シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“あんた、ママのお人形で終わるぜ?”

 
 
 
 “あんた、ママのお人形で終わるぜ?”
 
 インターネット上でみかけた、なんとも痛烈なフレーズである。
 20代〜30代の男性で、このフレーズを他人事と笑って済ませられる人がどれぐらいいるだろうか。
 
 “ママにとって理想の良い子”として生活せざるを得なかった男性諸氏。
 
 “ママの言うとおり勉強し、塾に通って大学に入った”男性諸氏。
 
 “いつもママの顔色を窺いながら幼年時代を過ごしてきた”男性諸氏。
 
 俗に、“三つ子の魂、百まで”というけれど、上に挙げたような処世術に終始してきたような人は、近年の世代には決して少なくない。共感よりもエゴで包み込むような母親・安定した情緒ではなく予測困難な不安定さを提供する母親のもと、“ママのお人形”にならざるを得なかった・ならずには生き延びられなかった人は、“ママのお人形”だった頃の痕跡を、人格や処世術に色濃く残しているのが常である。
 
 こういった“ママのお人形”問題は今に始まった話ではなく、90年代以前の育児書や教育書などでも指摘されていたと記憶している。しかし、これが克服されたという話はあまり聴かないし、“ママのお人形”の程度が強すぎて不適応に至ってしまう人の話が減ったという印象も無い。そうこうしているうちに、このリスクを抱えたまま成長していった世代も歳をとり、三十代を迎えるようになりはじめている。
 
 

“ママのお人形”の一例

 
 “ママのお人形”として長い時間を過ごしてきた人達はどうなるのか?一例として、旧帝大を卒業して商社に就職したE氏(仮)を挙げてみよう。*1
 

 大学時代までまじめに勉強し、大手商社に就職したE氏。一見、順風満帆の人生のようにみえた彼も、就職後は、予期していなかった事態に遭遇すると頭が真っ白になってしまう癖や、商談の際の緊張、社内でのコミュニケーションなどに悩むようになっていった。仕事以外の娯楽が好きかというとそうでもなく、空虚感に苛まれながらゲームや2chを惰性で続ける日々が続いていた。仕事や職場への不満はたっぷりあるけれども、“身ひとつから”で勝負することには怖さがあって、身動きできるわけでもない。実家に帰ると、母親が「そろそろ浮いた話のひとつでもないかしら」という風なことを冗談めかして言うが、目が笑っていないようにみえるし、自分でも恥ずかしいことだと思っている……。

 
 こういうE氏のようなタイプの人は、誰かに引いてもらったレールの上は効率的に走れるし、母親が認めてくれる*2価値観の内側ではそれなりに自信をもって振る舞うこともできる。受験や就職面接のようなマニュアルが有効な領域や、法曹やプログラミングといったロジックで完結した領域でも、人並み以上の成績をあげることがある。母親が認める活動範囲が十分に広ければ、それなりに優秀な人材に仕上がることもある。
 
 そのかわり、E氏のようなタイプの人は、誰もレールを引いてくれない場面には滅法弱く、不安や緊張に苛まれやすい人間に仕上がりやすい。小さい頃から母親に励まされていた領域では自信のある態度がとれても、母親が嫌悪感をみせていた領域・理解の及ばない領域では自信も勇気も蒸発してしまいやすく、控えめというよりも頼りない印象を与えがちである。
 
 例えば、男女の話題を忌避していたエゴな母親のもとで育った“ママのお人形”タイプの人は、男女交際のノウハウを蓄積させるどころか、ストレートに関心や興味を持つことも、異性と目を合わせることも難しくなってしまいやすい*3。第二次性徴を迎えた後、必然的にムラムラ芽生えてくるであろう性への関心やリビドーと折り合いをつけるにも、こういう人は一苦労せざるを得ない。
 
