シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

黒歴史がアーカイブになってしまう時代

 
 黒歴史TLと、リプライたち。~月光蝶~ - Togetterまとめ
 
 
 誰にだって、思い出すだけで身悶えしたくなるような“黒歴史”のひとつやふたつ、あるに違いない。中ニ病まるだしのポエム・奇天烈なファッション・世間知らずの大言壮語 etc……。けれども、そういった痛々しさを経験していればこそ中二病をこじらせない大人に成長できるわけで、中二病はイマドキの思春期の発達に必要なプロセスのように見える。
 
 ただし中二病の発露は、悶絶してしまうような“黒歴史”が残ってしまう、という副作用を伴っている。幸い、中学や高校時代の痛々しい“黒歴史”は、当時の仲間内や大学ノートに封印されて、日頃のコミュニケーションのなかに這い出してくることは滅多に無かった。世間を騒がせるような事件を起こして卒業アルバムをマスコミに漁られるとかでない限り、“黒歴史”はパーソナルな胸の痛み以上の意味を持ち得ないはずだった
 
 

“黒歴史”が、いつまでも人前に陳列されてしまう時代がやってきた

 
 ところが、今は違う。
 
 十代のうちからSNSやtwitterを利用するようになって、中二病的な振る舞いがアーカイブ化されるようになりはじめた。十代特有の過剰な自意識・荒々しい極論・危なっかしいモノへの好奇心、といったものが、デジタルデータとして電子の海に残ってしまうことが当たり前になってしまった
 
 もちろん、十代のネットユーザーにも用心深い人はいる。邪気眼ポエムには公開制限をかける・面倒な話はオフラインに限定する 等々の心得を知っている若い世代も、たくさんいるだろう。しかし、すべての十代が用心深いわけではないし、用心していても思わず表出してしまうのが“若さゆえの過ち”というものだ。また、twitterやSNSは使い方次第では自分の考えが世間のスタンダードであるかのような勘違いを促進させてしまうこともあるし、一人で端末を叩いている時には、心配して止めてくれる人もいない。中二病シーズン真っ盛りの人が、ネット上、特に不特定多数とのやりとりのなかで“黒歴史”を完全回避するのはかなり困難だろう。
 
 で、問題はここから。
 
 ネットの書き込み、特に公開制限をかけない書き込みは、ネット上に記録がずっと残ってしまう。仮に、書き込みそのものは消せてもはてなブックマークツイッターをまとめよう - Togetterまとめウェブ魚拓のような形で保存されることもある。なにより、不特定多数の目を惹きつけるようなインパクトのある中二病は、不特定多数の記憶に残ってしまうだろう。
 
 こうなるともう、“黒歴史”というより“公然の歴史”に近い。
 
 胸の奥にしまっておけるパーソナルな記憶としての“黒歴史”が、パブリックな場・不特定多数に記憶される“公然の歴史”となってしまうわけだ。これは、大人ならともかく中高生にはしんどすぎることではないだろうか*1。中二病をやりたい盛りの、まだ経験の浅い年頃の人達に、つねに正しい身振りでインターネットをやってくださいというのは、ずいぶん過大な要求だといわざるを得ない。
 
 

「じゃあ、紙媒体に戻ってもらう?」

 
 では、どうすれば良いのか?
 
 中高生からネットを完全に取り上げてしまう、というのも一つの考え方かもしれない。しかし現実にはこれは不可能だし、おそらくナンセンスである。“危ないものから遠ざけるのが一番”でインターネットを禁止するばかりでは、なにかのはずみで禁止を乗り越えてしまった時がヤバいし、ネットノウハウを蓄積してもらうにも向いていない。思春期という年頃が、杓子定規な禁則を乗り越えることに快感を覚える季節であることを考えるにつけても、ただ禁止すれば良いというものではあるまい。
 
 正反対に、まったく規制も保護もせず、中高生にも正しい身振りを強要するという考え方もあるかもしれない。「子どもから老人まで、個人は平等であるべきインターネット」という理念を原理的に追いかけるなら、そうなるだろう。しかし、まだ成人していないネットユーザーに、大人と同レベルの判断力や身振りを期待するのも酷な注文である。そもそも、中二病シーズンたけなわの十代の人達が、過剰な自己抑制・自己反省・パトスの迸らないジェスチャーに終始できてしまうことのほうが恐ろしいというものだ――そんな調子で思春期の前半戦を終えてしまうと、思春期後半になって中二病をこじらせてしまいそうである。大人のネットリテラシーを目標にしてもらうのはいいとしても、中高生に大人な振る舞いを過剰に期待しすぎるようでは、おそらくメンタルが色々とこじれやすくなってしまうに違いない。
 
 この問題は、極端を強いるようなやり方はおそらく好ましくないのだろう。インターネットは、もはや不可避のインフラであり、若い世代はそこに慣れていかなければならない。「こういうことをやったら黒歴史どころの騒ぎじゃないよ」といった適切なアドバイスを講じつつ、一方で、十代と判明しているネットユーザーに対しては寛容な措置がとれるような、そういったシステムが出来たらいいなと思う。
 
 

個人的には、「ネット成人式」かなぁ

 
 あくまで個人的なアイデアだけど、「ネット成人式」みたいな制度があればいいな、と思う。未成人であることが証明されているアカウントに関しては初心者マークみたいなものをつけるような。この手の「子どもへの配慮」ってのは端末レベルでなら既にあるけれど、各社blog・はてなブックマーク・twitterのアカウント等にも、未成年を未成年として優遇/制限する仕組みがあればいいのにな、と思う。
 
 ――例えば、未成年マークがついている間のアカウントは、履歴削除の面で優遇措置がとられる&大人から未成年として配慮される。そのかわり、大人からはあくまで未成年とみなされ、書き込みは一年で自動削除される。こうした措置は、そのアカウントに書かれている生年月日が20歳を迎えるまで持続し、ネット成人式を迎えた日からは、通常のアカウントとして取り扱われる――。
 
 これなら、十代の中二病まっさかりの人がネット上で痛いことをやらかしても、黒歴史のアーカイブ化は幾らか防げるだろう。大人の側も「ああ、未成年マーク付きの中二病か、ガイアが輝いてて大変よろしい」といった具合に、未成年という文脈をふまえた対応ができるというものだ。ネット上の偉い人に無分別にも噛み付いた未成年が、あとでメンタルと履歴をグッサリやられるという状況も少なくて済む。ネット成人式を迎えるまでの間、そのような猶予期間があっても良いのではないだろうか。
 
 もっと、それぞれの年代がそれぞれの年代に相応しいインターネットをやりやすいようになればいいな、と私は思う。
 

*1:ここで、「ハンドルネームを変えて、ネットの人間関係を清算すればいいじゃないか」と主張する人がいるかもしれない。しかし、 1.人間関係の清算自体が中高生にはハイコスト 2.恥ずかしいことをしてしまったという体験そのものが中高生にはハイコスト 3.ハンドルネームを変えても、行動パターンや再構築された人間関係から正体がバレる可能性は思いのほか高い といった点を踏まえると、ハンドルネームを捨てればそれで良しというわけにはいかない