シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「異性への要求水準を下げる」よりも大切なこと

 

 chikumaonline : 婚活という「不都合な真実」(前篇)
 chikumaonline : 『婚活という「不都合な真実」』(後篇)
 
 よく、婚活絡みの話で「異性に求めすぎてはいけない」とか「要求水準を下げる」ってアドバイスを聞きます。曰く、「男性に高すぎる収入を求めてはいけない」とか「女性にルックスを求めすぎてはいけない」とか。まあ、わかる話のような気もします。けれども「要求水準を下げる」って、なんだかネガティブで、難しい割には報いが少ないような気がしませんか。
 
 「要求水準を下げる」って、要は「ただ我慢しろ」って事じゃないですか。アドバイスする側にとって、我慢を説くのはいかにも簡単かもしれませんが、アドバイスされる側にとって、たまったもんじゃありません。そんな我慢と妥協の気持ちを抱えながら何十年も結婚生活していたら、だんだん心が暗くなってしまいそうです。
 
 

「要求水準を下げろ」ではなく「要求水準を変えろ」

 
 確かに、「要求水準を下げる」しかない人もいるかもしれません。あらゆる点で完璧な異性を求めてやまないような人は、そのままじゃ結婚なんてとても無理です。そういう人は、要求水準を下げるか、結婚しないで生きていくか、どちらかだと私も思います。
 
 でも、世の中の「“いわゆる”要求水準の高い人」は、あらゆる点で完璧な異性を求めているというより、特定の評価尺度に偏った形で、異性にハイスペックを求めているように見えます。“女性のルックスに拘る男性”“男性の年収に拘る女性”とか、そういった具合にです。
 
 もったいない!
 
 たったひとつの物差しで人間を評価してしまうと、その評価尺度で上位の異性だけがパートナー候補になって、そうでない異性は全部アウトということになってしまいます。わざわざストライクゾーンを狭くしているようなものです。
 
 しかし実際には、人間の良いところは多種多様で、ルックスだけが女性のすべてでもないし、収入だけが男性のすべてでもありません。例えば「収入が少ない男性」と一言で言っても、節約や自炊のノウハウの豊かな男性・お金をぜんぜん使わない男性もいるわけで、このような男性の場合、見かけ上の収入の少なさをある程度まで補っていると言えます。逆に、お金にだらしない男性であれば、いくら高収入でも生活は大変です。
 
 同じく、女性だってルックスだけがすべてというわけでもありません。第一、ルックスなんて年齢とともに変化していくものです。もし男性が、二十代前半の女性のルックスをパートナー選択の基準にしていたら、パートナーが加齢していくことに耐えられるでしょうか?歳を取ってきたら若い娘が恋しくなって、浮気や離婚に至ってしまうのではないでしょうか。
 
 本当は、異性の魅力って、ものすごくたくさんある筈なんですよ。肝っ玉、愛嬌、世話好き、料理の腕前、自分と同じような趣味の共通性……挙げればきりがありません。そういった多種多様な異性の魅力のほとんどを無視して、やれ収入だ、やれルックスだと、少ないキーワードで絞り込み検索するのは上手くないと思うんです。 
 
 第一、それって異性を人間としてちゃんと見ていないってことじゃないですか。
 
 男性の収入ばかり拘っている女性は、つまり、男性の財布はジロジロ見ているけれども、ほかの部分をまともに評価していないって事でしょうし、女性の顔だのおっぱいだのばかり見ている男性は、それ以外の魅力や長所をまじめに探っていなさそうです。
 
 それじゃまるで、パートナーと結婚するっていうより「財布と結婚する」「おっぱいと結婚する」みたいです。そんな調子で、夫婦という、協力しあいながら苦楽を共にするパートナーシップを構築できるのか、私には疑問です*1。なんだか「金の切れ目が縁の切れ目」「おっぱいの切れ目が縁の切れ目」みたいになっちゃいそうで心配です。
 
 ですから、婚活をやっている最中だけでなく、晴れて結婚した後のパートナーシップまで考えるにつけても、「異性への要求水準」を狭い範囲で求めるのは上手くないと私は思います。
 
 パートナーへの要求水準をただ下げようとするのではなく、いろんな角度から異性を眺めてみてはどうでしょうか。今まで無視していた魅力が、たくさん見えてくるかもしれません。
 
 

「異性への要求水準を変える」=「自分の要求水準を多様化する」こと

 
 そして、「異性への要求水準を変える」ということは、「自分の要求水準を多様化する」と限りなくイコールです。もっと言うなら「異性を見る目を変える」ということです。具体例を挙げるなら、女の子の顔とおっぱいしか見ていなかった自分から、女の子の気配りとか肝っ玉とか、そういうものも評価する自分になる、ということです。
 
 このため、異性への要求水準を変えていくためには、まず自分自身が変わっていかなければなりません。現在の男性観/女性観や人間観がすべてなのか、他にも人間や幸福について見方があるか、考え直す必要があるでしょう。
 
 ただし、いわゆる「自分を変える」は自分ひとりの力ではとても難しいですし、頭で考えているだけでは何も変わらないことのほうが多いと思います。実際には、「自分を変える」「新しい価値観に出会う」のは、自分自身の内側からではなく、他人や環境や境遇といった、外部からもたらされることが多いのではないでしょうか。今までどおりの人間関係・生活環境では、出会う刺激や聞く台詞はあまり変わりませんから。 
 
 ということは、「自分自身の価値観や人間観」を変えるのを急ぐ人は、新しい人間関係や環境に飛び込んでみるのが良いかもしれません*2。別に急がなくても構わない人は、変化が訪れるのを待って、その変化にしっかり食いついていくのが良いかもしれません。どちらにせよ、新しい人間関係や環境を避けてばかりでは、自分自身に変化をもたらすのは難しいだろうとは思います。
 
 

それでも「要求水準を下げる」よりずっといい

 
 ともあれ、「異性を見る目を変える」のも「ただ我慢する」のと同じぐらい大変そうです。だから、誰でも出来るものだとは私には思えませんし、それなりに手間暇もかかると思います。出会いの運も必要かもしれません。でも、そうやって異性の魅力を多様化・多角化していった先にパートナーを見つけるのは、ただ「要求水準を下げる」より、結婚後の満足感・パートナーをかけがえなさといった面で、ずっと良いと思うんです。
 
 そんなわけで、婚活に限らず、もっと異性のいろんな魅力を発見するのが素晴らしいと私は思います。第一、そのほうが異性とのおしゃべりがずっと楽しくなるでしょう。少なくとも私なら、「この男の年収のために仕方なくおしゃべりしてやってる」「この退屈なデートに付き合うのは、おっぱいのためだ」とか、まっぴらごめんです。それに、“我慢して付き合っている空気”って、勘のいい異性にはすぐバレちゃいますよ?だから、財布やおっぱいしか見ていないような人は、見る人が見ればすぐ見抜かれると考えておいたほうが無難です。そして、そういう勘の鋭い異性のほうが、渡世のパートナーとして頼り甲斐があるのはいうまでもありません。
 
 婚活する人もしない人も、“人間としての異性の魅力”をもっと色んなアングルからみつめたほうが、幸福な人生に近づきやすいんじゃないかと、私はいつも思っています。
 

*1:念のため断っておきますけど、婚活にとって結婚はゴールでも、夫婦の生活にとって結婚はスタートでしかありませんからね!

*2:ただし、これはストレスの源になりかねないので、メンタルに余裕の無い人にはリスクとなり得ます