービス業の最前線で戦っているが。
 
 ところが、サービス業の従事者達の報酬は増えていないか、むしろ減っているのが現状だ。重戦車にいつ踏みつぶされるのか分からないリスクを背負って前線に出ていても、金銭的にはそんなに報われていないのである。“働いたら負けだと思っている”と言い出す人が現れるのも、無理は無い。
 
 リンク先の、fromdusktildawnさんは「よりよい社会を求める人間こそ、この、ごくごく例外的な、最低最悪のクズがどのような人間で、何を考え、どう行動するのか、彼らが持つ社会構造の決定力は具体的にどのようなものなのか、念入りに見極める必要がある」と文章を締めくくっている。私もそう思う*3。しかし残念ながら、こうした困った人達の見極めや対応は、ここ十年か二十年の間、おざなりになってきたか、どこかで道を間違えたようにも見える。そういった積み重ねが、今日の職場環境の風景や、心療内科の混雑っぷりの一助になっているとしたら、遺憾だ。
 

*1:あるいは対処に失敗した人間を打ち倒す

*2:尤も、そのようなギャップの大きな一群の人達を「うつ病」と呼称すべきなのか、それとも他の疾患概念で捉えるべきなのかは、論議の余地のあるところとは思うけれども

*3:「最低最悪のクズ」という過激なレトリックはさておき