シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「承認欲求の赤色巨星」に会いに行く

 
 病院の待合室で待っている間に、ちょっと。
 
 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318836288
 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671
 
 ベストセラー作家が、インターネットのなかでは辺境と言っても差し支えの無い、(株)はてな の社長やユーザーに対して繰り返し言及するさまを見て驚愕した。と同時に、その言及に際してのレトリックが尋常ではなく、id:aureliano氏こと岩崎夏海さんの作家性の一端を垣間見たような気がしたので、書きとめておく。
 
 

aureliano氏の自己イメージは、ベテルギウス並みの超巨星

 
 一連の記事を見て私が連想したのは、太陽の数百倍の質量を持った赤色巨星・ベテルギウスだった。冬の空、ギラギラした赤い光を放つオリオン座の一等星だ。氏は、「Stay hungry, Stay foolish」とご自身でおっしゃっているが、もっと認められたい・もっと上に行きたいという、ギラギラした承認欲求が滲み出ていて、眩しくて見ていられない。『ドラゴンボール』で例えるなら、ヤムチャやクリリンより悟空に通じるような、純度の高さを伴っている。
 
 そして自己イメージの巨大さという点でも、氏は常軌を逸している。「自分は特別扱いされて然るべき」という願望の大きさは、特大クラスと言えるだろう。数年前、氏はなぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか?という記事を書いているが、こんな記事は、よほど自分が特別だと思っている人間でなければ思いつくことすら不可能だろう。そして今回も(株)はてな の近藤社長のことを書いているとおぼしき記事を書いているわけだ。一度なら偶然かもしれないが、二度となると、どうか。白眉は以下のような言明である。
 

・なぜぼくのことを『ソーシャルネットワーク』に出ていたマーク・ザッカーバーグみたいだと思うの?
・なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671

 自らを、スティーブ・ジョブズに準えるとは!いくらベストセラー作家とはいえ、今をときめく故・スティーブ・ジョブズ氏と自分自身を並べるなど、凡人には思いつくことすら無理だろう。いや、小学生や中学生が「俺ってスティーブ・ジョブズみたいじゃね?」と言っているのなら別に珍しくもなんともない。しかし四十代を迎えた人が、「お前らは、どうして俺をジョブズのように崇め奉らないのか」と疑問形の文章を想起するのは稀有と言っていいのではないだろうか。
 
 これはもう、「中二病乙」とか、そういう次元の話ではない。
 
 WWWという公開の場で、スティーブ・ジョブズを自分自身に関連付ける程度に膨れ上がった自己イメージを、隠すことなく表明してしまえることが、既に非凡、何かが決定的に違っているといいたいのだ。これが凡人であれば、もっと身の程を弁えた比較対象にするか、小賢しい謙遜のオブラートに包みきれない自己イメージが漏れ出るぐらいが関の山だろうが、aureliano氏はそのようなことをしない(またはできない)。四十代になっても、このメンタリティとレトリック術を維持していること自体、ひとつのタレントだ。氏をしてベストセラー作家として成功せしめた重要な要因なのだろうと思う。
 
 そのような意味においては、aureliano氏は間違いなく“本物”である。
 
 

自己イメージの巨星は凡人の何百倍もの栄光を必要とする

 
 ただ、こうした巨大な自己イメージは良いことばかりではない。
 
 自分を偉大だと思えば思うほど・自分が特別な人間だと思えば思うほど、その巨大な自己イメージをキープするためには、現実世界で相応の成果を挙げなければならなくなる。巨大な自己イメージを抱いている人が、自分自身に満足し、安定したメンタルヘルスを維持するためには、実際にビッグな成果なり賞賛なりを集め続けなければならない*1。出来なければ、自己イメージと等身大の自分自身とのギャップに苦しむことになるだろう。
 
 また、こういった巨大化した自己イメージは、しばしばインフレを起こす。ベストセラー作家の次は直木賞、直木賞の次はノーベル文学賞…といった具合に。aureliano氏が、現在、自己イメージに関する言及でスティーブ・ジョブズを想起しているところをみると、『もしドラ』執筆時に比べて自己イメージは大きくなっていると推定したくなる。いや、初めからスティーブ・ジョブズ並みの自己イメージを抱いていたとすれば、それこそ超人的だが。
 
 いずれにせよ、あれだけ大きな自己イメージに現実の帳尻を合わせるためには、もう、歴史の教科書に載るような文豪にでもなるほか無いのではないだろうか。一般的に、凡人は、つつましい賞賛や栄誉で心理的な満足が得られるが、巨大な自己イメージを抱えてしまった人は、並大抵の賞賛や栄誉では心理的な満足を得ることが出来ない。凡人の数百倍の、ベテルギウスのような自己イメージの人ともなれば、それに見合った巨大な賞賛と栄誉を得なければ心理的な満足が得られないだろう。しかも、先にも述べたように、自己イメージのインフレーションが起こってしまうと、さらに巨大な栄光を勝ち得なければ、心の渇きが癒されない。砂漠の逃げ水のように、心理的な潤いが遠ざかっていく。
 
 もちろんこれは、作家としてのaureliano氏にとって悪いことではないのだろう。むしろ執筆の駆動力としては申し分ない“才能”さえ言える。凡人なら満足してしまうところでも、aureliano氏なら、自己イメージの巨大化に伴って遠のいていく心理的な充足感を、どこまでも追いかけ続けることが出来るだろう。いつまでも心の飢えや渇きが充たされない者ほど、心身の限界まで挑戦に賭けられるのだから。
 
 しかし、aureliano氏という一個人の幸福にとって、この“才能”が良いものなのかは、私には分からない。成功し続けるだけの文筆家的素養と、執筆を支えてくれる人達との人脈があれば、氏はヴァルハラの栄光へと到達できるかもしれないが、もし失敗すれば、自己イメージと現実との乖離の苦しみに、人一倍苛まれるのは目に見えている。巨大な自己イメージは、それ自体は“才能”の一つとしても、それだけでヴァルハラの栄光にたどり着けるわけではない。そして実際には、一人の巨大な栄光の足元には、無数の挑戦者の屍が埋もれている。そういう観点から見れば、aureliano氏の“才能”は“宿痾”とも言える。素養と運と体力に恵まれない挑戦者を、片っ端から煉獄送りにする、暴れ馬のような人間的性質。
 
 はてなダイアリー利用者の一人としては、aureliano氏がこの暴れ馬をどうにか乗りこなしてみせることを祈りたい。自己イメージの超巨星は、輝き続けてナンボのもの。ブラックホールにはなって欲しくない。
 
 [関連:]ハックル野郎こと岩崎夏海氏がフルスロットルで電波放出中: やまもといちろうBLOG(ブログ)
 
 ※→おまけはこちら。
 

*1:それも、一瞬ではなく、長きにわたって