シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「君がどんなものに言及しているかを言って見給え、君がどんな人間であるか言ってみせよう」

 

君がどんなものを食べているかを言って見給え、
君がどんなであるか言ってみせよう。
                ブリア サヴァラン[味覚の生理学]

 
 この格言のありがたいところは「食べている」のところを「選んでいる」や「言及している」に改変しても意味が通じるところだ。人は、志向する対象が何であるかによって、自分自身の内側に抱え持っている執着や性癖を語る。さらに、志向する対象に触れ親しみ影響を受けることによって、執着や性癖をますます加速していく。だからこそ、プライベートな本棚を親しくない人にみせるのは躊躇われるわけだ。
 
 ところで、大抵のネットユーザーやはてなブックマーカーもまた、言及の対象を自分の好みや執着にあわせて選んでいる。ブログであれ、はてなブックマークであれ、大手小町であれ、ネットユーザーは、自分の言及したいと思った事物に偏りまくったかたちで言及を繰り返しているのが常だ。言及の内容は、賞賛かもしれないし、批判かもしれないし、解説かもしれないし、感想かもしれない。しかし、いずれの場合も執着があってはじめて言及が起こり得るわけで、個々のネットユーザーなりブックマーカーなりが、何に対してどういう言及をしたのかの累積的なデータは、そのネットユーザーやブックマーカーの執着の傾向を綺麗に反映したものになる。*1
 
 だから、個々のネットユーザーがどういう人物でどういう執着を持っているのかは、その人の言及にかんする累積的な傾向をみればかなりのところまで推定できる。例えば、はてなユーザーの場合、“はてなブックマークのタグ”は、こうした累積的傾向を一覧するには非常に適している。*2はてなブックマークのタグ一覧は、そのタグ一覧をみせている人間がどういう人物なのかを雄弁に語るし、これはtwitterの“お気に入り”などにも当てはまる。
 
 自分の言及やブックマークが関心や分析の対象になっているという自覚から遠い、無頓着で無防備な人の場合ほど「君がどんなものに言及しているかを言って見給え、君がどんな人間であるか言ってみせよう」は真である。ということは、一般のネットユーザーの大半にはこの格言は当てはまる、と言い換えても差し支えない。「自分の言及やブックマークが継続的な分析と観察の対象になり得る」という意識を持つに至っているネットユーザーは、(少なくとも今のところは)あまり多くないようにみえるので。
 

*1:よほど意図的な隠蔽を施した場合は別である。例えば自分が一番好きな分野への言及は別アカウントで行う、などという隠蔽を事前に施していれば、こうした読み取りをある程度は困難に出来ることもある

*2:例えば私の場合、[娑婆世界][オタク文化][適応の技術と技法][執着]タグが上位を占めており、私の関心の方向性をよく表していると思う。