シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

パワーポイントに向かってプレゼンする人達

 
 先日、仕事絡みの研究会に出席して、色々な人のプレゼンテーションをみる機会があった。発表内容も興味深いものだったが、発表者の振る舞いやプレゼンスタイルにも、ちょっとした興味をそそるものがあった。
 
 ある発表者(A氏、とでもしておこう)のプレゼンスタイルは、なかでも異彩を放っていた。
 
 彼もまた、パワーポイントを使って資料をつくりプレゼンテーションしている発表者の一人だ。しかしA氏が他の多くの発表者と決定的に異なっていたのは、聴衆に向かってプレゼンするのではなく、パワーポイントに向かってプレゼンしていた、という点だった。
 
 A氏は、聴衆の反応を伺おうともしなければ、聴衆のほうに身体を向けることもない。パワーポイントが映し出している画面のほうを向きっぱなしで、振り返るということがない。まぁ、初めてプレゼンをするようなルーキーにはありがちなことかもしれないが、A氏はそれなりの場数を踏んでいる筈だし、ルーキーにありがちな、暗記原稿を棒読みするような素振りもみられない。
 
 代わりに、A氏はパワーポイントの画面をみながら一人で思索に耽りはじめる。“ああでもない、こうでもない、だから本当のところは不明なんですけれども、今の段階では…”データからは分からないことを、今すぐここで結論づけなければならないかのような口ぶりで、思索の迷路を彷徨うA氏。「分からないことを議論するのは討論の時間でも懇親会の時間でもいいじゃないですか、次行きましょうよ、次。」そんな聴衆の祈りも、場の空気も、パワーポイントと二人だけの世界に埋没しているA氏には届かない。
 
 時間が押していることを知らせるチャイムにも怯まず、パワーポイントと二人きりのA氏の思索はなおも続き、最終的に、冗長きわまりない“ああでもないこうでもない”から聴衆が開放されたのは、予定時間を数十分オーバーした後だった。せめて、この思索を通してA氏が結論らしきものに到達していれば救いだが、ただ単に迷路をグルグルしていただけにしかみえなかった。そして、聴いている側からすれば、議論の要旨を掴むのも困難な、そもそも何処を指向した議論だったのかも思い出せないような、長くてまとまりのない独り言のようにしか聞こえなかったのである。
 
 
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コミュニケーションの意図が欠落したプレゼンって…。

 
 この事例に限らず、話者-聴衆の間でコミュニケートしようという意図が欠落したプレゼンテーションを時々みかけることがある。しかしプレゼンテーションというのは本来、情報を伝えたい側(話者)と、情報を受け取りたい側(聴衆)の間のやりとりがあってはじめて成立するもので、典型的なコミュニケーションのひとつ、である筈だ。言い換えるなら、話者と聴衆の間で視線と呼吸のやりとりが----聴衆の反応を伺ったり、聴衆の反応に話者がさらに応じたりといった部分が----含まれていて然るべきものの筈だ。聴衆が強い関心を示した部分は議論を厚くし、聴衆が興味を示さない部分は話を端折るといった僅かな配慮が、聴衆のモチベーションと関心を集め、プレゼンテーションのメリハリを保っていくのである。
 
 プレゼンに慣れていない人ならともかく、相応の経験がある人であれば、パワーポイントから目を離して聴衆の様子を確かめながら会話できる筈だし、そういった話者-聴衆間のコミュニケーションのフィードバック回路が開かれていてこそ、プレゼンテーションだとも思う。
 
 コミュニケーションの意図が欠落したプレゼンなんて、誰も必要としておらず、ppt.ファイルさえみせて貰えれば済む話だ。むしろ、立派な資料を冗長な話で台無しにしてしまう話者は、邪魔ですらある。貴重な時間を長々と消費した挙げ句、資料に対する集中力を奪い眠気を発生させるだけというのは罪悪にも等しい。プレゼンをやっている人は、このような事情は当然心得ているモンだと期待したくなるけれども、どうやら、この手のプレゼン心得の普及率はまだまだ高くないようにもみえる。
 
 

*1:※このお話は、フィクションです