シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「父性の超克」や「母性のディストピア」とは異なる“まどかの物話”

 (この文章は、「魔法少女まどか☆マギカ」のネタバレを含みます)
 
 

魔法少女まどか☆マギカ 6 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

魔法少女まどか☆マギカ 6 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

 
 ロールシャッハテストや万華鏡のように、『魔法少女まどか☆マギカ』という作品は、見る者の視点次第でいろいろな視え方に見える。そうやって、一つの作品をさまざまな視点から眺めまわすのはオタ冥利のひとつだと思う。
 
 ここでは、「少年の成長物語の類型から見たまどか☆マギカ」という視点で本作をこねくり回してみようと思う*1
 
 

まどかの仕事は「父性の超克」に当てはまるか

 
 まどかは適切な奇跡の選択を行い、自らをなげうってまで、キュウべぇを末端とする魔法少女-消費システムを改変した。この結果を狭く捉えるなら、【現在までの魔法少女の救済】と【希望のシンボルとしての魔法少女の復活】だけを成し遂げたということになる。が、広く取るなら【少女に対して搾取的に働くシステム全体の改変を行った】ともとれる。特に、キュウべぇ達が科学技術や社会制度の暗喩となっていることに着眼して本作品を眺めて楽しむ場合には、そう捉えても差し支えないと思う。
 
 この、「立ちはだかるシステムや機構と対峙し、自分自身を賭けてシステムを改変しようとする(あわよくば倒す)」という話の筋は、少年漫画や少年アニメの成長物語としてはわりと典型的で、『機動戦士ガンダム』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』などに相通じるものがある。だから、まどか☆マギカの後半ストーリーには、「父性の超克」的なフレーバーが漂っているとは言えそうだ。
 
 ただし、多くの「父性の超克」の物語において、対峙すべきシステム・機構が比較的明示的であるのに対し、まどか☆マギカにおけるシステム(とキュウべぇ)はそうではないという点で、「父性の超克」として典型的ではない。
 
 父にせよ、権威や象徴のシステムにせよ、一般的な父性的なシステムは、権威・規範・禁則などが(しばしば言語やシンボルを通して)明示されており、良くも悪くもわかりやすい。法律や戒律が明文化され、紋章や勲章でヒエラルキーや機構が明示されるように。そのかわり、その明文化された内容は、選択の余地を含んでいるというよりは、所与のものとして強制的に、力いっぱい押し付けられるものだ。
 
 この点では、『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』などは、「父性の超克」的なストーリーとしてわかりやすいものだったし、初代『機動戦士ガンダム』で「敵」として描かれるジオン軍の面々も非常にわかりやすかった。以下のように↓。
 

 
 ところが、まどか達が対峙したのは、こういう、わかりやすくて押し付けがましい父性的システムではなかった。システム末端としてのキュウべぇは、権威・規範・禁則などを明示することに非常に消極的で、搾取的なシステムなのにヌイグルミの姿をとっているなど、わかりにくい相手だった。キュウべぇは、父や王のように力ずくで運命を強制することもなく、自由選択を口にしながら、そのくせ抵抗しがたい魅力をもって誘惑する。あるいは、自由選択を口にしつつ、搦め手を使って“魔法少女になるしかない選択肢へと引きずり込んでいく”。こうした、非-明示的で誘惑的なキュウべぇの特徴を振り返ると、父性的な超克の対象というより、もうすこし女性的な超克対象、という風にもみえる。
 
 

超克対象としてのキュウべぇは「母性のディストピア」か

 
 では、まどか達が超克すべき対象は、父性ではなく母性的な何かだろうか。
 
 評論家の宇野常寛さんが「母性のディストピア」という用語で幾つかの作品を批評したように、一昔、『新世紀エヴァンゲリオン』のような子どもを呑み込む母の物語や、『Air』のように母子関係のなかで衰弱していく物語があったと記憶している。なかには、先駆的な『機動戦士Vガンダム』のように少年が母性の虜になってしまう*2物語もあれば、『とらドラ!』のように、母性のディストピアを超克する展開を描ききった作品もあった
 
 これらの作品では、【母子分離の困難さ】や【母の執着/子の自立性との問題】がセントラルドグマとして横たわっていた。しかし、まどか☆マギカでは、どうもそうではないようにみえる。
 
 まどか☆マギカにおける母子関係は、むしろ理想的なものでさえあった。
 まどかの母は、仕事のお陰か、かえってまどかに密着しすぎることなく、帰宅時間は遅くても娘の相談にも乗る良き母親だった。そして、まどかの隠し事に気づいた時も、まどかが避難所を離れようとした際も、その気になれば幾らでも保護の名のもとにまどかを呑み込んでしまえる状況にもかかわらず、そうすることなく、まどかを信頼し、子どもの自立性と意志を尊重している*3まどかの母には、「かわいい我が子との一体感に溺れるあまり、我が子を取り込んで自立の芽を潰してしまうグレートマザー」としての脅威性は殆ど感じられない。このような母子関係をみる限り、「母性のディストピア」に相当するような太古的な母子関係(とその転移)に篭絡されるメンタリティを、まどか親子はあまり持ち合わせていないと推定される*4
 
