シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“美少女キャラ萌え”を介した自己陶酔…その着眼のポイント

 
 
http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20090526/1243338171
 
 “自分自身の映し鏡にしやすいような美少女キャラに萌える”という現象は、これまでにも何度となく繰り返されてきた現象だけど、今人気の『けいおん!』にも、おあつらえ向きなキャラクターがいたらしい。
 

 
 ベース担当の澪は、どことなくツンデレ亜系っぽい雰囲気が漂っているなぁと勘ぐっていたが、やっぱり“コミュニケーション不全でシャイなオタクが自己仮託するのにぴったり”な美少女キャラクターだったようだ。『けいおん!』のキャラクターのなかでも比較的萌えキャラ的なあざとさが先行している澪は、恥に敏感で、内弁慶で、強がっている割には対人関係の自信を欠いている。こういった、ある種の男性にとって親近感を感じ取りやすい、自分自身を重ね合わせやすい“萌えどころ”に釣られた人は、澪の一挙一動に自分自身を重ね合わせて、かわいらしい自分の似姿に陶酔できちゃったりするのである。
 
 

美少女キャラクターを介した自己陶酔そのものは珍しくはない

 
 ただまぁ、この手の自己陶酔におあつらえ向きな美少女キャラクターというのは昔から常にあったわけで、とりたてて珍しがるほどのものではない。最近の例だと、
 
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』にみるオタクナルシシズム - シロクマの屑籠
オタクの葛藤をかわいく映す、映し鏡としての『らき☆すた』 - シロクマの屑籠
 
 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』や『らき☆すた』あたりは典型的だし、もっと昔から存在したツンデレキャラクターやコミュニケーション不全なキャラクター達も、そのような自己陶酔に供されてきた。もっとストレートな自己陶酔のよりしろとしての“ふたなり美少女”のたぐいも、かなり長い歴史を持っているのを思い出すにつけても、美少女キャラクターと自己陶酔・美少女キャラクターとナルシシズムは切っても切れない関係にあると考えるのが妥当だろう*1
 
 

いま、美少女キャラクターを介した自己陶酔に着眼する目のつけどころ

 
 だったら今更着眼してもしようがないんじゃないの?という人がいるかもしれない。
 しかし私は、少なくとも二つの点で、着眼の価値があるんじゃないかと思っている。
 
 第一に、自己陶酔のよりしろとして選ばれる美少女キャラクターの、時代に伴うバリエーション変化が興味深い。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイや『Air』の神尾観鈴といったちょっと旧い世代の美少女キャラクターと、『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希や『とある魔法の禁書目録』の御坂美琴のような新しい世代の美少女キャラクターを比較すれば、自己陶酔のための意匠が洗練されていくプロセスをみてとることができる。『けいおん!』の澪などは、この洗練プロセスのまさに最新バージョンに相当するんだろうけど、“軽音楽”という、従来の美少女キャラ萌えには疎遠だったジャンルで上手に人気を集めているのをみると、自己陶酔系の美少女キャラクターも随分なところまで進出したもんだなぁと感慨深い。
 
 自己陶酔の様式そのものは変化していなくても、そのための美少女キャラクターの意匠や舞台背景がちょっとずつ変化している、そのディテールの変化を追いかけていけば、オタク界隈の“来し方行く末”が読みやすくなるんじゃないかな、と思う。
 
 
 第二に、こちらのほうが重要なんだけど、それなりにオタクの世代交代も進んでいる筈なのに、美少女キャラクターを介した自己陶酔の様式が滅びていないどころか、世代を超えて引き継がれているという事実にも、着眼の価値があるんじゃないだろうか。
 
 記憶が確かなら、少なくとも1989年には、上野千鶴子さんが“美少女キャラクターに自分自身を重ね合わせたがる男性オタク”の性質を分析していたと思う。1989年といえば、今から20年も前のことだ。そんな旧い旧い分析が、現在のオタク世代にも通じてしまうということに、もっともっと戦慄を感じてもいいんじゃなかろうか。
 
 当時のオタクは1960年代生まれが中心で、今では40代に到達している世代だ。それに対し、『けいおん!』の澪に萌えている世代には1980〜90年代生まれがかなり含まれている。これだけ世代が離れているのに、1980年代の分析が今でも当てはまってしまっているというのは驚異的ですらある。もうちょっと当てはまらなくなっていたって良いだろうに…。
 
 物事を眺める際には、時代の流れにともなう変化を捉えるのと同じぐらい、時代の流れに左右されない共通項を捉えることも重要だと私は常々思っている。
 
 こういった目線で美少女キャラクター萌えの世界を眺めると、
 

  • 1.キャラクターのディテールや舞台装置の、時代の流れに伴う変化
  • 2.自己陶酔の為の美少女キャラクターのニーズが、世代が変わっても衰えていないという共通項

 に気付かずにいられない。
 
 どちらも非常に興味深い、着眼に値するポイントだと思うし、おそらく、オタクの本質やメンタリティを理解するうえでは、2.のほうがより重要な、核心に近い部分ということになるだろう。
 
 “萌え”と自己陶酔や“萌え”とナルシシズムの問題を、ここらで一度振り返っておくことには、それなりの価値があると思うんですが、如何でしょうか。
 
 

*1:このあたりを最も露骨に表しているのは、例えば同人誌界隈あたりにありgちな、射精するふたなり美少女の描写である。