シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

無分別なインターネットは、情報メタボにまっしぐら

 
 子どもの頃、ホテルやレストランのバイキング料理に行ったときに、好きな食べ物やケーキばかりを皿に入れ続けて叱られた経験ってありませんか。バイキング形式の食事は、好きなものを好きなだけ食べられるのがウリですが、同じタイプの食べ物ばかりを選ぶと栄養バランスが著しく偏ってしまいます。年に1、2回程度なら、多少の偏食も構わないとしても、偏食バイキングが毎日続くようではメタボリック症候群まで一直線です。幸い、多くの人はバランスを取るべく注意している筈ですが。
 
 なら、“情報”という分野、もっと言うと“インターネット”という分野ではどうでしょう?
 
 情報メディアを料理にたとえるなら、インターネットはまさにバイキング料理。出所も価値観もさまざまの情報が、ほとんど無尽蔵に積み上げられた、情報を選びたい放題・むさぼりたい放題の場です。ところが、レストランでバイキング料理をいただく時とは違って、インターネットで情報を取捨選択する際には、多くの人は“偏食”にあまり注意を払わないのではないでしょうか。
 
 しかも、たまにしか食べに行かないバイキング料理とは異なり、インターネットという“情報のバイキング”は、ほとんど毎日摂取するものです。偏った情報の仕入れ方を、年余にわたって繰り返していれば、相当の偏りが生じる筈。そのうえ、インターネットは普通、一人でディスプレイに向かい合ってやるものですから、「お前、インターネットの情報摂取が偏りまくってるよ」とは誰も注意してくれません。どんなに偏った摂取でも、誰も警告してくれない――ここも、親に連れて行ってもらう子どものバイキングとは大きく違っています。
 
 そんな、偏りまくった情報摂取をしている人であれば、インターネット上のごく一部の極端な意見だけを一般的な見方だと思い込んだり、2ちゃんねるの常識を世間の常識と勘違いしたりしてしまうのも無理ならぬことでしょう。実際、そのようなインターネットユーザーを見かける機会は結構あります。最近は、twitterのような、情報摂取と情報遮断の利便性が高い――考えようによっては利便性が高すぎる――ツールも普及していますから、こうした情報摂取の偏りの罠には、さらに陥りやすくなっていると言えるかもしれません。
 
 ネット上には、旧来の情報メディア――テレビや新聞など――を「マスゴミ」呼ばわりして、インターネットをこそ頼れる情報源とみなしている人を時々見かけます。なるほど、テレビや新聞の情報は、喩えるなら“幕の内弁当”のようなもので、自由選択という意味ではインターネットという“バイキング料理”にかなわないかもしれません。しかし、インターネット上で著しく偏った情報摂取に明け暮れるのに比べれば、テレビや新聞などといった旧来からのメディアに頼るほうが情報摂取のバランスがとりやすいかもしれません。
 
 

無分別なインターネット利用は、“情報メタボ”にまっしぐら

 
 こう考えると、インターネットは、自分自身の情報摂取の偏りに陥りやすい、特定の情報ばかりタプタプと溜め込みやすい、意外と厄介な情報ツール、と思わずにいられません。ちょうど、自己抑制のきかない人にとって、毎日のバイキング料理がメタボリック症候群の危険に満ちているのと同じく、情報摂取の偏りを自己調整できない人にとっての日々のインターネットは、いわば、情報メタボとでも言うべき、視野の偏りに一直線なツールではないでしょうか。
 
 例えば、自分にとって気持ち良い情報・安心しやすい情報ばかりを、砂糖菓子よろしく毎日毎日摂取しつづけ、好みではない情報を片っ端からシャットダウンしてまわっているようなネットライフの人が、それでも視野が偏らずに済むとしたら、そりゃ奇跡としかいえません。インターネット以外の情報メディアを小馬鹿にし、専らネット頼りの人の場合は、とりわけそうでしょう。しかも、身体のメタボリック症候群とは違って、「俺、最近メタボって来たかな?」と鏡の前で自覚するのは至難の業です。体重や体脂肪率はすぐに測定できても、視野狭窄や情報の偏りを測定するのは難しい、というのもありますし。
 
 昔、「嘘を嘘と見抜けない人にはインターネットは難しい」と言った人がいましたが、私は「自分の意志や能力で、情報摂取や視野の偏りを自覚できない人には、インターネットが難しい」とも思います。しかし実際には、情報源をインターネットに頼る人の少なからぬ割合が、偏食著しい、情報メタボというべき様相を呈しているように私には見えますし、そのような偏りを他人事として済ませるわけにもいかない気がします。
 
 誰もが情報を自由に取捨選択できる状況が恵まれているのは言うまでもありません。しかし、そのような自由な取捨選択の状況で、情報メタボにならずに適切なバランスを保つのは、なかなかに能力を要する、難しいことなのかもしれません。
 
 ネットでたくさんの情報を仕入れて自分の頭が良くなっているつもりが、実は情報メタボと化していないか、振り返ってみると、ちょっと怖くなりませんか。
 
 
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