シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「ナルシシズムの時代」と、Twitter、Facebook

 
 科学者が警告! TwitterやFacebookは「自分を見て!」世代を作り出している | ロケットニュース24
 
 リンク先のタイトルを見て、その通りだと思う人は多いかもしれない。実際、TwitterやFacebookに限らず、インターネット上の各種コミュニティやSNSは「自分を見て!」というせっかちな願望の大洪水であり、ナルシシズムの無限回廊が電子の海の彼方まで続いている。だからSNSやネットツールが「自分を見て!」世代の元凶だと推測したくなるのはわかる。
 
 けれども、これは逆だと思う。
 TwitterやFacebookが「自分を見て!」世代を作ったのではなく、「自分を見て!」世代のおかげでTwitterやFacebookのようなツールが成功したのではないか。
 
 

「ナルシシズムの時代」はいつから始まっていたのか

 
 ここで、「自分を見て!」的なメンタリティ――言い換えるなら、せっかちに自己愛を充たすことを求めてやまないメンタリティ――がいつ頃から存在していたのか、再確認してみる。
 
 アメリカ大陸で、がつがつと自己愛を充たさずにいられないメンタリティが注目を集めはじめたのは、遅めにみても1960年代の頃のことで、それまでの治療法が通用しないクライアントとしてまず精神分析家の目にとまり、やがて、社会全体の傾向として多くの人が注目するようになっていった。例えば歴史家のクリストファー・ラッシュは『ナルシシズムの時代』のなかで、自己愛に汲々とする時代に警鐘を鳴らしている。
 

ナルシシズムの時代 (1981年)

ナルシシズムの時代 (1981年)

 

 ナルシストは、人生の意味と空虚さの克服とをうたっているセラピーに通ったりもするのだが、そのくせ、職業上のキャリアではかなりの成功をおさめていることが多い。ナルシストには、人に与える印象を自由にあやつれる才能がそなわっている。――つまり、こんな複雑な芸当をマスターしているため、政治やビジネスの世界でうまくたちまわることができるのだ。なにしろ、現代の政治やビジネスの世界では、実績などより、「人目につくこと」「いきおい」、あるいは勝利の記録などのほうが大切だからである。
 
 クリストファー・ラッシュ『ナルシシズムの時代』,ナツメ社,1981, P76より抜粋

 これは1978年にラッシュが当時のアメリカ社会について書いた一文だが、現代のインターネットの風景に当てはめても、だいたい合っているように読める。少なくとも、相通ずるところはある。「自分を見て!」的なメンタリティは、TwitterやFacebook普及以前どころか、インターネット普及以前から準備されていた、と捉えるほうが妥当だ。そもそも、せっかちに自己愛を充たせるツールがリリースされても、せっかちに自己愛を充たしたがる人が十分に存在しなければこれほど普及するわけが無い。
 
  

TwitterやFacebookがナルシシズム世代をさらに加速する

 
 では、TwitterやFacebookなどがナルシシズムの“原因”にはならないと見做して構わないだろうか。私は、そう考えない。
 
 TwitterやFacebookのようなコミュニケーションツールは、20世紀には存在しなかった。これからの世代は、複数の他人から即座にリアクションが期待できるようなこの種の自己愛充当ツールに思春期前半から親しむことになる。その積み重ねは、思春期以降の自己愛の成熟プロセスやアイデンティティの形成プロセスに影響を与えずにはいられないだろう。
 
 おそらく、あまりに若いうちからネットで即座にナルシシズムを充たしていると、「自分を見て!」は加速する。いや、“歯止めが利かなくなる”。アウトプットや努力がすぐさま「いいね!」に結びつかなければ気が済まないパーソナリティ傾向が強まるのではないか。将来、そうした即時的に評価されるような仕事に就く人には好都合かもしれないが、長期的な修行期間を要する職業を目指す人にとって、これはハンディキャップとなるかもしれない。満足できる仕事の幅が、即時的な分野に限られてしまう可能性がある――「なんですぐに『いいね!』って反応してくれないんだ!こんな仕事辞めてやる!」といった具合に。*1
 
 そして言うまでもなく、“槍玉”にあげるべきネットツールはTwitterやFacebookだけではない。それらが流行る前から、それなりに早いリアクションタイムで自己愛を充たせるネットツールが普及していたんだから。日本の場合、Mixiやモバゲータウン*2などが先行してユーザーを集めていたことを忘れるべきではない。結局、この問題は今に始まったのではなく、少なくとも数年以上前から始まっていた問題であり、厳密にはパソコン通信〜インターネット黎明期まで遡ることが出来るものと言える。例えばシェリータークル『接続された心―インターネット時代のアイデンティティ』(1998,早川書房)には、インターネットとパーソナリティ形成についての先行的な議論が記されている。20世紀末の段階で、気付いていた人は気付いていた、というわけだ*3
 

接続された心―インターネット時代のアイデンティティ

接続された心―インターネット時代のアイデンティティ

 
 とはいえ、じゅうぶん洗練されたネット自己愛充当ツールが本格普及しだしたのは21世紀以後のことだから、その影響が世代全体の広い範囲に及んでいる様子を観察できるのは、1980年代後半〜90年代に生まれた世代あたりからだろう*4脳が若いうちから「いいね!」ボタンや「拍手」ボタンに慣れ親しんだ世代が、どういう大人になって、どう振舞っていくのかが明らかになるのは、これからだ。よくよく注視していきたい。
 
 [関連]:エヌ氏の一日
 

*1:そして“twitter脳”だの“Facebook脳”だのといった定型句がゴシップ誌を飾るようになるのだろう

*2:現Mobage

*3:ただし、この本を今読むと、あまりにも楽観的に過ぎる議論のように読めてしまうかもしれないが。

*4:それ以前の世代の場合、十代のうちからネットで自己愛を充たし慣れている人間が、アーリーアダプターだけに限られてしまう