シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

『まどか☆マギカ』を『エヴァ』と比較してみる

  

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

 
 
 ここまで真剣に見入ってしまうアニメは本当に久しぶりだ。
 
 『魔法少女まどか☆マギカ』のまどかを初めて見た時、デジャブのような、どこかで似たようなキャラクターに出遭ったような気がした。私は、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジに似ていると感じたらしい。そこで『エヴァ』と『まどか☆マギカ』を比較してみたら、かなり似ているところもあれば、全然違っているところもあって興味深かったので、書き残しておく。
 
 【警告!】この記事は、『魔法少女まどか☆マギカ』の第八話までのネタバレを含みます。
 
 

まどか☆マギカとエヴァンゲリオン――似ている点

 まず、まどか☆マギカとエヴァの似ているところを確かめてみる。
 
 ・ぎっしり詰まった伏線と暗喩
 エヴァンゲリオンは当時としては桁外れの伏線が仕込まれていて、ファンによる活発な論争を呼び起こした。まどか☆マギカも、キャラデザインや細部の演出にまでたくさんの伏線や隠喩が仕込まれており、似たような論争を起こしているようにみえる。ちなみにエヴァンゲリオンの場合、大量の伏線を放置したままTV版が終了し、凄いことになったが、まどか☆マギカが同じような運命を辿るのかは、現時点では分からない。今のところ、きちんと伏線を回収しようとしているように見える。
 
 
 ・主人公が中学二年生
 たぶん偶然の一致だろうが、まどかもシンジも中学二年生である。学校が同じだったらクラスメートになっていてもおかしくない。そして二人とも、窮屈な教室に押し込められている――シンジの教室は設定上、まどかの教室はビジュアル上、囚われの場としてのニュアンスをそれぞれ含んでいる――。
 
 
 ・非日常へ突き落とされ、選択を迫られている。
 「繰り返される平穏な生活が破られて、シビアな非日常に突き落とされる」という展開も両作品に共通している。シンジの場合は第一話から、まどかは第三話から、選択次第で運命が大きく左右される状況に直面している。ただし、こういうストーリー展開自体は現在では珍しいものではない。
 
 
 ・実際に決断すれば、一番素養があるとされている。
 シンジの場合、初号機のパイロットで碇ユイの息子という立場もあり、実際、サードインパクトで最も重要な選択を行ったのはシンジだった。まどかの場合も、ほむらやキュウべぇにより、魔法少女としての素養が特別だと認められている。そして、まどかが魔法少女になるか否かを巡って、ほむらとキュウべぇとの間で攻防が続いているように見える。
 
 
 ・沈黙に耐えられない。他人からの評価に敏感
 ここからは、主人公二人のパーソナリティ上の共通点。
 シンジもまどかも、他人の顔色を伺う傾向が認められ、沈黙に耐えられない。綾波レイや葛城ミサトとの沈黙に耐え切れなくなった時のシンジの振る舞い*1と、ほむらやマミとの沈黙に耐えられなくなった時のまどかの振る舞いは、よく似ている。そしてそんな時の、頼りない垂れ目の、媚びるような表情はソックリだ。
 
 
 ・行動原理は「誰にも傷つけられない・誰も傷つけない自分」の維持
 行動原理も、シンジとまどかは似ている。
 
 もともとシンジは、傷つくことを回避するために引きこもる処世術がメインだった。そうすれば、自分が誰かに傷つけられることも、自分が誰かを傷つけることもなく、「誰にも傷つけられない自分・誰も傷つけない自分」というナルシシズムを保持できる。しかし、いったん誰かと仲良くなってしまえば、こうはいかないわけで、作中のシンジはこのナルシシズムを維持できなくなる。親しい他人によって自分が傷つき・親しい他人を傷つけてしまう繰り返しのなかで、彼は再び引きこもっていった。*2
 
