シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ベアトリーチェをどんな風に信じるのか問題

 
 ※この文章は同人ゲーム『うみねこのなく頃に』Episode4までのネタバレを若干含みます。未プレイの方は、ご覧にならないほうが良いと思います。
 
 
 
 
 
 
 同人ゲーム『うみねこのなく頃に』もEpisode4を迎え、前半戦を終了した。Episode4の内容を吟味する限り、今回の竜騎士07さん*1はプレイヤーにあまりヒントを与えてはくれなかったようだ。特に科学的な視点の謎解きに関する限り、“出し惜しみした”ようにもみえる。Episode3までに提出されたプレイヤー側の推理の答え合わせなどをやってみせるのも、大サービスというよりは「これ以上のヒントは今回は勘弁してね」とでも言いたいかのように私には映った。実のところ、うみねこのなく頃にWiki FrontPage : うみねこのなく頃に まとめWikiをはじめとした各人の推理は、結構いいところまで進んでいるのではないか?というのが今回の竜騎士07さんの“指し手”に対する私個人の印象だ。
 
 
 ところで、「ベアトリーチェは存在するか否か?」「魔法なのかそれともミステリなのか?」は盛んに議論されているようだけれど、「ベアトリーチェは何の為に召還されるのか?」とか「何のために・誰のために魔法が行使されているのか?」についてはあまり議論されている気配が無いようにみえる。そこの所が気になったので、この文章にまとめてみることにした。
 
 

少なくとも観念のレベルでは、ベアトリーチェは間違いなく存在している。

 
 ややこしい話になるんだけど、実は、ベアトリーチェは既に六軒島に間違いなく存在している。観念や想像や願望のレベルでは。
 
 実在の人物としてベアトリーチェが存在して人殺しに関与しているのかは、今でも私はよくわからない。だけど、少なくとも形而上の存在として・想像上の存在としては、ベアトリーチェは既に十分過ぎるほど六軒島に存在していて、登場人物達それぞれの脳内にイメージを獲得している。ちょうど、アニメキャラクターの『ドラえもん』や『涼宮ハルヒ』が架空のキャラクターではあっても、想像上の存在としては沢山の日本人に定着しているのと同様に*2、“想像上の存在としてのベアトリーチェ”は、六軒島に完璧に定着している
 
 で、ここからが問題なんだけど、『ドラえもん』『涼宮ハルヒ』のような単なる架空キャラとは異なり、この“想像上の存在としてのベアトリーチェ”は、六軒島の人々の現実世界や日常生活にかなり影響を与え得るということだ。
 
 ちょうど、仏教やキリスト教への信仰が教理体系に沿ったビジョンを信者に与え、それに沿うような行動原理を提供するのと同じように、“想像上の存在としてのベアトリーチェ”は、その存在を信じる人達*3の現実世界のビジョンや行動原理に、多かれ少なかれの影響を与え得る。そういった見方でEpisode1〜4までを見なおすと、仮にベアトリーチェが想像上の存在に過ぎないとしても、現実世界に与える影響自体はやはり絶大だということが改めてわかる。形而下の存在としてはともかく、形而上の存在としての魔女の存在感をみせつけ、いかに人々の認知や行動を歪め、絶大な影響を与えているのかを、彼女が誇示しているかのようだ
 
 私は、『うみねこのなく頃に』の魔女伝説の殆どは、上記のような“現実に影響を与えうる存在としての、想像上のベアトリーチェ”に絡んでのものだと信じて推理ごっこを楽しんでいるし、Episode1〜4に描写された魔法や悪魔の描写だって、認知の歪みや捉え方の問題として殆どが説明可能になってくるのだろう、と思いこむことにしている*4。なんにせよ、現時点では、あれらの殺人を超常現象だと断定するのは早計すぎる。
 
 

「ベアトリーチェをどんな風に信じているのか問題」

 
 で、やっと本題に入るんだけど、Episode5以降の焦点のひとつとして、「ベアトリーチェがいるかいないか」ではなく、「ベアトリーチェをどんな風に信じているのか」という問題が浮上するような気がするのだ。
 
 どうせEpisode5以降、「ベアトリーチェ信仰」という色眼鏡を通してみていた魔術的光景の正体が徐々に暴かれるのは目に見えている。Episode4は、言うなれば夜中の十二時のようなもので、Episode5以降は、戦慄の夜が明けていくのだろう。現象の大部分は科学的根拠のもとに曝され、動機は心理学的に解剖され、「あたかも魔法の仕業のようにみえていたもの」の認知の歪みも暴かれていく。
 
 その際、「各人がベアトリーチェをどんな風に信仰していたのか」「各人がベアトリーチェに何を期待していたのか」が物凄く重要なポイントになってくるんじゃないか?
 
