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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

生まれて初めて出会った「おたく」――80年代地域社会の記憶

オタク趣味

 
 私が生まれて初めてオタクに出会ったのは、小学生の頃だった。
 
 
 育ったのは、人口数万人規模の地方都市の、市街地から大きく離れた集落である。隣近所の付き合いが盛んで、長い伝統を誇る神社を奉じ、どこにも知らない人間などいないような、濃厚な地域社会。それが私の故郷だった。
 
 そういう生活空間というのは、大人達にとって“しがらみの多い場所”だったのかもしれない。しかし小学生の私には関係の無いことで、地域の大人達の見守りのもと、子ども仲間*1と群れながら、まずまず人間関係に恵まれた学童期を過ごせていたと思う。
 
 

「俺の兄貴は、祭りにも町の行事にも参加しないよ」

 
 そんな話をクラスメートのA君から聞いたのは、小学校6年生ぐらいの頃だったと思う。
 
 いわく、「うちの兄貴は地域行事にも祭りにも参加していないから、シロクマ君(注:筆者)は知らないんじゃないか。兄貴はゲームに詳しいから、今度うちに遊びに来てみなよ」。
 
 確かに私は、A君に兄がいたこと自体を知らなかった。これは、A君とは元々疎遠で、スーパーマリオブームまではあまり一緒に遊ばなかったせいかもしれない。しかしそうはいっても、私の集落で地域行事や祭りに参加しない人がいるというのは異例中の異例だったし、顔も名前も思い浮かばない人物が同じ集落に住んでいるというのは不思議なことだった。
 
 数日後、A君の家に遊びに行って、彼の兄に実際に会う機会を得た。
 
 ちょうど私達が『ドルアーガの塔』を登りはじめた頃に、彼は高校から帰って来た。見た目も話しぶりも普通のお兄さんだったが、ドルアーガの塔にも詳しくて、ファミコンを囲んで話に花が咲いた。私達が攻略本を見ながら各階の宝箱を出そうとしていたのに対し、どうやらA君のお兄さんは全ての宝箱の中身と出し方を暗記しているらしく、コントローラを握るや、攻略本を見ることもなく宝箱を出現させていたのが印象的だった。
 
 それだけでなく、どのゲームについても異様に詳しく、しかも見たことが無いほど上手い。『スターソルジャー』も、『スターラスター』も、『ザナック』も、ここまで上手いプレイを見たのは初めてだった。“どうしてこんなにゲームの上手いお兄さんのことを、俺は知らなかったんだろう?”私は憧れにも似たまなざしでA君の兄を眺めやり、A君も、A君の兄も、それが満更でもない様子だった。
 
  

初めて見た「おたくの部屋」、X68000の衝撃

 
 以来、ときどき私はA君の家に出かけて、A君とA君の兄との3人でゲームを遊ぶようになっていたのだが、ある日、A君の兄が「俺の部屋に、凄いゲームがあるんだけど、触ってみないか?」と誘ってきた。過去に“兄は自室に人をあまり入れたがらない”とA君から聞いたことがあったので、アリババの洞窟が遂に開いたと私は密かに喜んだ。好奇心を膨らませた私を待っていたのは、田舎の小学生にはまったく予想不可能な世界だった。
 
 フローリングの床には漫画やベーシックマガジンが足の踏み場も無いほど散らかり、箪笥の上には、値段のわからない精巧な造りのZガンダムやバイファム*2が鎮座していた。こんなに散らかっていて、こんなに好きなものを買いまくって、どうして親に怒られないんだろうか?どこからどうやってお金を間に合わせているのだろうか?小学生の私には、想像も見当もつかない事だった。
 
 そしてベッドの脇の美少女ポスターのすぐ傍に、見たことのない、黒々とした、威圧的な出で立ちのパソコンが鎮座していたのである。
 
 「これ、やってみなよ。」
 
 その、X68000というパソコンを立ち上げて私が勧められたのは、『サンダーフォースII』というシューティングゲームだった。ファミコンでは絶対にあり得ない、度肝を抜くグラフィック、派手なパワーアップ、素晴らしい音源…。もちろん当時の私も、パソコンゲームを遊んだことが無かったわけでもないし、『ザナドゥ』『スーパー大戦略』などは既に人気のゲームではあった。けれども当時の私にとって、このときの『サンダーフォースII』ほど衝撃的だったゲームは他に無い。あるいは、A君の兄の部屋の、あまりに日常生活から乖離した風景が、このときのインパクトを殊更に強めていたのかもしれない。
 
 これが私が生まれて初めて体験した、「おたく」と「おたくの部屋」だった。
 
 

そして私もオタクになった。

 
 地域社会という日常からポツンと孤立した、「おたく」と「おたくの夢空間」。
 
 今振り返ってみると、A君の兄と、彼のおたく部屋は、【「おたく」と地域社会】【「おたく」とライフスタイル】を考えるうえで示唆的な風景だったと思う。なにせ、集落で唯一、地域社会や地域行事から切り離された人間だけが、「おたく」と「おたく部屋」を実現させていたのだから。
 
 「おたく」が「オタク」とカタカナ表記されるようになった後も、オタク達は、地域行事や“しがらみ”とはほとんど無関係に、自分が見たいものだけを自室に収集し、自分が体験したい事だけを貪欲に追いかけ続ける。典型的なオタクの部屋には、オタクの夢、オタクの願望、オタクの欲求が詰まっているけれど、地域社会の日常に接続するためのアイテムや、家族と繋がるためのアイテムは最小限とされる。オタクの部屋は、オタクの、オタクによる、オタクのためだけの夢空間と化していく…。
 
 こうしたオタク的生活やオタクの部屋は、現代の都市郊外などではそれほど珍しくもないだろう。オタクなんて、どこの学校にも幾らでもいる。しかし80年代の、地域社会の息吹が根強く残っていた集落においては、「おたく」は異質な存在で、その集落で育った小学生だった私にとって、あまりにも現実離れして、夢が凝縮しすぎてクラクラするような、途方もないライフスタイルとして映ったわけである。
 
 その後、進学していくにつれてA君とその兄とは疎遠になり、いつしか会うことも無くなっていった。しかし、A君の兄とX68000への憧れは、その後の私の人生に少なからぬ影響を与えることになった。
 
 例えばメガドライブとスーパーファミコンが出たとき、私がまず選んだのはメガドライブだった。なぜなら『サンダーフォースII』が発売されていたからだ。また、A君の兄から教わったゲーム攻略のノウハウは、『R-TYPE』や『雷電』といったゲーセンのシューティングゲームを遊ぶ際にも遺憾なく発揮され、私はアーケードゲーム至上主義者へと変貌していった。かくして私も、オタクになっていったのである。
 
 

ちなみに

 
 「アニメやゲームだけしか能の無い人間になったら自分はきっと幸せになれない」という悲観的な予測を私が抱きはじめるようになったのは、それから数年後のことになるが、それはまた別のお話ということで。
 

*1:小学校のクラスメートはもとより、上の学年も下の学年も全員顔見知りで、行事や外遊びを介して繋がっていた

*2:時期的に考えると、おそらくバンダイのハイコンプリートモデルではないかと推測される