シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

なんでも自分に関連付けてしまう人には、インターネットは難しい

 
 「自意識当たり判定」で考える「アクティブ・パッシブスルー力」 - conflict error
 あなたの自意識の当たり判定はどのぐらいですか? - ARTIFACT@ハテナ系
 
 ちょうど2年ぐらい前、「自意識の当たり判定が大きい」という、ゲームに喩えた面白い記事を読んだことがあった(上記リンク先)。ネット上のテキストを読んだらすぐ自分のことだと思ってしまって、脊髄反射的に怒り出してしまうような、そういう過剰な自意識を上手く言い表したメタファーだったと思う。
 
 この「自意識の当たり判定が大きい」を思い出すような出来事を最近チラチラ見かけることがあり、思うところがあったので、少し表現を改めてまとめ直してみようと思う。
 
 

自意識の当たり判定が大きい⇒自分への関連付け範囲が広い

 
 「自意識の当たり判定が大きい」という喩えを、ちょっと違う視点で眺め直してみるなら、「自分への関連付け範囲が広い」ってことでもある。本来、自分に関連づけるべきではない事象についてまで自分に関連づけてしまうような人というか、現象やテキストと自分とを関連付けるか否かの判断がユルいというべきか。だから、良い話でも悪い話でも、かたっぱしから自分の事だと思い込んでしまう。
 
 何事につけても自分に関連づけてしまうということは、「セカイの事象がそれだけ多く自分に関連しうると錯覚している」ということだし、それだけ「自分はセカイに関わりのある存在だと無意識のうちに錯覚している」のだろう。世の中には自分とは違う人間が無尽蔵にいて、まったく無関係なコンテキストが数限りなく存在している。にも関わらず、ことあるごとに自分のことだと思い込んでしまうということは、それだけその人自身の世界観や視野に占める自分という存在がビッグで、相対的には、セカイの狭い視野を持っているということでもある。あるいは、自分じゃない人間の占める割合の狭いセカイを生きていると言うべきか。
 
 これが極限まで進行すると、もはやホンモノの妄想と区別がつかない……というか妄想そのものになってしまう。例えばテレビで芸人が笑っているのを見て、それを自分に関連付けて「この芸人、俺のことを馬鹿にしてやがる」となれば被害妄想だし、「向こうのマンションで日曜日に布団が干されるのは俺に恋愛アピールしているからだ」と関連づけられるようなら恋愛妄想と呼ばれるだろう。ここまでセカイや視野に占める自分の存在がビッグになってしまうと、もう【セカイ=俺】に限りなく近いというか、自分と自分以外の区別が曖昧すぎてわけがわからなくなってしまう。幸い、インターネット上で遭遇する「自意識の当たり判定が広い人達」の殆どは、ここまで極端ではないけれども。
 
 
 もちろん、インターネットに多種多様な情報が飛び交っている以上、誰しも、自分のことかと脊髄反射したくなる情報と出遭うことはありえる。ところが、自分に何でも関連付けする度合いの高い人の場合、インターネット上の情報をあれもこれも自分のことだと思い込んで、【勘違いの苛立ち】【勘違いの高揚感】etcに直面する確率がすごく高くなる。これでは“インターネットはつねに自分の噂話と悪口に満ちていて”落ち着いた気持ちでのネットライフなど望むべくもない。非常に神経をすり減らしやすいネットライフになるのではないだろうか。
 
 

なんでも自分に関連付けてしまう人には、(インターネットは)難しい

 
 個人的には、自分への関連付け範囲が広い人、特にその度合いが顕著な人というのは、インターネットが向いていないと思う。それぐらいなら、ネットブラウザを畳んだほうがまだマシだし、せめて、インターネットの閲覧範囲を絞るぐらいの心得はあったほうがよさげだ。
 
 例えば、自分への関連付け範囲が広い人が、Twitterで1000人以上のfollowersを眺めるというのは、ものすごく神経を酷使しそうで、勘違いがたえないだろう。そういう人は、Twitterのprotect機能やブロック機能を駆使し、followする人数も少なめにして、むやみに「俺のことかーっ!」が増えすぎないようにしたほうがメンタルヘルスにはやさしいんじゃないかと思う。あるいは、特定のSNS内で、小規模な集団とのやりとりだけ特化するようなネットライフでも良いのかもしれない。
 
 いずれにせよ、自分への関連付け範囲が広い人の場合、インターネットの使い方にじゅうぶん注意深くなっておかないと、神経をすり減らしてヘロヘロになっちゃいそうだ。