シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「シーンの最前線から退く覚悟はあるか?」

 
 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51153958.html
 (※画像へのリンクは、http://image.blog.livedoor.jp/blv42/imgs/f/9/f97a6dae.jpg)
 
 
 リンク先は、2ちゃんねる界隈では有名な「ガイアが俺にもっと輝けと囁いている」である。描かれているファッションには賛否両論あるにせよ、ファッションに賭ける熱情のようなものが伝わってくるフレーズだ。
 
 さて、有名な「ガイアが…」に隠れて目立たないものの、その右隣のフレーズもかなり凄い。
 

 シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか? by 山口(27)

 これを、中二病だとバカにするのは容易い。けれど、思春期のうちはそういう気持ちでチャレンジしたほうが、かえって色んなことが経験できるし、思い出もつくりやすいんじゃないかとも思う。若いうちは、“前のめりの没頭”というのも、そう悪くはない。
 
 
 ところが三十代を迎えて、私自身はちょうど正反対のことを自問自答せずにいられなくなってきた。
 
 「自分には、シーンの最前線から退く覚悟はあるのか?」
 「最前線から退いた境地に軟着陸する準備はできているのか?」
 と。
 
 私自身、一人のオタクとして新しいコンテンツを求め続けてきた。シューティングゲームやギャルゲーやシミュレーションゲームetc…オタク仲間と情報交換をしたりネットを巡回したりしながら、新しくて面白そうなものを求め続けていたと思う。けれども最近、コンテンツの選び方が保守的になり始めている自分に気付くようになってきた。動体視力の低下も著しく、シューティングゲームのスコアアタックに身体が悲鳴をあげる。そもそも、学生時代のようにゲームに時間をゆっくりかけられるわけでもない。
 
 こういう悩みは、なにもオタクに限ったものではないと思う。ファッションであれ音楽であれスポーツであれ、いつまでも「シーンの最前線」を維持し続けることはそれほど簡単ではない。仕事で専攻しているプロの人達ならいざ知らず、あくまでアマチュアとして楽しんでいる人達がいつまでも「最前線」たろうとするためのハードルは、歳をとるごとに高くならざるを得ない。
 
 言い換えるなら「普通のおっさん/おばさん になる覚悟はあるか?」ということでもある。
 
 よく、「おっさん雑誌に取り上げられたらその流行は終わり」とか「おっさんのファッションはおっさん」といわれる。これらは、どちらかといえばおっさんを揶揄する表現だ。シーンの最前線たる青年から、シーンの最後尾に移った中年へ。「若いことはいいことだ。歳をとるのは悪いことだ」といったところだろうか。
 
 でも逆に考えてみよう。
 
 「じゃああんた、そういうおっさんになる覚悟はできてるの?」。
 
 ファッション、IT、アニメ、何でもいい。「アーリーアダプターを降りる勇気はできている」のか?「アーリーアダプターをやめた後には空虚感に苛まれるおっさんが横たわるだけ」なのか?しかし私達は加齢し続けていく存在であり、脳がどんどん保守化したがっていく生物だ。いつかはアーリーアダプターがしんどくなる日が来る。歳月は、人を待ってはくれない。
 
 ともあれ大抵の人は「シーンの最前線」から徐々に後退して、思春期から壮年期へとクラスチェンジしていくのだろう、望む望まないとにかかわらず。おそらく私もそうに違いない。けれども「新しいモノを追いかけていたい」という執着が自分のなかに生き残っているからこそ、こんな文章を思いついたりもするのだろう。そして世の中には、「シーンの最前線に立ち続けていなければ不安になってしまう人」というのもたくさんいて、そういう人達にとって、迫り来る老いや脳の保守化と折り合いをつけることは、かなりの難作業になると予想される。
 
 人は、[子ども時代] [青年時代] [壮年時代]といったそれぞれの年代ごとに、違った種類の「覚悟」を迫られる。しかし、そのギアチェンジがスムーズに出来ていない人は、特定の時代にいつまでも心をしがみつかせる。とはいえ、いつかは若さを押し通せなくなる・若さが不自然になってしまう日がやってくる。そのことは忘れたくないものだ。
 
 時計の針は止まらず、私達は社会的にも生物学的にも年老いていくのだから。