シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

なぜ「マミさん=ぼっち」説が広がったのか

 

魔法少女まどか☆マギカ クッション まどか&マミ

魔法少女まどか☆マギカ クッション まどか&マミ

 
 『まどか☆マギカ』絡みで、ネット上で「マミさんはぼっち」というフレーズを頻繁に見かける。少なくとも「杏子はぼっち」「ほむらはぼっち」などよりは頻度が高いのではないか。これは、いわゆるカップリングにおいて「ほむまど」「杏さや」が定番だからだというのが大きいのだろう。しかし実際に作中のマミさんをまじまじと眺めると、杏子やほむらなどより遙かにぼっちらしくない身振りを身につけている。
 
 ちょっと表にして比べてみよう。
 

キャラクター名 作中ぼっち度 具体例
まどか ☆     ループ前は明るく闊達。さやか達と仲良しグループ。暖かい部屋
ほむら ☆☆☆☆☆ 最終話まで孤独にループ。最終話後も孤独。殺風景な部屋
さやか ☆     まどか達と仲良しグループ。上条と幼馴染み。普通の部屋
杏子  ☆☆☆☆☆ 一人で強がっていた。さやかと心中するorさやかに先立たれる。「友達になれたかもしれないのに…」
マミ  ☆     生前慕われていたそうなコミュ力、いつも魔法少女グループを形成。調度やケーキのチョイス

 
 作中描写から察する限り、やっぱりほむらと杏子がダントツで友達少なそうな感じに見える。
 
 まどかとさやかは学内で仲良しグループを形成しているからぼっちとは言えないのは勿論としても、マミさんも、交通事故〜まどかとの出会いの期間を除けば、ぼっちとは思えないような状況証拠がいろいろある。彼女のケーキや調度のセレクト・魔法少女グループとでも言うべき“群れ”を常に形成する性質・後輩から慕われやすいコミュニケーションの包容性、などを見る限り、生前のマミさんは、おそらくぼっちとは程遠い生活をしていたのではないか。マミさんの、ああいった(良くも悪くも)女らしい所作と、群れのなかでの振る舞いは、女性の群れからはぐれた一匹狼がすぐに身につけようと思っても身に付くものではない*1。どうも彼女は「ぼっちの側の人間」というより「群れる側の人間」のロジックで行動している。
 
 にも関わらず、「マミさんはぼっち」というフレーズはそれなりに広がり、「杏子はぼっち」「ほむらはぼっち」というフレーズよりも界隈では優勢のように見える。この現象は何を意味しているのか?
 
 この現象は、「マミさんが本当にぼっち」と解釈するより「マミさんにぼっちを投影したくなる人が多かった」と翻訳するのが適当のように思える。『らき☆すた』の、「かがみんはぼっち」「かがみんは便所飯」の時と同じく、作品中でキャラクターがどれだけぼっちだったのかはたいした問題ではない。「ぼっちを投影する相手を誰にするか」を巡る、視聴者側の、投影願望がここでは問題になる。
 
 じゃあ、どんな人が、どんなものをマミさんというキャラクターに「ぼっち」投影したがったのか?
 
 

孤独な中二病者としての巴マミ

 
 色々考えて、これかなと思ったのはマミさんの「ティロ・フィナーレ」だ。
 
 作中、魔女にとどめを刺す際に「中二病的な決め台詞」を口にするのはマミさんだけだ。あの「ティロ・フィナーレ」を、まどかやさやかに出会うまでの間、一人でずっとやっていたのかと思うと、にわかに孤独な中二病ライフへの親近感が沸いてくる。しかもマミさんの場合、ふだんの学校生活は如才なく振る舞えているのに、放課後の魔法少女モードになったら「ティロ・フィナーレ」!!この、「学校では如才無く振る舞っているけれども、孤独な放課後にはマスケット銃をクルクル回しながら邪気眼全開」なマミさんであればこそ、帰宅部な人々に「放課後のぼっちな中二病遊び」を連想させやすいんじゃないか*2
 
 まどか☆マギカの視聴者の大半であれば、多かれ少なかれ、中二病的な決め台詞を呟いたり、決めポーズに浮かれてみたりしたことがあるだろう。けれども、それはおおっぴらにして構わないものではない。なかにはそういった中二病的な瞬間をクラスメートに目撃され、「ティロ・フィナーレwwwwww」的な嘲笑を受けたことのある人も、いるかもしれない。
 
 中二病は、孤独にやるか、その秘め事を共有している仲間内でこっそり楽しまなければならないものだから。
 
 そういった、“孤独な中二病”“おおっぴらにできない中二病”という属性は、5人のなかでマミさんが一番強い。物腰柔らかで無難なコミュニケーション能力を持つだけに、かえってそこが強調されている。こうした特徴は、“ガチでぼっち”な杏子やほむらには当てはまらない。この点、学校で、空気を読まずに「私も魔法少女になった」と叫んでまどかを困らせたほむらなど論外である。
 
 そんなこんなで、作中での実際のぼっち度を必ずしも反映しない形で、マミさんが栄光ある「一番ぼっち」に輝いた、のではないか。もちろんカップリングの問題も大きかったのは間違いないだろうけど、+αの要因として、こういった“孤独な中二病”っぽさが反映されたのではないか、と思った。
 

*1:ただし、マミさんが「完全無欠のリア充」的な女子だったかというと、やや疑問が残る。マミさんが、ほむらに対して「いじめられっ子の発想」という言葉を投げかけるシーンがあったが、ああいう振る舞いは、スクールカースト最上位のプリンセスの発想というよりは、ナンバー2以下の「がんばってリア充をやっている」人間が思いつきそうな台詞である。マミさんのコミュニケーションの技能は、天然というより努力して身につけたではないかと推定したくなる

*2:そういえば、夕暮れ時に魔女を求めて徘徊するマミさんの姿は、あてもなく古本屋巡りをするのに似た哀愁が漂っているようにも見える。