シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

知識をウォームアップするためのネットコミュニケーション

 
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/7546
 
 リンク先のタイトルとは少しずれるかもしれないけど、ネットコミュニケーションのおいしい部分が書いてあるなぁと思った。
 

 それと同じように、知識にはパッシブな知識と、アクティブな知識があって、パッシブな知識ばかりをいくら大量に摂取しても、それをアクティブな知識にすることができなければ、その知識を実戦で使用し、自分の人生や社会をよりよいものにしていくことはできない。
 だから、この知識のアクティブ化プロセスこそが、現在のネットの最良の部分の一つだし、そのプロセスがインターネット全体で公開されて行われているからこそ、多くの人がそのプロセスを通じてアクティブな知識を身につけることができている。

http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/7546

 これ、すごく分かる。
 
 テキストブック、特に独学で知識を仕入れるのと、誰かとコミュニケーションをしながら知識を仕入れていくのでは、インプットの内実が違うと常々感じていた。
 
 テキストブックから得られる知識は、ただそれだけでは使いこなしにくい。融通や応用が利きにくく、間違った解釈をしていても気付かず通り過ぎている可能性もある。
 
 でも、他人とのコミュニケーションを介して知識を仕入れる際には、教科書的な細かな知識は整いにくい代わりに、具体的な事案から入れるし、間違った解釈をしていたら誰かが教えてくれる可能性がある。それと、コミュニケーションのなかで使いこんでいくうちに知識はウォームアップされ、準備運動した後の身体のようによく動いてくれるようになる。なんというか、本だけで仕入れる知識に比べると、誰かとコミュニケーションして用いられる知識は“柔らかくなる”。
 
 なにより、「応答」があるという点が大きい。パッシブに知識を仕入れるのと「応答」というインタラクティブを通して知識を仕入れるのでは、記憶のされ方が全然違う。誰かと喋った知識はよく記憶に残るし、その知識はよく暖まってほぐれやすい。このメリットは、一人でテキストブックを読んでいるだけでは得られない。
 
 昔だったら、こういった知識のウォームアップの場というのは、学会の懇親会だったり、研究室での耳学問だったり、“現場”での会話などに限られていた。それらの“場”は勿論貴重だったし、そこで知識をさんざん暖めてから正規のテキストブックに挑むことで、効率良く知識を吸収できた。
 
 で、今はネットコミュニケーションがある。お手軽にコミュニケートできるネットツールのお陰で、自分とは専門や立場の違う人とも耳学問的なコミュニケーションが出来るようになった――それも、通勤通学中のような、ちょっと空いた時間にだ――。面と向かって喋るのに比べれば、やや効率で劣る部分もあるにせよ、それでも様々な分野の人達とコミュニケーション出来るのは掛け替えがない。自分の所属・ポジションとはある程度無関係に、雑多な職種・立場の人とコミュニケートし、知識を暖め合うチャンスが得やすくなったのは、やはりインターネットのお陰だと思う。
 
 だから、知識をウォームアップするようなネットコミュニケーションは、とても有意義だと思うし、どんどんやったらいいと思う。ネットの場合は、予想もしなかった方面から耳学問が転がり込んでくることもあるから、好奇心を刺激される機会も多い。“集合知”なんて立派なものじゃないけど、勉強前/仕事前に、ちょっとネットコミュニケーションで脳や知識を暖めてから、テキストブックなり現場なりに臨むってのは、かなりアリなんじゃないかと思う。
 
 

「間違いがあってもいいじゃないか、ネットだもの」

 
 こう言う人もいるかもしれない。
 「ネットで間違えたら恥ずかしい」。「間違っていたら、炎上するかもしれない。」
 
 確かに問題かもしれない。リンク先のfromdusktildawnさんも、この点に言及している。

しかし、残念なことに、そういうプロセスを惹起するような良記事を書く作者をバカにしたり、人格攻撃したりする人たちがいる。

そういう人たちは、他の多くの人々が思考途中の未熟な考えを記事にするのを思いとどまらせてしまう。実に多くの人が、ネットで理不尽に叩かれるのがイヤだからという理由で、ラフで未熟な思いつきは、記事に書かなくなってしまうのだ。

http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/7546

 こういうノイズの混入も、ネットコミュニケーションではよくあることだ。
 
 それでも、間違えたっていいんじゃないか。
 ネットコミュニケーション――特にログが後ろに流れるタイプのネットコミュニケーション――は、基本的に「お喋り」「思考をまとめるプロセス」と割り切ってお喋りするのもアリなんじゃないかと思う*1。このあたりは従来の耳学問と同じく、「わかったふりをするよりは、間違ってもいいから貪欲に聞いたり喋ったりする」のほうが、色々知るには向いていそうだし、そういう気軽なコミュニケーションを認められる仲間を増やせばいいんじゃないかと思う。
 
 世の中には、「ネットでは正しい書き込みをしなければ罵倒や非難が集まっても仕方がない」、と厳格に考えている人もいるかもしれないし、“犯罪予告のような書き込み”は避けるべきだが、ネットコミュニケーションを、口頭試験のような厳格さをもってやるとしたら、知識のウォームアップなんて望むべくもない。そういうのは、自分の正しさを証明するためにネットコミュニケーションをやっている人達に任せておけばいい。
 
 間違ったっていいじゃないか、ネットコミュニケーションだもの。
 教科書を執筆してるわけじゃないんだし。
 
 

「誰とコミュニケーションしているのか」が、重要

 
 で、こういった、知識のウォームアップにあたっては、誰とどんなコミュニケーションを取っているのかが、極めて重要になってくると思う。誰の発言を読み、誰にreplyするのかによって、知識のウォームアップの内実は全然変わってくる。つまり、ネットでの耳学問は、あなたがどんなfollowersやfriendsとコミュニケーションしているのか次第、と言える。意見が対立していても相互信頼を保ったまま議論できる相手や、値打ちのある情報・風変わりなアイデアをもたらしてくれる相手は、たいへん貴重な存在だ。敬意を忘れず、大切に付き合っていく甲斐があると思う。
 
 知識のウォームアップや耳学問は、ネットコミュニケーションの値打ちのなかでも無視できない分野のはず。
 そのためにも、ネット上では良い縁を。
 

*1:もちろん、そういう時に断定口調を無闇に使いすぎないような、レトリック上の配慮は必要だが。