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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

親から子へとシューティングゲームの技能が引き継がれた人の話

 
 
 こないだ、故郷の古いシューター仲間と喋っていて興味をそそる話を聞いた。なんでも、彼が知り合った全国トップスコアの記録を持っているシューターが「二代目」なんだとか。
 
 いわく、彼の父親はシューターだった。『沙羅曼蛇』を二周目クリアできるような腕前の人物だったらしい。シューティングゲーム黄金期のシューターとして、ありがちな話ではある。そんな父親のもとに生まれた息子は、シューティングゲームの腕前がメキメキ上がって、高校生ぐらいには全国トップスコアを記録するようになった(いわゆる“全一”スコアラー)のだという。
 
 なんというか、サラブレッドな二代目だなぁと思った。
 父譲りの素養の問題だけでなく、シューティングゲームを間近に感じられる環境だったからこそ、弾避けやパターン構築の才が育まれた、ということか。ちょうど、ピアノを弾くのがテレビを観るように当たり前の家庭で育った子どもが、日常的にピアノをいじっているうちに、呼吸するようにピアノを弾けるようになるのと同じようなことが、シューティングゲームというジャンルでも起こるのか、と思った。
 
 その一方で、この二代目さんが今でもシューティングゲームをハイレベルかつ楽しくプレイしているのは、父親が余計な強制をしなかったからだろう、とも思った。もし、父親が、父親自身のエゴのもと、子どもをトップシューターに仕立てようとしていて、それが十分以上に押し付けがましかったら、たぶん彼は続かなかっただろう。ハイスコアを目指す自分自身との戦い*1は、自分の意志と欲求にまかせて行うから続くのであって、誰かに強制されてハイスコアを目指すとか、まともじゃない。想像してみてほしい――難易度lunaticの『東方』シリーズや『怒首領蜂』シリーズの二周目を「夏休みの宿題」にされたら、どんなに苦痛になるか。
 
 
 *   *   *
 
 
 私は、「義務のようなシューティングゲームの修練風景」を見たことがある。スコアラーのたくさんいるゲーセンで、前途有望そうな若い人をリクルートして、全一シューターの“新人教育”を施しているような風景だ。体育会系のようにシューティングゲームをスパルタ教育するというのもシュールな話だが、嘘ではない。
 
 私の所属していたゲーセン仲間の間では、そうやって“新人リクルート”“新人教育”をしているグループのことを「人攫いのようなスコアラー集団」と呼び、ちょっと距離を置いて付き合っていた。また、そこで「新人教育」を受けている若い人に対しては、「誰かに言われてシューティングゲームなんかやってたら、多少上達しても趣味にはならないよ」と伝え、しんどくなったらいつでもこちらにおいでと伝えていた。
 
 結果は残念なものだった――スパルタ教育を受けて、かなりシューティングゲームが上達していたある一人のシューターは、ある日を境に、ぱったりゲーセンに来なくなった。風のうわさで、隣町のゲーセンにいると聞いて様子を見にいったら、彼はもうシューティングゲームはやらないという。パズルゲームを黙々と遊び続ける彼に、私は「それでいいんだと思うよ」と言うほかなかった。こうして、一人のシューターの未来は失われた。似たような話は他にも幾つかあって、シューターを育てているのか潰しているのか、傍目にはよくわからなかった。
 
 *   *   *
 
 シューティングゲームだけに限らず、コンピューターゲームというジャンルは親子二代にまたがるぐらいの歴史を持ち始めている。今後、親から子へとゲームへの情熱やゲームプレイ環境が引き継がれることが増えてくるだろう。その際、どのようにすれば子どもがゲームを引き継ぐのか・また引き継がないのかを巡って、色んな物語が生まれるのかもしれない。
 
 いずれにせよ、子どもは親の人形ではないし、親の願望と子どもの願望を混同してはいけない。
 
 無理矢理ゲームをやらせるとかは最悪だと思うし、もし子どもがゲームから離れていくとしたら、その後ろ姿をどう見送っていくのかが親世代に問われることもあるかもしれない。どんなにそのゲームジャンルに親が惚れ込んでいても、それを押しつけのように子どもに与えてしまうようでは、きっと次の世代はそのゲームを楽しんではくれない;そこのところを勘違いしてはいけないのだろう。
 

*1:全一スコアラーを目指す場合は、他のシューターとの戦いでもあるが