痛いニュース(ノ∀`) : 中学生が妊娠教諭に嫌がらせ 生徒16人が「先生を流産させる会」を結成し、給食に異物混ぜるなどのイタズラ - ライブドアブログ
これは本当にひどい出来事だ。しかし目を逸らすわけにもいかない。荒れている中学校は本当に荒れているし、ここまで“派手”ではないレベルでは、日常的に色んなことが起こっている。人目を惹かない大小の残酷物語は、このような“事例化”を迎えることもないままに、消えていく。
この手の事件が報じられるたび、トンボの羽をちぎるような無邪気な残酷さのままで迎えてしまった思春期というものに、辟易せずにはいられない。しかしそれ以上に辟易せずにいられないのは、こんな酷い中学生が育ってしまっているということ・多分そのまま大人になってしまえるということのほうだ。
この事件の中学生達の年齢や立場を考えるなら、彼らは加害者であると同時に、被害者でもあるとも言えそうだ。やって良い事と悪い事の分別もつかないまま中学生まで育ってしまったこと・洒落では済まないようなことをやってしまうような中学生になってしまったということは、彼ら自身に責があるというよりも、父母や教師をはじめとする彼らを取り囲んでいた大人達が提供した養育環境や教育環境に由来する部分が大きい。そして、年齢相応の分別が身に付いていないまま大人になって、最終的に苦労するのも、人生をブラックホールに擲ってしまうリスクを負うのも、大人達ではなく子ども達のほうだ。
上記のリンク先をみる限り、学校側の対応は毅然としたものよりは、事なかれ主義的なニュアンスの強いもののようにみえる。こんな曖昧な対応で、果たして彼らに「俺達はいけないことをしたんだ」という自覚や反省を促すことは可能なんだろうか?自分が中学生だった頃のことを思い返すにつけても、中学生というのは、大人がよほど毅然と真面目に対応しない限り、「バレたのがまずかった」と学習することこそあれ、「これは社会的にやってはいけないことだ」という分別を身につけることは無いんじゃないだろうか?
こちらにも書かれているように、一昔前だったら、この手の“やってはいけないこと”をやらかした中学生には、体育教師のきつい拳骨や、父親からの厳しい叱責などが待っていたものだ。そして私などの場合も、本気で大人に叱られた経験や、懲らしめられた体験をとおして、ようやく分別や判断力を身につけていけたように記憶している。
むろん、だからと言って“古き良き体罰”などと礼賛したいわけではない。しかし、自分の子ども時代を思い出すにつけても、現在の中高生と話す機会を通して感じるにつけても、“やってはいけないこと”をきちんと示すなり、叱るなりして貰えない限りは、年齢相応の倫理観や分別は身につかないような気がしてならないのだ*1。理論や理屈を説明されただけで倫理観が身に付くほど聡い子どもなんて、ほとんどいないんじゃないだろうか。“やってはいけないこと”に際して毅然とした態度をとらない大人に囲まれたまま育った子どもが、それでもなお分別や倫理観を身につけるとしたら、むしろそのほうが不自然だ。どんだけ聡いんだよ、と思う。
にも関わらず、学校校長の対応に端的に示されるように、ここまでの事態に際しても、大人達は毅然とした対応をとることが出来ていない。いや、常日頃から教壇にたっておられる先生方であれば、“やってはいけないこと”に際して大人が毅然とした対応をとることの重要性を知らないということはないだろう。しかし昨今の教師に、毅然とした対応をとれるだけの立場や裁量が与えられているとは思えない。両手を縛られたサンドバッグのような状態のまま、さまざまなことを期待され、教育責任を負わされている彼らに、毅然と対応するよう期待するのは酷というものだ。今日日は、物凄く悪いことをしたとしても、教師が拳骨なんぞ持ち出したら、父兄や社会からの糾弾は避けられない。口で叱ったとしても“うちの子のトラウマになった”などと噛みつく父兄すらいそうである。
「どこの学校にも多少ある。わざわざ騒ぎたてるほどのことでない」
悲惨なことに、マスメディアに登場する人物までもが、毅然とした対応とは対照的な発言をしていたようだ。
痛いニュース(ノ∀`) : 『流産させる会』について勝谷誠彦氏「どこの学校にも多少ある。わざわざ騒ぎたてるほどのことでない」 - ライブドアブログ
これはかなりひどい発言だと思う。
確かに、似たようなことは全国の中学校で起こっているだろう。しかし、全国で起こっているからといって、“騒ぎ立てるほどのことでない”と言って良いのだろうか?全国で起こってさえいるなら、万引きもスリも殺人も“たいしたことはない”のだろうか?
全国で起こっていようが起こっていなかろうが、“やってはいけないこと”は“やってはいけないこと”だ。そんな当たり前のことすら、大人が毅然と示せないというのであれば、子どもに伝わるわけがない。だというのに、テレビに出てくる大人までもが、“やってはいけないこと”の分別を無視した発言をするなんて!ひねくれた中学生がこの発言をみたら、「ほら、俺達たいしたことないだろ?」と吹き上がったり、「正義なんて無いんだよ」と自己正当化したり、どちらにしてもろくな受け取り方をするまい。似たようなことが全国で起こっていようが、近所で起こっていようが、“やってはいけないこと”は“やってはいけないこと”じゃないのか?!
テレビに出てくる知識人までもがこんな有様なんだから、“やってはいけないこと”に対する社会の意識や父兄の意識は、推して知るべしだろう。こんな社会環境のなかで、一人前の分別を*2身につけるよう期待されている現役の子どもの皆さん、本当に大変ですね。周りの大人が模範をみせてくれないのに、誰も本気で叱ってくれないのに、どうやって身につけろというんでしょうね。
昨今、世の中は複雑になる一方で、何が正しくて何が間違っているのかが不明瞭になっているというのは分かるし、“やってはいけないこと”の線引きがデリケートな問題を孕んでいるというのも分かる。けれども、他人の安全や財産を直接に脅かすような、法的にも倫理的にも比較的はっきりと“やってはいけないこと”とみなされている一番基本的な問題に関しては、悪いことは悪いこととして、きちんと指導なり躾なりができてないとまずいんじゃないか*3。そんな当たり前の事もろくに教わらないまま大人になってしまったら、当人にとっても、社会にとっても、不幸なことじゃないかと思うんだが如何だろうか。