 そしてキュウべぇのほうも、母の束縛にありがちな、情緒的な篭絡を欠いているという点では、「母性のディストピア」的ではない。確かにキュウべぇは誘惑的だし、現代社会の社会制度と生活環境から連想されるシステムの厄介さは父性的というより母性的とも言える。けれどもキュウべぇの、あの血の通わないbotっぽさは、ウェットな情念で覆い尽くすような「母性のディストピア」とは一線を画している。つまり、まどか☆マギカには「母性のディストピア」の影は無い。
 
 このことをもって、ゼロ年代に多く見かけた「母性のディストピア」の次のdecadeを まどか☆マギカが準備した、と捉えて良いのかは、現時点では分からない。ともあれ、まどか☆マギカには、エヴァ以来の「母性のディストピア」的なニュアンスが薄い点は、再確認しておいても良いんじゃないかと思う。
 
 

「搾取的なシステムを改変する奇跡」というファンタジー

 
 以上のように、まどか☆マギカのストーリーの骨組みは、古典的な「父性の超克」にも、ゼロ年代的な「母性のディストピア」ともあまり合致しない。超克の様式は「父性の超克」的な少年の物語に似ているし、システムには母性的な恐ろしさも含まれてはいる。しかし、実際にはキュウべぇに象徴されるシステムはより中性的・ブラックボックス的・無機的で、父子関係や母子関係に根ざした転移的な問題は、キュウべぇシステムとの対峙に際して大したウエイトを占めていない
 
 この点において、まどか☆マギカは多くの物語や神話とちょっと違っている。

 誤解を避けるために付け加えておくと、だからまどか☆マギカは駄目だと言いたいわけではない。むしろ、中性的・ブラックボックス的・無機的なシステムとの戦いが描かれるのはいかにも現代的で、21世紀に紡がれる神話としては、これはこれで面白いのではないかと私は思う*5
 
 むろん21世紀においても、父子関係や母子関係の絡んだ、転移的な物語は必要だろうし語られるに違いないだろう。個人的には『劇場版ヱヴァンゲリオン』には、是非ともその路線を描ききって欲しいと思う。その一方で、無機的で搾取的なシステムとの対峙も現代人にとって普遍的な問題となっていて、それを象徴化した寓話のニーズが高まっていることは、この作品で再確認できたと思う。
 
 まどかは、そうした無慈悲で誘惑的なシステムの改変に際して、奇跡の魔法を使った。これは、リアルとは言いがたい、ファンタスティックな展開ではあるけれども、もちろんこの作品には魔法少女モノとしての側面があるのだから、奇跡や魔法といったギミックを効かせることに違和感は無かったし、物語の風呂敷の畳み方も見事だった。現実の社会制度や生活空間は、奇跡の魔法をもってシステムに改変を迫ることは出来ないし、まどかやほむらのような強さより、さやかやマミのような弱さに近い人間のほうが多いかと思う。しかしだからこそ、そうしたシステムと対峙し改変する物語にはカタルシスがあり、まどかの選択やほむらの戦う姿は特別に美しく映るのだろうとも思う*6。まどか☆マギカは、今風の神話として、とても良く出来ていたと私は感じた。
 
 

それにしても

 
 TV版エヴァなどとは違って、転覆することなく見事に物語を完結させながら、それでもまだ想像を膨らませる余地がたっぷりあるのは、とても嬉しいことだと思う。二次創作方面に限らず、これからも長く楽しみ、思い出す作品になりそう。
 

*1:なぜ少女達が主人公の作品なのに「少年の成長物語の類型」などという視点が成立するのか?それは、オタク界隈において、少年をダイレクトに主人公にした感情移入の形式があまり流行しなくなり、代わって主人公を少女にした作品への感情移入が台頭してきたからだ。このような、やや遠回りにも見える感情移入には相応に有利な部分があり、台頭してきたことはそれほど滑稽なことでもない。参考→http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100414/p1

*2:より正確には「母性のディストピア的な母子関係の転移が、シュラク隊やシャクティにおいてリフレインされる」

*3:このあたりがまた、まどか☆マギカが、少年的な物語っぽい一因かもしれない。親のエールを貰いながら、親元を離れて自分の戦いに赴くというストーリー展開は、少女の物語というより少年の物語として典型的である。

*4:そういう意味でも、まどかは「よくできた男の子」である

*5:しかもそれが、無機的さを丸出しにした機械帝国的な姿で迫ってくるのではなく、かわいらしいキャラクターの姿と、魔法少女という夢売り的な選択提示をもって迫ってくるというあたりが、実にいい。ちなみに、いわゆる機械帝国的なわかりやすさだと、旧来の父性的なシステムとの戦いと意匠があまり変わりないし、現代的なデザインとは言えない

*6:誰もが英雄やジャンヌダルクになれるなら、神話や物語は必要無いし、それが胸を打つこともあるまい