シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「独りで歳をとっていかなきゃいけない」

 
 
 六道輪廻の合間には 伴う人もなかりけり
 一人生まれて一人死す 生死の道こそかなしけれ
                              一遍上人のことば
 
 
 この一遍上人のことばに間違いは無い。人は、生まれてくる時も独り、死んでいく時も独り。けれども、いやだからこそ、人は独りでは生きていけないし、誰かの傍にいたいと願い続ける。
 
 独りで歳をとりたくない。
 
 歳をとるという事・老いるという事を、常に肯定的に引き受けるのは難しい。老成、という言葉もあるし、早く一丁前になりたいという思いもあるかもしれないにせよ、歳をとれば容色は衰え、死に近づいていくという感覚と独りで常に向き合っていられるほどタフな精神の持ち主は珍しい。
 
 「事実としては独りで死んでいくとしても、独りで死んでいくという実感に耐えられるようには出来ていない」というのが、おそらく人間の精神の実装なのだろうし、だからこそ死後の世界を人々は語り続け、弔いを続けてきたのだろう。また、死んでいくその瞬間まで、傍に誰かがいてくれることを望むのだろう。
 
 人は本来、血縁集団や地域集団と共に、歳をとっていく生物だった。年齢ごとに請け負う役割がだんだん変化しながら、兄弟や親戚、近所の同世代の人達と共に、生と死の狭間を一緒に歩んでいくのがデフォルトだった。死は間近な存在だったにせよ、絶命直前までは皆が一緒に歩んでいく道でもあり、死後も子孫との繋がりは絶えることなく、盆や彼岸には家族と一緒にいられるという保証が与えられていた。
 
 埋葬や祭礼は、死んだ先祖のための儀式という。けれども実際には、今生きている人達に襲い掛かる「独りで死んでいく」「死んだらそれまで」という恐怖感を緩和するための儀式としても結構有効だった。「死んだ後も独りじゃないよ」という墓前での呼びかけは、たぶん死者よりも生者にこそ重要で、避けられない死という運命を孤独に凝視するのではなく、死んでも独りじゃないというイメージを共有し、死を世代循環に組み込むために必要な機能でもあった。
 
 このことを踏まえて、いわゆる“孤独死問題”について考えると、キツいなぁと思わずにいられないし、そりゃ孤独をどうにかしようという動きが生まれてくるのもよくわかる。
 
 独りで老いていかなければならない。
 独りで死んでいかなければならない。
 
 なかには、「独りで老いて死んでいけない奴は精神的弱者」「現実は独りで死ぬのだから、単なる自己欺瞞に過ぎない」と主張する人もいるかもしれない。けれども世間の大半の人は、仙人のように達観しているわけでもなければ、主義者のように気合が入っているわけでもない。誰かと一緒に老いていきたい・死んでも闇に帰りたくないと願うのが人の心理というものだろう。「弱い」と笑うのは容易いが、その弱さもまた人間の一部に違いない。
 
 だというのに、こうした「弱さ」を緩和し、死者というよりむしろ生者のなぐさめとなるような社会システムはすっかり弱くなってしまった。皆で歳をとっていく為の地域も通過儀礼も無ければ、死者と生者が一緒にいられるような祭礼も無い。家族といった時、父母や祖父母だけでなく、死んだジジババを思い出せる人がどれだけいるだろうか?最近は葬式仏教どころの話ではなく、葬儀センターで永代供養までパッケージングされてしまえば、生と死をつなぐ機能は求めるべくもない。生と死の断絶は、病院や老人ホームといった現代空間によっても促進されている。だが、いまさら昔に帰れというわけにもいかないだろうし、葬儀センターも老人ホームも必要だからつくられたまでのこと。それらが無くなってしまったら都会の生活は成立しなくなる。
 
 旧来的な社会から現代都市への移行は、トータルで考えるなら、まず望ましいものだったのかもしれない。ただし、良いことづくめだったかと言うとそうではない筈で、旧来的な社会システムではカバーされていても都市生活ではカバーされなくなったfunctionが色々と残されている。「老いや死を世代循環に組み込み、個人が単体で直面せずに済むようにする」というのも多分そうしたfunctionのひとつで、「個人が独りぼっちで老いや死に直面しなければならなくなった」というのは、これはこれで今風の悲惨だと思う。
 
 「老いや死に個人が独りで直面する」ことに喜びを感じるのは、一部の精神的マッチョな哲学者ぐらいで、ごく当たり前に弱い大半の人間にとって、悲劇でしかない。だから、孤独死に胸騒ぎがする人が出てくるのは当然というほかないし、スピリチュアルブームやアンチエイジングにすがりつくことで問題を誤魔化そうとする人達を「非論理的である」とただ嘲笑すれば済むというものでもないだろう。
 
 「独りで歳をとって、死んでいかなきゃいけない」。
 私もまた、その事実に割り切れない弱い人間の一人だ。
 独りで死ぬのは、怖い。