シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

対話に要する労力と時間に対する個人的方針

 
 http://d.hatena.ne.jp/POGE/20090927/p12
 
 久しぶりに“自分語り”をしたくなりました。
 僕自身の処世術に関して、お返事してみようと思います。
 
 
 ネットユーザーの大半は何も考えていない、というご指摘は多分その通りでしょうし、僕自身だって、執着と願望と不安の赴くままに、脊髄反射のようにブックマークし脊髄反射のように言及していると理解しています。しかし、その執着のベクトルの向きなり、スカラー量の大きさなりには、個人差があると僕は感じています。
 
 一例を挙げると、“男女交際”はホモ・サピエンスの殆どが何らかの関心を持っている領域だとは思いますが、twitterやSBM*1で“男女交際”に言及している人々の言及内容や着眼の方向性には、相当な個人差があります。少なくとも、言及内容や着眼の方向性が特異な人物を見つけたり、あるいは特異なアングルに拘っている一群を抽出したりすることは容易です。
 
 そうは言っても、「恋愛指南書やテレビドラマの劣化コピー」とでも喩えたくなるような、良く言えば範疇的な、悪く言えば陳腐な言及と着眼に終始している人間のほうがずっと多いかもしれません。id:POGEさんの仰る文脈でいうところの「よくある存在」というのは、こういった人達でしょうか。「よくある存在」がとりわけレトリックの技巧にも恵まれていない場合、持ち味の不明瞭なピンぼけのビジョンしか浮かんでこないというのは確かです。
 
 ですが僕個人のネットライフの場合、「よくある存在」としてしか浮かび上がって来ない人達は、「よくある存在」として見切りをつけてしまって構わないと思っています。コストを割いて観察しても、そういう人達から目新しくも望ましい何かを獲得できる期待値は高くはないでしょうから。
 
 この広いインターネット空間のなかで、自分にとってユニークな対象を探したい場合・コミュニケーションを通じて望ましい影響を期待できる対象をみつけたい場合に、最も効率的な方法は何か?僕は、新奇で望ましい何かが得られる期待値の高そうな人物を、スクリーニングを通してピックアップして、ピンポイントで対話コストを割り当てる方法が効率的だと考えています*2
 
 本来、個人の固有性や多様性はそれなりに豊かなので、パッと見て「よくある存在」として映ったネットユーザーの大半も、精緻に観察し接近すれば、ユニークな着眼ポイントなり、その人ならではの持ち味なりを見出せるでしょう。けれども、その為のコミュニケーションや観察に支払うコストはゼロではありません。「よくある存在」のユニークネス捜しに目を凝らすにも、それなりの時間や精神力を必要とする筈です。縁に恵まれば、いつの間にか好ましい持ち味に気付くこともあるかもしれないし、そうなれば素直に付き合えば良いと思いますが、そうでない場合、無理にコストを支払ってまで観察対象やコミュニケーションの対象として選ぶ必要は無いと思ってます。
 
 一方で、20〜50個程度の発言を流し読みした程度で「こいつは興味深い成分を含んでいる」とか「自分の執着を刺激する何かを含んでいる」と感じられる人も世の中には混じっていたりもします。こうした人達がネット人口のうちどれぐらいなのかは分かりませんが、そういった比較的少数の人達との遭遇頻度がたとえ低かろうとも、ネット上では無限に近い人間を目撃することが出来るので、数を恃んでスクリーニングすれば問題ありません。実際に僕は、こういうスクリーニングを通して月に1〜2人程度「気になる人候補」を選んで、twitterの発言を過去に遡ってみたり、はてなブックマークのコメントを100個ほど閲覧してみたりして、継続的な観測対象とするか・なんらかの縁を取り結ぶ相手として選択するか、検討しています。そして僕の好奇心や執着や不安をちょうど良く刺激してくれそうな何かが文章から透けてくる人であれば、継続的な観察対象(またはコミュニケーション対象)とします。
 
 写真や文章を拝見する限りでは、id:POGEさんは、凡庸のなかにさえもユニークネスを捉える観察眼と、根気の両方をお持ちなのでしょう。そういった人にとって、僕のスクリーニング手法は乱暴で不埒なものと写るかもしれません。だとしても、個々人のユニークネスを丁寧に拾い上げるやり方では、大人数を大雑把にスクリーニングする手法に効率面では勝てない気がするんです。そしてスクリーニングレベルの人物情報であれば、文章やはてなブックマークを縦断的に観察すれば十分だろうとも思っています*3
 
