シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

高すぎるプライドと“恥”の感覚

 
 プライドが高くて困っている人は「とりあえずやり終えてみる」をモットーに! - 発声練習
 
 とても良いことが書いてある文章に出会った。自分自身の血肉となるように、しっかりと下積みを行って何かを成し遂げてみること。そうすることによって得られる“腑に落ちる感覚”というのは大切なものだと思う。
 
 しかし、その手のチャレンジって、現在の実行能力と不釣合いな高いプライドを持っている人はなんだか難しそうだ。高すぎるプライドのネガティブな面が、チャレンジの続行を困難にしてしまうような気がする。
 
 

プライドの高すぎる人は、「基礎練習の状態」に耐えられない

 
 プライドの高すぎる人にとって、基礎練習を地道にこなして次のステップに移行するのは、えてして、とても苦しいことだ。プライドの高すぎる人にとって、すぐに結果が見えてくるわけではない基礎練習に終始するのは、単に忍耐や持続力を試されるだけでなく、“恥”の感覚を伴う可能性がある点を見逃すことは出来ない。
 
 
 「何かの分野の入門書を買う自分が恥ずかしい」
 「これからはじめるスポーツの基礎練習をやるのが恥ずかしい」
 「ゲームの初心者としてログインするのが恥ずかしい」
 
 これらは、新しいことを始める人であれば誰にだって、少しぐらいは感じる抵抗感かもしれない。けれども、プライドが高すぎる人にとっては、多少の抵抗感では済まされない。なぜなら、プライドが高すぎる人にとって「この俺様であれば、基礎練習なんてすぐ終わって当然」だからだ。プライドがそこそこの人にとっては何気ない基礎練習の段階が、プライドが高すぎる人には「恥ずかしくて我慢ならない状態」として体験される可能性は、常にある。
 
 職能をモノにするのに時間のかかるような分野で“腑に落ちる”感覚を得るには、それなりの下積み期間が必要だろうし、時には失敗や遠回りもプロセスとして有用なこともある筈。しかし、プライドが高すぎれば高すぎるほど、こうした期間に堪えることが困難になってしまうし、「速やかに成果に繋がる俺」「確実に前進する俺」を体感できない“我慢のひととき”に折れてしまいやすい。高いプライドというのは、しばしば、折れてしまいやすいナイーブさと表裏一体でもある。
 
 

プライドの高すぎる人は「うまくいってない状態」に耐えられない

 
 この延長線上として、プライドの高すぎる人は「うまくいってない状態」への耐性も低い。プライドが高ければ高いほど「この俺様がやって、うまくいって当然」という感覚が強いわけで、その分だけ「うまくいってない状態」への耐性は低くなる。そうなれば、失敗の可能性があるものや、うまくいかない可能性のある分野へのトライアルが極度に少なくなる。
 
 よほど能力のある人であれば、少々プライドが高かろうとも大抵のことをうまくやってのけて、「うまくいってない状態」を素早く回避できるかもしれない。だが、プライドだけが異様に高い人の場合は、「うまくいってない状態」を回避しようと思ったら、広範囲のトライアルを諦めるしか道は無い。うまくいかないことにぶつかるたびにプライドがグワングワンと動揺してしまう人は、ほとんどの場合、「うまくいってない」が起こりにくい分野を志向せざるを得ない。あるいは「既にうまくいっている」ジャンルの外には極力出ないようにするうちに、ジャンルの蛸壺の奥へ奥へと向かうことになってしまう。そのほうが、プライドの動揺に曝されるリスクが少ないという意味で、安全だからだ。本来、そういった「うまくいってない状態」という失敗体験こそが、後日の血肉の材料になっていくこともある筈なのだが…しばしば彼らは、失敗を成功の原材料へとフィードバックする回路を欠いている。
 
 そういう意味では、2chの特定スレッドやオタク趣味のなかでもニッチなジャンルなど、ある種のインターネット空間は、こうしたプライドの高すぎる人達が高いプライドを維持したまま引きこもるのに適した居場所を提供していると言える。得意な場所の外に出ない限りは、“恥”の感覚に襲われる心配も少なくて済むのだから。
 
 

プライドの高すぎる人は「好奇心を抱く範囲」が狭くなってしまいやすい

 
 「基礎練習の状態」にも「うまくいってない状態」にもプライドが耐えられないとなれば、挑戦出来ることなんてたかがしれているし、経験できる範囲も狭くならざるを得ない。結果として、プライドが高すぎる人は「好奇心を抱く範囲」が狭くなっていく。そりゃそうだろう、広範囲に好奇心を持てば持つほど、あちこちで「基礎練習の状態」「うまくいってない状態」に遭遇しては、プライドに釣りあわない現実に直面して傷つく羽目になるのだから。だったら好奇心も自ずと萎縮するというものである。
 
 このことは、対人関係にも大きく影を落とす――例えばプライドの高すぎる人達にとって「特定の異性に惚れ、アプローチしてみる」という一般的な男女交際の手続きはかなり困難だ。男女交際は、はじめは誰だってビギナーなので「初期のうまくいかない状態」を必ず経験せざるを得ないし、しかも「うまくいかない」可能性が常に付きまとっている。また、お相手の異性が高いプライドを充たしてくれるとは限らない。つまり“恥かしさ”やプライドが傷つけられるリスクに満ちており、プライドが傷つくことへの痛さと怖さが大きければ大きいほど、一般的な男女交際からは距離をとらざるを得ない。それどころか、同性の友人をつくる際にさえも、同様の状況に陥る場合もある。
 
 

まとめ

 
 こんな具合に、現実を乖離した高すぎるプライドは“恥”の感覚を介して、基礎的な技能の獲得、新たなトライアルへの意欲、好奇心、といったものに無視出来ない影響を与えやすい。そして、社会適応や対人関係のレンジを大きく左右する。下積み修業時代をコツコツ経るということや、長い修練を経て見えてくる風景は敬遠され、プライドにみあった結果が即座に与えられるトライアルこそが選択される。もちろん、それで身に付くこともあるだろうし、そういった態度が妥当な職種というものもあるだろう。けれども、ベーシックなトレーニングが長期間必要とされる分野や職人的な分野には似合わないとは思うし、そのような生き方で、果たしてプライドと調和したいわゆる“自信”というやつを身につけていけるのか、疑問に感じるところもある。
 
 ただし、この高すぎるプライドに関連した問題は、極一部の特別な人達だけのものではないと思う。
 
 すぐに結果が出ないと我慢ならないメンタリティ - シロクマの屑籠
 
 今風の、すぐに結果を求めてしまうメンタリティと、こういうプライドの高すぎる状態には、たぶん根っこに通じているところがあるんじゃなかろうか。そして、これらの傾向を抱えている人というのは昔よりも増えているようにみえる*1
 
 [関連]:「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは? - シロクマの屑籠

*1:もちろん僕自身も、これを他人事だと割り切ることはできないでいる。