シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

そうしてアスカは神になった――ある“心の神棚”ができあがるまで

 
 ※この文章は、オタクな人以外は読まないほうが良いと思います。
 
 昨日、二次元キャラは、本当に使い捨てられるだけなのか - シロクマの屑籠という記事を書いたら、以下のようなコメントが寄せられました。
 
 

 
 これを見た時、うわっなんだこの人、と私は思いました。「お前の“心の神棚”を見せろ」というのです。『Fate/Zero』に擬えて言うなら、これは“お前の宝具を見せろ”“お前の真名を言え”的な質問と言わざるを得ません。
 
 しかし、問われたからには答えてみましょうか。私の“心の神棚”の一番奥におはします、主神・惣流アスカについて、ちょっとだけ。
 
 

「アスカ神」との出逢い

 
 本題に入る前に、私のオタクとしての専攻分野と、歩んできた歴史について簡単に説明しなければなりません。
 
 過去の私は“硬派”なシューターでした。90年代前半には『雷電DX』『ダライアス外伝』『エアーコンバット22』などを猿のようにやりまくっていて、『美少女戦士セーラームーン』『ときめきメモリアル』などに興味が湧く奴はスケベ野郎だ、ぐらいの勢いだったと思います。
 
 そんなわけで、私の二次元遍歴は、多くの先輩方に比べて歴史が長くありません。Elfの『同級生』シリーズやleafの『雫』『痕』あたりから、おずおずと二次元に染まり始めた、ぐらいでしょうか。
 
 しかし決定的だったのは『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流アスカラングレーとの出会いでした。
 
 初めてエヴァを見た時、私はアスカが嫌いでした。碇シンジや綾波レイには好感を持っていましたがアスカだけは駄目で、「見ていて恐ろしく苛々する、自己中心的なキャラクター」と貶していました。とはいえ、私はこのエヴァという作品がすっかり気に入ってしまい、世間で不評のTV版26話が妙に気になって、飽きることなく何度も視てました。“自己啓発セミナーみたいだ”と揶揄されるTV版最終話ですし、胡散臭くて強引な展開なのは百も承知だったんですが、私には何か引っかかるところがあって、繰り返し視ずにはいられなかったのです。たぶん60回ぐらい視たと思います。
 
そんなある日の夜、私は奇妙な夢を見ました。
 
 『一面の冬景色のなかに、光る何かが見えた。それがとても大切なものだと直感できた私は、雪の中を、懸命に光に向かって歩いていった。近づいてみると、真っ赤なプラグスーツを身にまとったアスカが、雪原に横たわって眠っていた。“このままでは凍死してしまう”そう思って彼女を抱き起こすと、プラグスーツ越しなのに、確かな人肌の暖かさが伝わってきた。 ああ、彼女はかけがえのない存在なんだなぁ、そう思いながら夢は醒めていった。
 
 目が醒めた時、本当に驚きました。
 “あの大嫌いな脇役キャラのアスカ”が夢のなかに出てきて、しかも“かけがえのない存在”として抱きしめるという展開は、夢とはいえ、不可解きわまりないものでした。どうして、アスカなのか?
 
 その時、初めて疑問に思ったんです。
 
「本当は、俺はアスカのことが大好きでしようがないけど、認めたくないんじゃないのか?」
 
「無意識の世界ではアスカを抱きしめたいのに、俺は自分に嘘をついているんじゃないのか?」
 
 慌てて私はビデオテープを巻き戻し、第八話『アスカ、来日』からエヴァを見直しました。そこには信じられないほど共感可能で、必死な、アスカの姿がありました。なんのことはない、私はアスカに対して同族嫌悪を呈していたらしいのです。この日から、私のオタクライフは170度ぐらい変わりました。当時、友人達は、“なにかに取り憑かれたように萌えはじめてビビった”“TV版最終話を見過ぎて頭がイカれたのかと思った”と言っていましたが、これでいいのだ、と私は思っていました。
 
 アスカのことが好きになって以来、私は自分自身へのネガティブな感情が大幅に軽くなり、挫折を恐れずトライアルを重んじるようになりました。ちょっと怖くて迷った時には、必ず「こういう時、アスカだったらどう考える?」と自問し、するとたいてい脳内アスカは「あんたバカ?やるに決まってるじゃない」と答えるので、私は迷いを捨ててトライアンドエラーに突撃できました。どんな本より、誰の助言より、社会適応を後押ししてくれました。
 