 一方まどかの場合、模範的な良い子としての処世術で「誰にも傷つけられない自分・誰も傷つけない自分」をキープしている。もし、平凡な学校生活が続いていれば、この、まどかの「良い子」ナルシシズムは上手くいっていたかもしれない。ところが、マミが殺され、さやかが魔法少女になったあたりから、彼女の処世術は急速に破綻していく。本当にさやかの身を案じるなら、魔法少女になって一緒に戦うか、足手まといにならないように距離をとれば良いものを、パトロールについていくと言ってしまうまどか。普通の道草なら別にそれで構わないかもしれないが、魔法少女のパトロールについていけば足手まといになってしまうリスクがあるばかりで、「さやかの心配をしてあげる良い子のまどか」というイメージを保持する以外にたいした効能は無い*3。このことに気付いたさやかは一瞬顔を曇らせたが、まどかは気付かない。杏子とさやかのバトル後も、雨のバス停でのやりとりも、ほぼ同じパターンを繰り返し、かえってさやかを追い詰めている*4。少なくとも8話時点では、まどかの優しさや気遣いは「誰にも傷つけられない自分・誰も傷つけない自分」というナルシシズムから一歩もはみ出しておらず、むしろ周囲の人間を苛立たせている。
 
 
 ・以上のように、素養を生かせずバタバタ斃れていく仲間に何も出来ない主人公として、まどかとシンジは似たような境遇を抱えている。そして、いままでの処世術が通用しない状況のなかで、次第に追い詰められている点も共通している。
 
 「なるべく自分が傷つかないような処世術で穏便に生きていこうとする、事なかれ主義的なパーソナリティの中学生が、現実のアレゴリーのような非日常に直面して、上手く立ち振る舞えずに何もかも失っていく」;このテーマに関する限り、90年代のエヴァと2011年のまどか☆マギカは共通するエッセンスとメッセージ性を帯びている、と私は考える。
 
 

まどか☆マギカとエヴァンゲリオン――違っている点

 
 しかし、まどか☆マギカにはエヴァには見られない特徴がいくつもある。そのなかには、「これは90年代には無理だっただろうなぁ」というような、15年の歳月を痛感させられる特徴も含まれている。
 
 
 ・まどかは女の子。シンジは男の子。
 まどかは、いかにも魔法少女候補に選ばれそうな女の子である。エヴァンゲリオンの頃には、男性オタク向けの作品に、感情移入の橋頭堡としての男性主人公がまだ必要だったかもしれないが、2011年の男性オタク向け作品においては、そうでもないらしい。美少女キャラクターに自己投影することで感情移入するという“作法”に慣れた視聴者が少なかったら、こうはならなかったかもしれないし、そもそも魔法少女という題材自体が選ばれなかったかもしれない。
 
 
 ・幸福な家庭のまどか、不幸な家庭で育ったシンジ
 
 家族の描き方にも違いがある。まどかは非常に家族に恵まれている。もしシンジがまどかを見たら、羨ましがるに違いない。エヴァンゲリオンは、家族にまつわる情緒的なコンプレックスだらけの作品で、それに相応しい家庭の悲惨を抱えていたけれども、まどか☆マギカには、そうした親子の問題がほとんど無い。超克すべき父性や、呑み込んでしまうグレートマザーの影は、まどか☆マギカには希薄である。
 
 その代わり、まどかの抱える問題に対して両親が切り離され過ぎている、という点が まどか☆マギカではヤバいことになっている。中学生の娘がとんでもない危機に晒されているのに、両親は全く気付いていない!一応、母親がまどかの相談に乗ってはいるが、彼女が伝授するノウハウは「中学生ならトライアンドエラーが許されて当たり前」だった時代のものでしかなく、まどか達が直面している、一発の失敗が即座に命取りになる状況には対応していない。
 
 両親の存在が、問題の中枢付近に絡まっていたエヴァと、両親の存在がほとんど無力で、問題にコミットできない まどか☆マギカ。この対照的な構図を見ても、作品に込められたメッセージには相当な違いがあると感じる。
 
