シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「いいね!」を一万人分集めても「愛してる」にはかなわない

 
 タイトルで言い切ったような気がするし、当たり前といえば当たり前の事ながら、両者を混同している人が意外に沢山いそうなので。
 
 たくさんの人から「いいね!」(like)と言ってもらえると、大抵の人は自己愛が充たされて気持ち良くなれる。この陶酔感を求めて、不特定多数とのコミュニケーションや“スポットライト”を求める人も少なくない。最近は Facebook の「いいね!」ボタンやtwitterの「お気に入り」ボタンをはじめ、こうした like を簡単にやりとりできるツールが普及し、「いいね!」が手軽に行き来するようになった。
 
 ところが、この「いいね!」、瞬間的には気持ち良くても、心の渇きや寂しさを埋め合わせるには適していない。麻薬が一過性の快感しかもたらさないのと同じように、不特定多数からの like は、刹那の快感しかもたらさず、心の渇きや寂しさは埋め合わせてくれないからだ。
 
 勿論、一時的に寂しさを忘れるぐらいなら可能だ。不特定多数からの「いいね!」は、しばしば人間の心を陶酔させ、場合によっては麻痺させる。だからこそ人々は「いいね!」を求めるわけだが、この陶酔感や麻痺感は持続しにくい。早ければ数時間、遅くとも数週間程度で心の渇きや寂しさが戻って来て、またぞろ「いいね!」集めに奔走しなければならなくなる。
 
 このため、「いいね!」の陶酔感や麻痺感に頼った心理ストラテジーは、「いいね!」を恒常的に収集できない限り、慢性的な心の渇きや寂しさに悩まされることになる。そして実際には、不特定多数から「いいね!」を集め続けられる人間など限られており、そんな彼らでさえ、寂しさを他の何かで埋め合わせようとして足を滑らせる者が現れるくらいなので、「いいね!」頼みの心理的適応は、かなり危ういと結論づけざるを得ない。
 
  

一人からのloveは、一万人からのlikeより強い

 
 これに対し、持続的な「愛してる」(love)は、心の渇きや寂しさを持続的に和らげてくれる。この love に相当するエモーションは、家族・恋人・友人同士といった持続的な人間関係のなかで贈りあうのが一般的だ。「いいね!」の収集を飯の種にしている人達も、殆どの場合、こうした love を授受するような人間関係をプライベートな領域に構築しようとする*1
 
 「愛してる」と「いいね!」との鑑別ポイントは、「持続的だと感じられるか否か」と「かけがえのなさ」だ。持続的と感じられるほど・かけがえが無いほど、それは love な性質を帯び、刹那的であればあるほど・代わりが利けば利くほど、like な性質を帯びてくる。で、人間の心理的なニーズを充たし続けてくれるのに適しているのは love であって like ではないらしいので、「いいね!」を一万人から貰ったところで、一人からの love にはかなわない。
 
 そもそも、一日に何遍も、気前良く配られて、明日になれば忘れられるような「いいね!」など、所詮、その程度でしかないのである。
 
 人は、一人では寂しいと感じやすい生き物だ。その、寂しさに対抗するにあたり、持続的でかけがえのない love が望ましいのか、刹那的で交換可能な like が望ましいのかは、明らかだ。ところが、少なからぬ人々が、「いいね!」で「愛してる」を埋め合わせようとしたり、あまつさえ「いいね!」だけで寂しさに対抗しようとしている。たいへんな勘違いだと思う。やめたほうがいい。
 

*1:ここで「構築しようとする」とわざわざ表現したのは、「いいね!」を集めるプロの人達が、ときに love の授受に失敗し「孤独な人気者」になってしまう事もあるからだ