 “ママのお人形”タイプの人は、母親の許容範囲の内側では自信にみちた態度と才能を示すこともあるが、母親の許容範囲の外側では脆くて弱気な態度に終始しやすく、才能や技能も開花させにくい。母親を不安にさせるような自発性や母親の敷いたレールから逸脱するような自発性を禁じられ、芽のうちから刈り取られ続けていればこそ、こうなってしまうのかもしれない*4。勿論これも程度問題で、母親の許容範囲が広ければ広いほど、そして母親の呪縛が弱ければ弱いほど、緩和され得るものではある。逆に、母親が勉強と読書しか許さないほど狭量で、情緒的にも子どもを絡め取って離さないような悪夢のような状況の場合、“ママのお人形”として過ごした思春期の爪痕は、深いものにならざるを得ない。
 
 

“あんた、ママのお人形で終わるぜ”

 
 “ママのお人形タイプ”の人が二十代〜三十代になってくると、今度は母親は「自立」や「そろそろ結婚して家庭を」などと言い出すようになるかもしれない。しかし“ママのお人形”として育て上げられた身では、そんな事を言われても当惑するしかない。
 
 今まで、自発性の芽をさんざん摘み取りまくってレールの上を走らせてきた母親が、今度は掌を返したかのようにレールの無い世界で自立しろと期待すること----もっと言うなら、レールの外で自立しないと微笑んであげないわよと暗に示すこと----は、当然、言われる側にとって強いストレスにならざるを得ないし、自分で歩くための足ではなく、レールの上を転がるための車輪を培ってきた人間が、いきなり歩けと言われても歩けるわけがない。今まで“ママのお人形”として従順であった人であればあるほど、当惑と憤怒と苦痛の度合いは強くなるだろう。小さい頃から魂に刻印された“ママのお人形としてよいこでいなきゃいけない”というルーン文字は、そう簡単に消えてくれるほど甘くはないし、意識して消そうと思って消せるようなものでもない。まさに“三つ子の魂百まで”である。
 
 古くは、マニュアル人間・マザコン男・成田離婚、と揶揄された人達、最近なら、非モテ男子・喪男・草食系男子などをみるにつけても、その筋の男性の相当な割合は、この“ママのお人形”タイプに該当すると私は推測している。母親の敷いたレールの上では能力を発揮できても、そこから離れた所では気弱で不安で能力を発揮しがたい、不器用な男達。この手の“ママのお人形”タイプは、どう考えても1990年代以前から存在していた古いメンタリティの筈なのに、減っている兆候はまったくみられない。むしろ、まだ増え続けているような印象すらある。
 
 彼らもやがて、三十、四十と年老いていかざるを得ないし、歳をとってくれば、生き筋や人格が固まってきてしまうだろう。巣立ちの季節を過ぎても飛び立つことのできない、レールから足を離したくても離せない“ママのお人形”達の人生は、このまま“ママのお人形”として終わってしまうのだろうか?
 
 

E氏の後日譚

 
 最後に、E氏の後日譚をちょっと紹介しておこう。
 
 E氏の運命を変えたのは、海外出向の辞令だった。遠い国への出向で一層まずい事になるかと思いきや、面倒見のいい上司に恵まれたためか、それとも母親との距離が遠くなりすぎたからなのか、E氏は少しずつ実績と実力を積み重ねていった。若干、日本嫌いの海外カブレに傾きすぎたきらいはあるものの、海外の仕事と生活に見事に適応し、コミュニケーションの苦手意識も次第に薄れていったという。さらに数年経って、E氏は物怖じせずにモノを言う男になり、海の向こうで上手くやっているらしい。
 
 とにかくも、E氏は“ママのお人形”の呪縛から脱出した。
 こういう事例もあるぐらいだから、全くどうにもならない代物、というわけでもないようだが…。
 
 

ちょっとだけ追記

 この文章は「母親と息子」に焦点をあてて書きましたが、もちろん父親の場合や娘の場合もあるとは思います。ただ、質的にも量的にも、タイムリーにこじらせやすくなっているのは、やはり人形使いの母親と“ママのお人形”の息子という組み合わせではないかと感じています。
 

*1:このE氏の一例は、幾つかの実例を参照したフィクションです。

*2:または理解が及ぶ

*3:母親が、恋愛に対して芽生えた自然な自発性に対して困惑と否定をもって当たった時には、とりわけそうである

*4:注:このあたり、子どもの側の先天的な素養の問題や、父親の影の大きさ、地域社会の状況など、様々な要素が絡んでのものなので、一元論的な理解はもちろん危険であることを、断っておく