 
 ・人間離れしたキュウべぇ、人間臭いネルフ
 中学生達への事実秘匿もかなり異なっている。
 
 ネルフの大人達は、中学生達にたくさんの隠し事をしていたが、「自分達は中学生に後ろめたい隠し事をしていました」という自覚を匂わせる仕草や発言がチラホラと見られていた。できるだけ情報を隠そうとするけれども、バレればそれなりに人間臭い反応をする;それがネルフの大人達の姿だった。
 
 一方、キュウべぇの場合、「隠し事をしているというより、聞かれない限り話そうとしない」だけで、質問されればそれなりに回答をよこしている。ただしキュウべぇは嘘はつかないのかもしれないが、キュウべぇにとって都合の良いことしか答えない。隠し事が発覚した時のリアクションも、ネルフの大人達のような人間臭さが欠落している。
 
 そういえば、1997年の碇ゲンドウは、ネルフ本部が攻撃を受けた際に「人間の敵は人間だよ」と言っていたし、使徒は人間のDNAに限りなく近い組成だった。ところが2011年のキュウべぇは、色んな意味で人間からかけ離れていて、システム(構造)の寓意のように見えてならない。ほむらは「うぶな中学生を、妬みや恨みの世界に堕落させるシステムと戦う魔法少女」といったところか。
 
 
 ・環境に反応するまどかと、葛藤を抱え込むシンジ
 20世紀末のエヴァンゲリオンでは、登場人物の自問自答的な心理描写が随分含まれていたが、21世紀のまどか☆マギカの場合、そのような描写は最小限に抑えられている。脇役勢はともかく、まどかは悩まない。その場その場で情緒的に反応はするけれど、後に引きずらない。
 
 あるいは「シンジには内的葛藤があるが、まどかには内的葛藤が無い」と言ってしまえるのかもしれない。少なくとも描写は乏しい。ウジウジと内省的なシンジのようなタイプよりも、場当たり的に笑ったり泣いたりするだけのまどかのようなタイプのほうが、今風と言えば今風のような気がする*5。しかし、ほむらが「愚か」と斬り捨てたように、8話までのまどかは、その考えない性質のゆえに、同じパターンばかり繰り返している。そんな彼女を置き去りにして、事態は進行しているように見える。
 
 
 ・泣くまどか、逃げる/怒るシンジ
 傷ついたと感じた時のリアクションもかなり違う。シンジが傷ついたときのリアクションは、「逃げ」と「怒り」で、エヴァから降りようとしたり、ゲンドウに喰ってかかったりしていた。一方、まどかが傷ついたときのリアクションは、「泣く」である。オープニングの冒頭でも、まどかが涙を流していたが、実際、涙は彼女の象徴のようだ。まどかが傷つくと、メソメソと泣くが、逃げたり怒ったりすることは無い。もちろんキレて暴走することも無い。*6
 
 傷ついたときにただ泣いていられるのは、泣けば保護者が飛んでくる、という前提に慣れた人間だけである。良きにつけ悪しきにつけ、シンジの振る舞いは、泣いても保護者が飛んでこない家の子どもに相応のものだし、まどかどかの振る舞いは、泣けば保護者が必ず飛んでくる家の子どもとして似つかわしい。
 
  

まどかの切り札は、「魔法少女に憧れる幼稚園児の心」?!

 
 以上のように比べてみると、まどか☆マギカは、エヴァンゲリオンには無い、21世紀風のエッセンスをしっかり含んでいると思う。
 
 まどかの振る舞いは、全般にシンジよりさらに幼く、依存的のように見える。環境に対して(動物のように)反応することはあっても葛藤することを知らず、逃げることも怒ることも知らない彼女は、ほんとうに無力だと思う。2011年の傑作アニメと見込まれているのが「主人公が、泣いてオロオロしているだけの作品」というのは、ちょっと凄い。
 
 しかし、まどかは本当にこのまま終わってしまうのか?
 
