シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「他人を尊敬する力」を測るバロメータ

 
 誰かを尊敬する力、他人に敬意を抱く力 - シロクマの屑籠
 
 
 ひとことで「他人を尊敬する力」と言っても、そのありさまは十人十色で、少ない人物を熱烈に崇拝する人もいれば、幅広い人物にまんべんなく敬意を抱いている人もいる。このため、一見すると「他人を尊敬する力」に違いはあっても優劣や強弱は無いようにみえるかもしれない。
 
 けれども「他人を尊敬する力」には、割とはっきりとした強弱があると思う。少なくとも、社会適応への有利不利というのは間違いなくある。例えば、カリスマ的人物を熱烈に信奉している人などは、一見「他人を尊敬する力」が強いようにみえて、実際には「他人を尊敬する力」がかなり弱いと思うし、気付かないうちにいろいろ損をしている可能性も高い。
 
 
 

「他人を尊敬する力」が乏しい人ほど、尊敬対象が狭くなりやすい

 
 私が「他人を尊敬する力」の強弱を見分ける際に真っ先にチェックするのは、「高い理想を引き受けてくれる人物しか尊敬できないか否か」だ。「他人を尊敬する力」が乏しい人が、必ず誰も尊敬しないかというと、そうではない。しかし彼らは決まって「高い理想を引き受けてくれそうな対象だけを尊敬する」
 
 「他人を尊敬する力」が乏しい人は、尊敬対象に対して、出来るだけ完璧な、尊敬するにふさわしい理想を求める……というより、求めすぎてしまう。あるいは、尊敬対象に弱点や欠点が含まれていないことを期待しすぎてしまう。“清濁併せ持った相手に敬意を抱く”なんていうのは、「他人を尊敬する力」が乏しい人にはかなり難しい。欠点が無いようにみえるカリスマをやたら崇拝するか、欠点が見えてしまった相手を見下すかに二極化しやすい。
 
 「他人を尊敬する力」が乏しい人のこうした性質は、対人関係をかなり制限してしまう。
 
 第一に、尊敬対象が絞られてしまうがために、他人から学ぶ機会が制限されてしまう。いくら少数のカリスマを熱烈に尊敬したところで、大多数の友人や同僚を見下すばかりでは、日常生活のなかで他人から学ぶ機会は少なくならざるを得ない。それどころか「あいつはどこかお高くとまっている」と嫌われ者になってしまうリスクさえある。
 
 第二に、数少ない尊敬の対象になにかしらの欠点が見えたときに、思いっきり落胆したり逆ギレしたりするリスクが高くなってしまう。せっかく誰かに敬意を感じるようになっても、ちょっとでも欠点や齟齬がみえただけで(頼んでもいないのに)勝手に落胆したり勝手に逆ギレしたりするようでは、良好な人間関係は維持しにくい。欠点や弱点の無い人間なんていないわけで、いちいち失望しているようではきりがない。
 
 第三に、尊敬の対象にマニピュレート(操作)されやすくなってしまう。日常的な人間関係のなかに尊敬できる人物がおらず、特定のカリスマしか尊敬できないような状況は、その特定のカリスマの言うことばかり傾聴しすぎてしまうリスクを孕んでおり、まかり間違えば手駒としていいように操られる羽目になる。えてして、カルト宗教じみた集団のリーダー達は、欠点や弱点を隠しながら偶像を演じきってみせるので、そういう人物だけを尊敬の対象にしてしまった日には、簡単にマインドコントロールを許すことになってしまう。
 
 

「他人を尊敬する力」が強い人は、身近なコミュニケーションに恵まれやすい

 
 対照的に、「他人を尊敬する力」に恵まれている人は、欠点や弱点の垣間見える人物であっても、ある程度の尊敬を感じ取ることができる。極端に理想的なカリスマだけを崇拝するのとは異なり、自分の身の回りの上司やクラスメートといった日常的な付き合いのなかでも敬意を感じながら付き合えるので、こちらで書いたような尊敬に伴う様々な恩恵を得やすい。
 
 「他人を尊敬する力」が強い人は、完璧な理想人物やカリスマでなくても尊敬の念を抱くことが出来る。熱烈に尊敬することは少ないかもしれないが、そのかわり、尊敬対象の欠点や弱点にもかなり寛容だ。勝手に理想を相手に投げかけて勝手に裏切られて逆ギレするという事も無いぶん、人間関係が破綻しにくい。尊敬対象が特定少数に絞られない分だけ、悪いカリスマにマインドコントロールされるリスクも低く抑えることができる。
 
 そのうえ、身近な人達に対しても常から敬意を抱いている分だけ、日常のコミュニケーションもうまくいきやすくなるし、身近な人達の持っている長所や美質からたくさんの事を学びとりやすい。カリスマしか尊敬出来ないような人には決して得られないような身近なチャンスに恵まれ、おそらく、上司や先生にかわいがられやすく、後輩からも慕われやすい。
 
 

まとめ

 
 大雑把にまとめると、
 
 ・尊敬対象が幅広いか否か
 ・尊敬対象の欠点や弱点がみえても構わないか否か
 ・尊敬の度合いが熱烈すぎるか否か
 
 あたりが、「他人を尊敬する力」の強弱を測るバロメータとして有望だと思われる。
 
 
 最後に、「他人を尊敬する力」が弱い人のなかでも、非常にわかりやすい典型例を挙げておこう。それは「身近な人達をいつも見下しながら、遠方のカリスマ的人物ばかり尊敬している人物」だ。
 
 このような人物は、日常的なコミュニケーションのなかで損をしやすく*1、しかもカリスマにいいように動員されてしまいやすい。尊敬が彼にもたらすのは、メリットよりもむしろリスクのほうが多いぐらいかもしれない。もし、このような人物を見かけたら「きっと、いろいろ損してるんだろうなぁ」と推測して間違いないだろう。
 

*1:しかも、大抵は本人は損をしているとは気付かない