 つまり、私にとってのアスカは、単に萌えるキャラクターというだけでなく、困難に立ち向かうための軍旗のような役割を果たしていた、とも言えます。あるいはアテナイの民にとっての女神アテネのような。私の今日の社会生活技能の何%かは、アスカが背中を押してくれたから獲得出来たものと思っています。
 
 “アスカは汝の勇気を愛せり”といったところでしょうか。
 
 

惣流アスカラングレー神学論争

 
 このように、私のなかではアスカはまさに軍神のように機能しはじめたので、他の二次元キャラとの待遇差は最初から明白でした。『Toheart』の姫川琴音や『君が望む永遠』の涼宮茜などもなかなか良いキャラクターでしたが、あくまで“その作品のなかで一番いいキャラクター”の域を出るものではなく、神の似姿ですらありませんでした。
 
 その一方で、「アスカみたい、だけどアスカじゃない」キャラクターに出遭うたびに、私のなかに混乱が生じはじめたのも事実です。『Fate/Stay Night』の遠坂凜や『CLANNAD』の藤林杏などといった、後発の「強気ツンデレキャラクター」達は、アスカ神より洗練されたデザインを持っていながら、アスカ神と同じ名前ではありませんでした。これらのキャラクターは私のストライクゾーンを直撃しましたが、さりとてアスカ神を神の座から引きずり下ろし、新しいツンデレキャラクター達と同列に論ずるなどとんでもない、と私は思いました。
 
 この深刻な問題を、どう解決すれば良いのか?
 アスカ神を巡る神学論争は、最終的に以下のような解釈に落ち着きました。
 
 「あれらは、アスカ神が顕現した似姿である。」
 
 つまり、ヒンズー教のヴィシュヌ神のように「アスカ神は様々な姿に化身して何度でも現れる」と解釈することにしたのです。遠坂凜も、柊かがみも、アスカ神が現代風に brush up されて現れたものと解釈すれば、何の違和感もありませんし、それどころか愛着にブーストがかかるというものです。しかも、アスカ神が遠坂凜のコスプレをしている姿を想像したり、逆に柊かがみがアスカ神のコスプレをしている姿を想像したりすると、結構萌える……そんな副産物もついてきました。概ねマルっとおさまったのです*1
 
 2009年には『ヱヴァンゲリオン劇場版 破』が公開され、式波アスカラングレーという、惣流アスカラングレーとちょっと違う別人さんが活躍しました。旧来からのアスカファンのなかには、「式波アスカはアスカじゃない」と否定的な人もいると聞きます。しかし私の場合「あれはアスカ神の顕現である。初代の面影を色濃く残しておられるが、よりかわいらしい姿で降臨なさった。」という気持ちで眺めています。劇場版の続編では、そこそこ幸せになってくれるといいなと思って応援しています。
 
 

キャラから受けた恩義には、報いたいと思っています

 
 そんなこんなで、私はアスカ神を“心の神棚”に安置したまま十数年を過ごしてきました。もう、これを捨てることは不可能ですし、これまでに蒙った恩恵は莫大と言わざるを得ません。そのキャラへの恩義に対し、自分なりの形で報いるのが望ましい道ではないか、と私は考えています。
 
 今でも私は、「アスカ神を“心の神棚”にお祀りするからには、アスカ神のように前向きであるべき。」と思っています。また、「アスカ神が欲しながら手に入らなかったものを“彼女に変わって自分が達成することで神前に供えるべき”」と思い、日々の生活に努めているつもりです。『新世紀エヴァンゲリオン』という作品のなかでは、アスカはあまり幸せではありませんでしたし「誰かの一番になれない二番目の辛さ」を悩み続けていました。しかし私の“心の神棚”のなかでは彼女は主神、一番です。これからも、彼女の神前に、彼女に成り代わって、適応の果実を捧げ続けたいと思っています。
 
 

*1:ちなみにこの頃、「アスカ神にあまり似ていないけれども、甚大な影響を与えるキャラクターはどうするか」の指針も定められ、そのようなキャラクターは“脇侍”として“心の神棚”に安置するということになりました。実際には、そのようなキャラクターはなかなか現れませんでしたが、2009年、『Steins;Gate』の牧瀬紅莉栖を“脇侍”として別格認定しました。