シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「心を読んでるんじゃない。顔を読んでるだけなんだよ」

 
 人は、「あの人は気持ちがわかる」とか「心が通じる」という表現をよく使います。
 でも、本当にそんなエスパーみたいな人っているんでしょうか?
 
 

「あの人は、心じゃなくて顔を読んでいる」

 
 結論から言えば、誰も、気持ちだの心だのは読んでないと思うんですよ。
 少なくとも、直接読んでる人はいません。 
 実際に読んでいるのは、「顔」なんです。
 
 丁寧に表現するなら、「顔をはじめとする、相手の身体から表出される情報すべて」を読み取ったうえで、過去の経験と照らし合わせて心境を類推しているとなるでしょうか。俗に言う「気持ちがわかる人」というのは、目の動きや身体の挙動、言語情報、声音、沈黙の長さ、これらすべてをひっくるめて総合判断しているのであって、エスパー的な読心術をやっているわけではありません。「気持ちがわかる人」と評価されている人は、ほとんどの場合、相手の一挙一動を非常によく観察し、その観察をもとに推論だてるのが巧みなだけなのです。
 
 逆に、相手の一挙一動をまともに見ようともしていない人が「他人の心がわからない、わからない」と愚痴っているのは、大変おかしなことだとも言えます。表情をはじめ、相手の挙動の総体から心境を類推するしかないのですから、俯いたり余所見したりしている場合ではありません。
 
 

「言語表現だけ追いかけていれば、気持ちは伝わる」の?

 
 これに対し、「言葉で表現されたものだけ追いかけていれば気持ちはわかるんじゃないの?」という反論があるかもしれません。でも、言語表現だけでは読み取りづらいことが多く、言語だけに依存したコミュニケーションはかえって難しそうです。
 
 例えば、涙目で震えながら「わかりました」と言っているのと、明るい表情で頬を紅潮させて「わかりました」と言っているのじゃ、言語表現上は同じ「わかりました」でも、類推される心境は全く違うじゃないですか。これと同様のことが、より繊細なレベルで、複雑に起こっているのが人間同士のコミュニケーションです。だとしたら、言語表現だけを追いかけて相手の心境を読むのは片手落ちと言わざるを得ません。
 
 コミュニケーションは、口と耳だけで澄ませてても駄目なんです。
 目を使ってナンボなんですよ。
 というより、目が主役なんじゃないでしょうか。
 
 少なくとも、相手の気持ちを推し量りながらコミュニケーションしたいと思う人は、相手をよく見るべく、もっと積極的に目を使うべきです。「目は口ほどに物を言う」とも言いますが、言語表現では決して得られない情報が、視覚的に得られることは非常に多いんですから。じろじろ見過ぎればマナー違反なので極端すぎるのも考え物ですが、コミュニケーションは口や耳以上に目を使って行っているんだという自覚を持っておけば、損をしにくくなるかもしれません。