シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「アニメって生きている文化なんだなぁ」とふと思った


 http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1926.html
 
 黒瀬陽平さんが藤津亮太さんのまどか評論を批判、そのつぶやきと2chの反応がやらおんにまとめられたことに始まった批評クラスタでの議論 - Togetter
 
 リンク先の文章を眺めていたら「ああ、アニメって生きている文化なんだなぁ」と改めて思った。界隈の先端を自認しているクリエイターが、批評家や2ch系まとめサイトに言及し、そのやりとりがTogetterで可視化され、さらにフィードバックが起こるというのは、議論内容の当否はさておき、文化シーンとしてはけっこう豊かな状況だと思う。それってつまり、アニメが一握りの専門家やクリエイターだけのものでもなければ、一部の金持ちパトロン連中だけのものでもなく、それなりに広い裾野の人達に楽しまれ、言及され、脳味噌を刺激しあっているってことだろう?すばらしいじゃないか!
 
 ところで「生きている文化」の反対、「生きていない文化」とは何か?
 元気の無い文化や、化石になってしまった文化を挙げるのは容易い。
 
 専門店で高値で取り扱われているけれども、理解者がほんの一握りの文化。
 ステータスとして敬われてはいても、大半の人に楽しまれていない文化。
 そういった文化は、あまり元気があるとは言えない。
 
 さらに「何年経っても変化がほとんど見られず、様式化している」「関わっている人達が変化を望んでいない」という要素まで加われば、いよいよ“文化の化石”と呼ぶにふさわしかろう。それは生きているというよりは剥製に近い。もちろん化石になった後も、良いプロダクツは良いし、美しいもの・迫力のあるものは、ある。例えば姫路城や羽子板などは、文化としては化石化しているとしても、既に出来上がったソレは今も価値を持っている。でも、【今この瞬間/そしてこれから】、たくさんの人に楽しまれながら変化していく文化かといったら、たぶん答えはNoだろう。
 
 対照的に、アメリカの野球やヨーロッパのサッカーは、文化として「生きている」。アメリカの野球やヨーロッパのサッカーが「死んでいない」のは、偉大な選手がハイレベルな試合をやっているからだけでなく、裾野の広いたくさんの人に愛され、楽しまれ、今も変化し続けているからだ。一部の専門家やパトロンだけのものではなく、若い衆も年寄りもビールを呑みながら観戦し、酒場の話のタネとなり、週末の草野球・草サッカーといったものも含めて下支えされているからこそ、それらは「生きている文化」と言うにふさわしい状況を形作っている。*1
 
 この視点で見れば、日本のアニメは「生きている文化」、それも「かなり活きのいい文化」という風になるんじゃなかろうか。2ch、ニコニコ動画、そしてtwitter――アニメに言及する場所、アニメに言及する人、どちらもたくさんで、それらはまとめサイト・ニュースサイト・はてなブックマークなどを通して緩くコネクトされて“アニメ文化の鬱蒼とした森林を形成している”。言及する人達のなかには、コメント弾幕をリピートするだけの人もいれば、素朴な感想を綴る人もあり、なかには唸らされるような一言を残していく人もいる。そして秀逸な作品が出ると蜂の巣をつついたように話題が広がり、BD・DVD・関連グッズが売れるという形で市場淘汰を生き残り、次のシーンを形成していく。
 
 こうした、最も素朴なファンから最も博識でひねくれたマニアまでで賑わっている、ネットのオタクには慣れ親しんだ風景こそが、ありがたくて豊かな状況のように思えてならない。2chやニコニコ動画のアニメに関する言及のなかには、しようもないものも多いかもしれないし、その筋のオーソリティに笑われるようなものもあるかもしれない。しかし、そうした言及がたくさん表明され、シーンの一端を形成しているということ自体は、しようもないことでも駄目なことでもあるまい。むしろ、「オーソリティや古参だけがアニメを語って、それを新参がありがたがって拝聴する」だけの文化シーンに比べれば、遥かに健康で、多様で、豊かと言えるんじゃないだろうか。
 
 そう考えると、専門家や先端の人達には相容れないコメント*2がネットのあちこちに書き込まれている状況は、それだけアニメの支え手なり懐なりが豊かで、本当にたくさんの人が、自分なりに考え、自分なりの思い入れを持ちながらアニメを楽しんでいるということの反映ではないかと思う。オーソリティで専門な人達にとって、アニメに言及したい人がワンサカいるような状況は色々と面倒かもしれないけれども、そんな状況こそ、アニメが「生きている文化」として面白い、裾野の広いシーンとなっている証左ではないだろうか;先端の人達には、そんな“皆があーだこーだ言いたくて仕方ない”状況のなかでこそ、そこらの一般ファンとは一味違った、ひとつ先のシーンを垣間見せてくれるような活動を期待したい。
 
 こんな状況がいつまで続くのかは分からないけれど、アニメ好きな人にとって、今はかなり幸せな状況なんじゃないかと思う。2chやtwitterやブログや同人誌即売会で、アニメについてのたくさんの言及や会話に出会うと、少なくとも私は、「ああ、いい瞬間にめぐり合えているんだろうな」「盛り上がってるよな」と感じる。いつかはアニメも「生きている文化」から「元気のない文化」になっていくのかもしれない。それでも、たくさんの人に記憶されるような熱気が出来るだけ長く続いて欲しいと願う。
 
 

*1:ちなみに、同じ文化のように見えて、国が違えば文化としての「活き」がぜんぜん違うということがままある。たとえばワインは、ヨーロッパではボルドーやシャンパーニュの高級品が崇め奉られているだけでなく、一本200-300円程度の地元の安物も含めて幅広く親しまれ、状況は変化し続けている。しかし日本におけるワインは必ずしもそうなっておらず、「かしこまった飲み物」という地位を引きずっており、裾野も応用もまだ狭い。この点では、焼酎などには及ばない。

*2:そのなかには、チクリとしたものもあれば、くだらない、しようもないものもあるだろう