シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

恋愛フラット化は、イレギュラーな性分に理想の異性をもたらすか

 
 何年か前に、とてもギークで風変わりな男性と宴席で御一緒したことがあった。
 彼は妻子持ちのギークだったが、その時、彼が語った言葉が今でも印象に残っている。
 
 
 「今の嫁さんに、俺のギークな性格やライフスタイルを気に入って貰えているからとても助かっている。」
 
 「「けれども俺みたいな性格・生活を気に入ってくれる嫁さんは、たぶん世間にはあんまりいないと思う」
 
 「俺みたいなタイプの男性を気に入ってくれる女性は少ない筈で、マッチングの需給関係は絶対にアンバランスだろう」
 
 
 確か、こんな内容だったと思う。
 ギーク然とした性格・ギーク然とした生活をしている男性を気に入ってくれる女性も、たぶん探せばいないこともない。けれども、ギーク然とした男性の総数にみあった数の女性が“ギーク・ラヴァー”になるかというとそうではなく、需給には著しいアンバランスがあるだろう、という話だった。
 
 これは、“ギーク然とした生活をしている男性”だけに当てはまるものではなく、たとえば“鉄道オタク然とした生活をしている男性”や“バブルの夢から醒めてないアラフォー女性”なんかにも言えそうだ。確かに、そういう人を気に入ってくれる相手も、いくらかはいるだろう。けれども需給関係は、需要100に対して供給が20ぐらいの、絶望的なアンバランスを呈しているのは眼に見えている。
 
 

自由恋愛は、イレギュラーな性分にフィットするような恋愛の可能性をつくった…厳しい競争を前提として

 
 もちろん、恋愛の自由化・男女交際のフラット化は、冒頭の男性ギークのような、イレギュラーな性分の人にも馴染むような恋愛や配偶の可能性を与えたとは言える。“蓼食う虫も好き好き”と言ったって、出会いの少ない昔の地方などでは、蓼と虫がお互いを見つけあうこと自体が困難だった。風変わりな趣味やイレギュラーな性分を抱えた昔の男女は、正直なマッチングを端から諦め、その性分やイレギュラーを抑えながらの恋愛や配偶に甘んじるほかなかった可能性が高い。
 
 それに対して、現在の都市空間ではいくらでも相手をサーチ出来るので、イレギュラーな性分にしっくり来るような異性の絶対数が少ないとしても、それなりに探し出すことが出来る。オンラインまで考慮に入れるなら、サーチ可能性の範囲はかなり広く、よほどニッチで特殊すぎる性癖でもない限り、自分の性分とフィットするような異性を“発見”するぐらいまでなら可能だろう。例えば、“鉄道オタク趣味の男性オーケー”程度の女性であれば、インターネットを巡っていれば幾らでも発見することができる。少なくとも「発見する」というところまでは。
 
 問題は、そこからだ。自分の性分にフィットしそうな(比較的少数の)異性をいくら「発見」しても、需要と供給の関係がアンバランスなので、男性の側か、女性の側か、とにかくどちらかがあぶれることになる。例えば、鉄道オタク男性と付き合いたがっている女性は、鉄道オタク男性全体よりも常に少ないだろうし、有閑マダム志望のアラフォー女性を選びたがっている男性も、そのような女性に比べて供給が少なそうにみえる。いくら自分の特殊性分にフィットしそうな異性を「発見」できたとしても、それは常に席不足な椅子取りゲームの椅子であって、ライバル達と競合するような“貴重な物件”と想定しなければならない。
 
 
 このことは、イレギュラーな性分や難しい趣味を持っている人達に、二つの相反する結果をもたらしている。
 
 1.運や縁やスペックに恵まれた人間には、自分の性分にフィットした、望みどおりの異性との交際が待っている。昭和のムラ社会では実現困難だったであろう、“蓼食う虫も好き好き”の具現化は、当人達にとってはハッピーな展開といえる。
 
 2.しかし、運や縁やスペックに恵まれずにあぶれた過半数の人間には、「自分の性分にフィットした異性が可視化されているのに手が届かず」「競争率が高すぎてにっちもさっちもいかない」という事態が発生してしまう。この場合、あたかも手が届きそうにみえてしまうことが、不幸感やルサンチマンをむしろ増幅させる。「俺のこんな性分にあう奴なんてどこにもいないだろうなぁ」と端から諦めて暮らしているのと、「俺もオタップルになりたい」と中途半端な希望を抱きながらズルズル暮らすのでは、おそらく後者のほうがしんどい。
 
 このため“蓼食う虫も好き好き”を地で行くような、非常にsuitableなカップルが少数誕生すると同時に、そのような状況を夢見ながらも手が届かない人間が慢性的にしんどいという、功罪入り混じった結果が発生すると推測されるし、現にそういう事態が発生しているようにもみえる。果たして、この状況を「鉄道オタクにも彼女ができやすくなった時代」「廃ギークにも嫁ができやすくなった時代」と呼んでしまって良いのだろうか?
 
 

選ばれる側の性別にとっては“よりどりみどり”

 
 もっとも、椅子取りゲームの椅子として選ばれる側からみれば、むしろ“よりどりみどり”なわけで、何の問題もない。例えばアイドルオタ大好きな女性、廃ギーク大好きな女性は、その範囲・そのカテゴリのなかで殆ど最上の男性を見繕うことができるだろう。一般的には敬遠されやすいニッチな性分や趣味をたまたま気に入ってしまった女性(または男性)を待っているのは、光り輝く青い海だ。競合するライバルが少ないので、一番自分にしっくり来る相手を、ゆっくりを選べる。けじめさえ見誤らなければ、サークルクラッシャーのような問題も避けながら、最良のパートナーと出会えそうだ。