 もちろん、僕の指向するコミュニケーションはスクリーニングレベルのものだけではありません。スクリーニングは所詮はスクリーニング、アンテナの感度を抑えた情報収集でしかなく、得られる人物像も、せいぜいサムネイル程度のようなものです。着眼対象(コミュニケーション対象)のビジョンの解像度をもっと上げようと思ったら、それなりの時間とエネルギーを費やして、双方向的にコミュニケートするなり集中して目を凝らすなり、していかないわけにはいきません----たとえ、自分と対象人物との相違に触れすぎて痛い思いをしたり、自分にとって気に入らない細部を発見することになったとしても、です----。その継続的なやりとりをネット上の何処でやるのか*4はともかく、コストの損耗と痛みの覚悟を決めて時間とエネルギーをぶっこまない限りは、対象人物の解像度の高いビジョンなど望むべくもありません。で、僕は効率を重視したいので、“どうせコストを支払って痛い思いもするんなら、出来るだけ高確率で好奇心を満たしてくれそうな人物・労力にみあった発見なりメリットなりを提供してくれそうな人物の目星をつけたいなぁ”と思うわけです。“言及スクリーニング法”は、大雑把な把握ではあっても、本気で賭け金をぶっこむ対象を絞りこむうえでは欠くことの出来ない作業だと思っています。*5
 
 

解像度が低い時にみえなかったモノが、解像度を上げればみえる事ならあります

 
 ちなみに、

シロクマ先生は自嘲の盾で自らの執着と投影を嘲笑うお人なので、おそらくそのようなことは織り込み済みだろうが、その観測範囲を超えたモノを目にしたときに同じことが言えるのかどうか、非常に興味深い。

http://d.hatena.ne.jp/POGE/20090927/p12

 僕には、僕の観測範囲を超えたモノは一切みえませんし感じません。
 
 ただし、解像度をスクリーニングレベルに抑えている時に見えなかったモノが、対象人物の解像度を上げるべく時間とエネルギーを費やしているうちに見えてくるということならよくあります。前述したように、スクリーニングは所詮スクリーニング、そこで得られる対象人物のビジョンはサムネイル程度の解像度でしかありません*6。そこで一念発起して目を凝らしてみたら、ものすごいものが見えてきたり、逆に失望してしまったり、不気味さのあまり腰を抜かしたり、なんてことは珍しくありません。
 
 正直に言うと、すべての観察対象(とコミュニケーション対象)をエネルギー全開の解像度でまなざし続けたら、僕は廃人になってしまうと思います。美術館で疲労困憊するようなノリで日常生活を過ごせば、間違いなく神経衰弱に陥るでしょう。だから僕は、解像度を上げて対峙する相手を慎重に選ばなければ生きていくことが出来ませんし、星の数ほど存在するネットユーザーの大半に関してはスクリーニングレベルの把握で済ませなければなりません。これでは厳密な意味では他人を知ったことにはなりませんが、厳密に他人を知ろうと細部を覗けば覗くほど神経への負担は大きくなりますし、娑婆世界や他者の細部をむやみに覗き過ぎて破滅したくは無いんですよ。それを「精神の脆弱」「力量不足」と呼ぶ人がいるなら、呼べばいい。けれども僕は、自分の分際をよく弁えて、自分自身の日常生活と神経活動を守りながら、ネットライフを楽しみたいと思っています。
 
 
 [このやりとりの出発点]「君がどんなものに言及しているかを言って見給え、君がどんな人間であるか言ってみせよう」 - シロクマの屑籠
 

*1:Social BookMark:はてなブックマークなど

*2:当然、その為には先方には何らかの対価を提供できなければならないでしょうが…

*3:ちなみに、スクリーニングというやつは、付き合うコストに見合わない人物を排除するフィルターとしても、付き合う範囲のレベルや枠組みを大まかに枠づけるにも好適です

*4:例:twitter、blog、SNS、SBM、はてなhaikuなどなど

*5:この手法にも、欠点が無いわけではありません。ひとつには、スクリーニングが、僕自身の嗜好を強調する方向で働くことこそあれ、そうでないものを除外する傾向が強いであろう、という点があります。とはいえ、信用や信頼の置けそうな人や縁の深い人が耳の痛いことを言っている場合であれば、それなりに反省したり参考にしたりすることはあるので、今のところ、イエスマンで身を固めてしまっているリスクからは一定の距離を置いているような気がします。また、このスクリーニングを介した手法は“目立ちやすいタイプのユニークな人物”を拾い上げる確率が高くなってしまいやすい、という偏りを含んでいるかもしれません。例えばschizotypalな魅力的個性”は、自己主張の少なさゆえに、この手法ではスクリーニングの網になかなか引っかかってこないかもしれません。しかし、schizotypalな魅力を湛えた人物は、昨今の「よくある存在」とは随分異なった挙動を示すことが多いので、たとえ滅多に発見出来なくても、運良く出会えば見逃すことは少ない、とは思っています。

*6:とはいえ、前述のように十分有用なサムネイルではあります