シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

他人を見下す親の子どもは、尊敬力が低く育ちやすいか?

 
 
 
 「他人を尊敬する力の低い親の子どもは、同じように尊敬する力が低く育ちやすいのか?」
 
 どうなんでしょうね、これ。
 
 いるじゃないですか、学校の先生をいつも見下してる親とか。
 
 子どもの前でも平然と先生を見下す親って、昔から一定数いましたが、最近はたぶん増えてるっぽいような気がします。でも、そんな親もとで育った子どもが尊敬や敬意を身につけていくのって、なんだか大変そうだと思いませんか?
 
 

やたらと他人を見下す親は、子どもの尊敬力の芽を潰しているのか

 
 ちょっと想像してみてください。
 子どもの一番間近にいて一番長く過ごす親から「あの先生はダメだ」とか「この人の言うことはあてにならない、親の言うことだけ信じなさい」とか、小さい頃から延々と吹き込まれて育てられて、それで尊敬力ってつくものでしょうか?他人をスゲーと思いやすい人間になれるものでしょうか?
 
 いや、それでも尊敬できる人を間近に見つけられる子どももいるかもしれませんし、これには先天的要素も絡んでいるかもしれません。けれど、他の大人を見下す態度が露骨な親に育てられるのと、まずまず他の大人にも敬意を払える親に育てられるのを比べたとき、どちらのほうが他人に敬意を払う力や、他人をスゲーと思える力を養いやすいものでしょうか?
 
 いつも他人を見下し悪口ばかり言っている親に育てられて、それでも他人に敬意を払う姿勢を身につけられるのか?私すごく、疑問です。そういった親の見下し態度を内面化しちゃうんじゃないかと思えてしまうんです。スゲーとか尊敬できるとか思える機会があっても、すぐに親から「あんなもの(あんな人)、尊敬しちゃダメでしょ!」なんて言われて育ったとしたら、なんだかキツそうです。
 
 こうやって考えると、他人に敬意を払うよりも見下しや否定ばかり吹き込まれている子どもって、尊敬力の芽を潰されているようなものじゃないかという気もしてきます。少なくとも、親が誰かに敬意を払っている姿をそこそこ目の当たりにしている子や、誰かをスゲーと思ったときに「あんな人、尊敬しちゃダメでしょ!」などとは言われない子に比べれば、他人を尊敬する力を育みにくそうです。
 
 

はっきりとした証拠はないけれど…。

 
 「他人を見下しがちな親の子どもは、親譲りな、尊敬力の低い、他人を尊敬したりスゲーと思ったりしにくい人物に育ちやすい傾向にある」という証拠を、私はまだ見たことがありません。“尊敬力障害”みたいな病名は精神科界隈には存在しませんから、直接的な証拠になるような論文をみかける機会は、これからも期待薄かもしれません。
 
 でも実際問題として、ちょっとぐらい欠点のある相手でも敬意を払ったりスゲーと思えたりできるか否かは、思春期以降の出会いの質・量を左右するしょうし、ひいては、スキルアップの可能性や人生の開拓可能性にも影響するでしょう。他人を見下す癖を親からコピペした処世術を身につけたら、世間に出てきっと苦労してしまいます。だとしたら、少なくともむやみに他人を見下す姿ばかり子ども心に焼き付けておくのは避けたほうがいいんじゃないのかな、という気がしてしまいます。
 
 もしかしたら、こんな心構えはお祈りみたいなモンで、子どものパーソナリティ形成にさほど大きな影響を与えるものではないのかもしれません。それでも、ちょっとぐらい振り返っておいてもいいんじゃないでしょうか。子どもの前でいつも学校の先生や他の大人をこき下ろしたり悪口ばかり言ったりするのって、どうなのかな、って。
 
 やっぱり子どもって、親の振るまいや処世術をよくみてると思いますもん。
 
 

追記

 
 ちなみに、親が他人を尊敬さえすればいいのかと言っても、例えばカルト教祖みたいな万能の崇拝対象を拝むところしかみせず、普通の人は全部見下しているようだったら、やっぱりダメじゃないかと思います。万能の崇拝対象だけを拝んで、そうでない弱点や齟齬を含んだ普通の人間は片っ端から見下すというのは、誰も尊敬できてないのと殆ど同じでしょう。お互いに多少の欠点や弱点があっても、それでも一定の敬意やスゲー感を相互交換できる、そういうのが、まともな意味での尊敬や敬意なんじゃないでしょうか。
 
 
 [関連]:「他人を尊敬する力」を測るバロメータ - シロクマの屑籠