シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

モンスターペアレントや非常識は、“治療”の対象となりえるか?

 
 わが子しか見ない「モンスターペアレント」の実情とは 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
 隣のモンスター - すべての夢のたび。
 
 モンスターペアレントについてのAFPの記事に、「モンスターペアレントは治療すべきだ」という感想がついているのを見かけた。“これはもう、病気じゃないの?”、と。
 
 このような感想をお持ちになるのも、確かに不思議なことではないと思う。実際問題として、「毎朝家まで子どもを起こしに来てほしい」「翌日の天気を調べて傘が必要かどうか知らせてほしい」などと要求されては学校というインフラはまともに成立する筈が無い。また、他の子との兼ね合いを考えても、それは無理筋である。
 
 恐ろしいことに、こうしたモンスター○○の話は近年では全く珍しくなくなってきている。子育て真っ最中の父兄、地域の大人、教職に就いた友人、そして心療内科の現場……どこででも一律にこういった話を耳にするし、その遭遇頻度はけして低くない。常識が欠如している、としかいいようのない要求を社会のインフラに平然と押しつける人達。20年〜30年前には、これほどはいなかっただろう。
 
 社会のインフラやマンパワーが無限であれば、こうした人達が何人増えようとも構わないだろう。けれども実際にはインフラやマンパワーは有限だし、特に学校の場合、集団生活を体験すること・自律性を身につけること自体も重要な目標となっているフィールドなわけだから、“我が子”のことしか視えないという姿勢は他の家の子どもにも重大な影響を与えることになる。そもそも、親が万事がこんな調子では、学校や社会で身につけるべき事を子どもに身につけさせること自体、かなり怪しくなるだろう。他の子に迷惑というだけでなく、まず第一に、自分の家の子がまともに育つのかどうか…。
 
 

“現象”としてのモンスターペアレントは精神疾患か

 
 では、モンスターペアレントは精神疾患として精神科的な治療の対象となるだろうか。
 
 “現象”としてのモンスターペアレンツを言葉にするなら、常識の欠如・要求水準の高さ、などが学校側に対して示されている、ということになるだろう。その背景に、なんらかの未治療の精神疾患が隠れているということは確かにあり得るかもしれない。そういう場合は、確かに精神科や心療内科への受診が勧められる。
 
 しかし、“現象”としてのモンスターペアレントは、それ自体は精神疾患ではない。
 
 常識が欠如した振る舞い、学校に過大な要求をすることは、もちろん困ったことだ。しかし、精神科の現代の診断基準(例えばDSM-IV)には、常識が欠如している・過大な要求をすることを精神疾患として定義するような“病名”は存在しない。もちろん、なんらかの精神疾患*1が重篤な状態の時に、精神疾患のために常識が欠如した振る舞いが出現するということは、しばしば起こり得る。しかし、すべての常識欠如が精神疾患かというと、そうではない。むしろ、自らの社会適応を最適化させた結果としてモンスターペアレントと呼ぶに相応しい選択肢を選ぶ個人さえ、存在するだろう。世間的に最適な振る舞いと、個人にとって最適な振る舞いが、完全にズレるというのは珍しくない。
 
 たとえば、“現象”としての暴走族は精神疾患だろうか。
 
 暴走族は困った人達である。常識が欠如しているし、世間に迷惑をかけている。法律や条令に違反することも多く、検挙されることさえある。けれども“現象”としての暴走族は、それそのものだけでは精神疾患ではない。精神疾患を患っている暴走族もいるにはいるかもしれないが、暴走族をやっているという“現象”だけを理由に、精神科へ行けと言うのは間違っているし、仮にそのようなことをしても精神科サイドとしては「この人は困った人かもしれないが、精神疾患には該当しない」と判断するほか無いだろう。
 
 世の中には、はた迷惑な振る舞いや、常識欠如な振る舞い、法を逸脱した振る舞いが数多く存在している。しかし、そういった振る舞いのひとつひとつは、精神疾患に該当するわけではないし、必ず精神機能に異常をきたしているわけでもない。受刑者やヤクザが精神異常かと言ったら、必ずしもそうではないのと同じである。
 
 結論としては、精神科や心療内科は、困った人をどうにかするためのインフラではなく精神疾患を治療するためのインフラ ということになる。そして、精神科医は、精神疾患を治療する技術を専門にしているのであって、常識や世間知を授ける技術に長けているのではない。だから“現象”としてモンスターペアレントを呈している人が精神疾患の診断基準に該当しないときには、精神科医は「ただの困った人」「ただの常識がない人」と診断するほかないだろう。
 
 “非常識”なんて名前の精神疾患は、存在しない。非常識な振る舞いは、それが程度の甚だしい振る舞いであっても、それ単体では、精神疾患ではない。
 
 

いま、常識を授けるインフラはどこにあるのだろうか

 
 さて、モンスターペアレントが必ずしも精神疾患に該当しないという話はここまでにして、では、常識はどこで身につければいいのだろうか。常識を授けるインフラは、どこに存在するのだろうか?
 
 法からの逸脱なら、刑務所がそれにあたるだろう。
 勉強を身につけるなら、学校。
 病気の治療は、病院。
 
 けれども常識の欠如をどうにかするためのインフラは、現時点では存在しない。
 常識の義務教育、みたいなものも存在しない。
 
 常識や遠慮や世間知といったものは、かつてなら、家庭や地域の子どもと大人のやりとりのなかで身につけられたものだろうし、学校の外側で子どもが身につける大切なfunctionのひとつだった。それらは、ある程度の抑圧は伴うにせよ、地域で円満に暮らしていくうえで、そして次世代を育んでいくうえで、重要な修得事項の筈だった。
 
 しかし、今はそうではない。地域社会の消えたエリアで生活し、核家族、しかも余所の家庭との交流も少ないような家で育った子どもには、こうしたチャンスは与えられない。いや、両親が常識や遠慮や世間知について充分な知識を持っているなら、しこたま教えれば子どもがマスターすることもあるかもしれない。けれども、親がそれらをあまり持ち合わせていなかったり、持ち合わせていたとしてもあまり関わる機会が無かったとしたら、子どもには常識や世間知はインストールされることが無い。学校でも放課後でも机に向かっての勉強が中心で、家に帰っても携帯ゲーム機とテレビとだけしか向き合っていないようなら、尚更だろう。子どもに、本やテレビだけを介して常識や世間知を学べと要求するのも、酷な話である。
 
 この話は、なにも今に始まったものではなく、20世紀末から既に存在する話だった。
 けれども20世紀の頃とはっきり違う点がある。それは、こうした常識の身につけられにくい社会構造のなかで育った人達が、そろそろ子育てをされる側から、子育てをする側にうつった、という点である。世代が一巡りしたのだから。
 
 子どもの常識が欠如しているだけなら、社会はまだどうにか回るかもしれない。けれども、子育てをする側までもが常識が欠如していたら、その結果はどうなるだろうか?そして、さらに子どもの世代はどのような影響を被るだろうか?すごくヤバいんじゃないだろうか。
 
 常識の欠如が、さまざまな社会インフラを圧迫しているというのに、今、その常識を授ける社会インフラが希薄になったまま宙ぶらりんになっているという現状。どう考えても、このまま放置というわけにはいかないだろう。常識の世代間継承を、これからどうするのか?
 

*1:例えば双極性障害や統合失調症など