シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

男性オタクが「関係性にブヒる」ようになった

 
 十年ほど昔、斉藤環Dr.だったか、年長の人による「男性は視覚で萌えて、女性は関係性に萌える」といったオタクの男女間の相違を読んだことがあった。また、「男性はキャラクター単体に萌えて、女性はキャラクターの関係に萌える」というバリエーションも見かけたと思う。多少の例外はあるにせよ、当時の認識として、これらは概ね合っていたような気がする。
 
 でも、最近のニコニコ動画のコメントを眺めていたり、オタク仲間と意見交換したりしていると、こうした理解が時代遅れになり始めているんじゃないか、と思うようになってきた。そのへんについて書き残しておく。
 
 

ただし、オタク男女間の違いが無くなったわけではない

 
 予め断っておくが、私は「男性の萌えと女性の萌えが同じになってきた」とまで言いたいわけではない。
 
 同人誌などに典型的だけど、男性と女性の萌えの形・あるいはキャラクター消費の形には、現在でも相当に大きなトレンドの相違がある。わかりやすいところでは、男性向けの同人界隈では、執拗にセックス描写に拘った作品が多く、また、体液の表現を強調した作品も頻繁に見かける。こうした拘りは、女性向けの世界ではそこまでポピュラーとは言い難い。
 
 こうした、純粋なジェンダー的相違だけでなく、おそらく生物学的な相違にも由来しているであろうニーズの違いは、今までもあったし、これからもあるに違いない。
 
 

男性オタク界隈における「関係性にブヒる」の普及

 
 とはいえ、最近の男性オタク界隈の様子を見ている限り、「関係性萌え」「関係性にブヒる」作法が相当のところまで普及しているように見える。*1
 
 ・女性キャラクターと女性キャラクターが何かを一緒にやっただけで百合的関係を連想し、「キマシタワー」と呟く作法。
 
 ・男性キャラクターが女性キャラクターに世話を焼いたら「フラグ」「フラグ」と関係性を連想する作法。
 
 ・女性キャラクター同士の百合な関係を、「杏さや」「ほむまど」といった具合に簡略表現する作法。*2
 
 これらを見る限り、男性オタク界隈においても、キャラクター同士の関係性を想起する作法と、そのためのボキャブラリーがすっかり定着していると言わざるを得ない。しかも、フラグの件にもあるように、こうした関係性への着眼とpleasureは、女×女 だけに限らず、男×女に対してもそれなりに適用されているようだ。また、少なくともネタのレベルでは、男×男の関係性に対しても、敏感になっていると考えて良いのかもしれない。
 
 こんな具合に、男性側の領域でも、キャラクターとキャラクターの関係性を敏感に――というよりも過剰に――読み取り、それを頼みに妄想や空想を膨らませて楽しんでいる人が増えているように見受けられる。
 
 

美少女-所有願望とも、セカイ系とも異なった欲望を、どう捉えるか

 
 男性オタク達の、関係性に対するセンスの鋭敏化と、関係性の飽くなき消費。
 
 こうした関係性消費の背景にある欲望と、その欲望が立ち上がってきた背景を、どのように説明すれば良いのか?まだ私には思いつかない。また、過去にやおい分析に用いられた文章をそのまま引用して良いかというと、それも微妙だなと思う。なぜなら“やおいという作法”が長い歴史を持っているのに対し、男性オタク界隈で「関係性にブヒる」作法がキャズムを超えたのは割と最近のことで、むしろ、過去の長い間、百合はニッチな消費スタイルであり続けたからだ。
 
 ただ少なくとも、こうした関係性にブヒるような状況は、古典的な美少女-所有願望・ハーレム願望や、セカイ系的な母子関係の転移-トラウマ癒し的な願望とは違っている、とは思う。それらのアングルでは、男性オタクが「関係性にブヒる」ようになったという変化を説明できないっぽい。
 
 なお、男性オタク達がキャラクター間の関係性を積極的に楽しみ始めたからと言って、ハーレム願望や、母子関係的なコンテンツ消費をまるきり手放したわけでもない、ということは念のため付け加えておく。この場合、男性オタク達の欲望が「変わった」というよりは「バリエーションが膨らんだ」と捉えるのが適当だと私は思う。
 

*1:その多くが「キマシタワー」「フラグ」「薄い本」といった、ストレートな着想によって占められていることを思えば、呼び方ととしては「関係性“萌え”」という婉曲なレトリックよりは、もっと実直な「関係性に“ブヒる”」と言うレトリックのほうが似合いだと思う。

*2:そして、このような簡略表現は、もちろん「攻め」「受け」のニュアンスを含んでいる