 Episode1〜4までの間、幾人もの登場人物が“各々の信じるベアトリーチェ”について語ってきた。にも関わらず、これら各人各様の信じ込み方の是非については、殆ど論議されたことが無かったように私は記憶している。
 
 だが振り返ってみると、Episode1〜4で描かれた主要な「ベアトリーチェ信仰」は、個人的葛藤をごまかす為のものか、自分自身の欲望を正当化する為のろくでもないものか、専らそのどちらかにしか用いられていない。彼らは皆、“想像上の存在としてのベアトリーチェ”を、身勝手な欲望や、自分一人の葛藤解消の為だけに用いており、最終的に自分自身をも破滅させている。ベアトリーチェを腹黒く残虐な魔女にしたてあげているのは、ベアトリーチェ本人というよりも、「ベアトリーチェ信仰」を醜悪な形でばかり実行してしまっている、“出来の悪い信者ども”のほうじゃないのか
 
 “想像上の存在としての神々”が善でも悪でもないのと同様に、“想像上の存在としてのベアトリーチェ”は、それ単体では善でも悪でもない。ひとえに、神々なり魔女なりを思い起こす人間の側が、善なり悪なりを働くのでしかない。“想像上の存在としてのベアトリーチェ”を介して何を執着し、何を行うのかによって、ベアトリーチェの善悪や内容が規定される筈なのに、Episode1〜4のベアトリーチェは、かわいそうなことに、人間側の妄執によって“殆ど不当と言って差し支えないほど”悪の魔女へと貶められている。
 
 想像の仕方次第・召還の仕方次第では、ベアトリーチェが善なる魔女になる可能性は十分にあるし、例えば、Episode4の縁寿の学園内エピソードでは、魔法が善の効果を発揮する可能性が暗に示されている。しかし、あの縁寿の、現実逃避の為のささやかな魔法ではまだ十分ではない。なぜなら、あの魔法とて、あくまで縁寿自身の葛藤を軽くするための魔法だったわけで、そんな自分自身の内側に閉じた魔法だけで彼女の境遇が変化するとは思えない。もし彼女が、自分自身の葛藤を軽くする為だけに魔法を使うのではなく、他の生徒と自分自身の確執を軽減する原動力や、コミュニケーションのやり直しの駆動力として魔法を使っていたら、あのような展開にはならなかったのではないか?
 
 これは、真里亞や金蔵の魔法に関しても言えることで、我執のためだけに行使される魔法や、自分自身の葛藤から目を逸らす為だけの脳内妄想や、自分の執着を充たすためだけの“ベアトリーチェ”では、一族郎党はおろか、当人自身を幸福の境地に誘うことさえ適わないのではないか?
 
 だって、そこには“自愛”はあっても“慈愛”は無いのだから*5
 召還される魔女が、真っ黒な魔女にしかならないのも、自明のこと。
 
 もっと、我執に囚われない形で“ベアトリーチェ”を想像する者が増えてくれば、ベアトリーチェは本当の意味で奇跡の魔女になるんじゃないかと私は想像するし*6、そうでなければ黄金郷の鍵は復活しないだろう、とも思う。また、金蔵が恋焦がれていたベアトリーチェに関しても、そうしなければ復活しない、とも推定する。金蔵自身も、どこかで我執を捨てなければ真の黄金郷には到達できないように思える。
 
 残念ながら、Episode4までの六軒島の物語で語られたのは、各人各様の我執や葛藤が中心だった。自分自身のことで手一杯のさもしい人間達が、欲望を自己正当化する道具としてベアトリーチェにすがり、六軒島の魔女を真っ黒に染め上げながら自分自身も冥府魔道に落ちていく、そういう悲劇の物語が専らだった。だけど、子を庇う親の姿にも示されるように、嵐のなかの六軒島のなかでさえ、我執を越えた意志は存在していたわけで、Episode5以降の各人の奮闘に期待したいところだ。
 
 

おわりに

 
 こんな文章を読んでも、“うみねこファン”の殆どが「ハァ?」としか思わないのは承知のうえで、どうしても書き残しておきたかったのでまとめてみた。
 
 『うみねこのなく頃に』の楽しみ方は各人各様なわけで、“ミステリか否か”や“ループゲームの構造論”といった難しい議論を好むファンが多いということも知っている。だけど僕個人にとっては、“『うみねこ』が愛の魔女の物語たりえるか否か”のほうが遙かに気になるポイントなので、こういう“推理”をしてみたくなった次第だ。
 
 もし、『うみねこ』が愛の魔女の物語として成立するとしたら、「ベアトリーチェ信仰」は自己中心的な願いではなく、家族や周囲の幸福を祈るような性質でなければならず、そうでない限り、「ベアトリーチェは善なる愛の魔女」と降臨できない筈だ。ミステリ的な整合性に比べて着眼されることの少ない“愛”だけど、竜騎士07さんが『うみねこのなく頃に』に託したテーマとして、どうしても無視できないところだと思うんですが如何でしょうか?
 
 
 [ep3の頃に考えていたこと→]竜騎士07さんの挑発に釣られて『うみねこのなく頃に』を深読みしてみる - シロクマの屑籠
 

*1:『うみねこのなく頃に』の作者

*2:そして、時にはコスプレの対象にだって選ばれるが如く

*3:あるいは疑問形でもいいから、もしかしているんじゃないかと感じたことのある人達

*4:ちなみに後日『右代宮家の精神病理』とでも銘打ってまとめるつもりだが、右代宮家の人間には、被暗示性に弱い者がかなり多いように見受けられる。

*5:Episode4で、真里亞が一瞬、慈愛の片鱗をみせたような気がするが、彼女の年齢を考えれば、それは無理な話というものだ

*6:ただし、そこまで行くのと平行して、科学的・ミステリ的論証がある程度進んでいくとも推定される