 普通に考えるなら、そうではないだろう。エヴァと違って、この話には「奇跡」というファクターがあるし、実際、まどかは魔法少女として大化けする可能性を秘めているように見える。
 
 まどかには、奇跡を欲しがろうとする“欲”が無い。彼女の行動原理は「誰にも傷つけられない・誰も傷つけない自分」というナルシシズムに忠実だが、奇跡を自分自身のナルシシズムに充てるような計算高さはみられない。しかも根はものすごく善良だ*7。魔法少女への憧れも、幼稚園児がプリキュアに憧れるような、曇りの無い憧れのようにみえる。これは、他の魔法少女達が欠いている、すばらしい特徴だと思う。
 
 対して、自分の欲のために奇跡を願い、大きな力を振るう他の魔法少女達は、魔法少女本来のあり方からみれば、どこかズレている*8 し、ヒーロー(ヒロイン)としての資質を欠いている。そういう意味では、奇跡という大きすぎるニンジンに振り回されないまどかの、純粋な(あるいは幼児園児的な)メンタリティこそが、“いわゆる正当な魔法少女のメンタリティ”に一番近いように見える。マミの献身でも、さやかの決意でも、杏子のタフネスでも、ほむらの賢さでもなく、まどかの幼稚園児のようにピュアな心だけが、汚れた欲望の連鎖から魔法少女を救い出せる――もし、そんなストーリーが待っていたら、きっと私は感動してしまうだろう。『イワンのばか』みたいな話だが、これこそがキュウべぇの言う魔法少女の資質だとしたら…。
 
 人間の欲望が大きなテーマになっている作品のなかで、“欲”に対する耐性を持った人間は、ただそれだけでもキーパーソンだと思う。そういう意味では、まどかほど主人公に相応しいキャラクターはいないし、幼くて愚かでも、すべてをひっくり返す可能性は十分に秘めていると思う。
 
 

まだ4話も残っている。未来はまだわからない。

 
 もちろん先のことは分からない。
 まだ4話も残っているし、万が一、すでに劇場版や第二期まで視野に入っているなら、今期の最終話が地獄絵図のほうがむしろ自然だろう。それはそれで面白いことになりそうではあるが。
 
 すでに、並アニメの最終回ぐらいのボリュームでお腹一杯だが、物語の核心はこれからの筈。固唾を呑んで見守っていきたい。
 
 

*1:綾波レイとの沈黙に耐えられなくなったのは、第五話、レイのマンションからネルフ本部に向かう途中で。葛城ミサトとの沈黙に耐えられなくなったのは、第十二話、ミサトの運転する車のなかで。

*2:この観点で見ると、24話の渚カヲルは、最後の使徒に相応しい役割を果たしていたと言える。既にアスカやレイやミサトのやりとりでずたずたになっていたシンジのナルシシズムを、「裏切られる傷つき」「自分が他人を傷つける傷つき」の両方を最大級に体験させることによって、完全に潰してしまったのだから。

*3:このときのキュウべぇのリアクションが、例のごとく悪辣である

*4:バトル後の話し合いでは、ほむらがマミをハメようとしたわけではないことを伝え損ね、雨のバス停でも、さやかを追いかけることが出来なかった。

*5:尤も、エヴァ的な、クドクドとした内面描写にみんなが飽きてしまって久しいことを思えば、当然の措置のような気もする。この点は、割り引いて考えても良いだろう。

*6:8話では、まどかがほむらから走り去るシーンがあったが、あれは傷ついたというよりドン引きしただけのように見える。

*7:この善良さを、さやかは欠いていた。

*8:もちろん、さやかが欲しがった奇跡は、表面的には上条のためのように見えて、実際は、彼を我が物にしたいというエゴを充たすための奇跡だった。それを自己欺瞞でごまかそうとした彼女は、その報いを受けることになる。杏子にも似たような構図が当てはまる。