シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

女医さんのジェンダー的葛藤がビンビン伝わってくる本に出会った

 

病院はもうご臨終です (ソフトバンク新書)

病院はもうご臨終です (ソフトバンク新書)

 
 
 昨今、いわゆる“医療崩壊系の本”というのはそこらじゅうにあって、食傷気味の感も否めないけれど、おおよそ文章には著者の情念が宿るもので、本から滲み出てくる著者特有のエッセンスが掛け替えのないビジョンを提供する、ということは珍しくない。
 
 今回読んだ本も、まさにそのような一冊だと感じた。
 

 第一章《強烈キャラの患者たち》----難しいケースへの対応、
 第二章《医者ってやつは…》----ドクターの多忙な生活の実状
 第三章《医者の人生スゴロク》----医者はそんなにハッピーじゃない
 第四章《病院はご臨終なのか!?》----医師不足問題について

 
 こうして目次を列挙するだけだと、医療崩壊系の書籍としては(良くも悪くも)オーソドックスな構成だ。医療現場をレポートする新書として、よくできてるなぁと感じるが、ただそれだけの本であれば、他にも良い本が出版されているかもしれない。
 
 ところが実際に読んでいくと、さにあらず。
 濃厚な情念が行間から伝わってきて、驚かされた。
 
 『病院はご臨終です』というのは、あくまで表向きの看板なのかもしれず、文章からビンビン伝わってくるのは、医療崩壊への危機意識よりも、むしろ一人の女性医師が直面している葛藤にまつわる、強い情念だと感じた。実は、この本の正体は、女性医師たる筆者の、魂の叫びなのではないか。そういうアングルで読み進めていくと、やたらユーモアたっぷりの軽妙な筆致も、ちょっと迫力を帯び始めてくる。
 
 

矛盾だらけの『女医』という立場

 
 思えば、『女医』という立場は本当に難しい。
 
 そもそも『女医』という言葉が独り歩きして、今なお生き残っているということが、彼女達の立場の特殊性を物語っている。男女平等のパラダイムのなかで、看護婦や保母が男女の区別のない名称へと変わっていった*1のに対し、『女医』という言葉が『医師』という言葉に吸収されて消滅する兆しはまったくみられない*2。“医師は男の役割”という固定観念が未だに根強く残っていて、女性医師というのは特別な存在、という意識が、どこかしら漂っているようにみえる。『女医』という言葉が生き残っている現状こそが、医師という職業が未だに男性性を帯びまくっていることをよく象徴している。 
 
 そのくせ、『女医』が女性としての役割を期待されることは少なくないし、女性としてまなざされる機会が無くなったわけでもない。女性ナース達からの嫉妬、友達からの「男の医者を紹介してくれ」、医局の宴会芸で割り当てられる“役回り”etc…。男性性を帯びた職業人としての役割を期待されている一方で、妙なところで女性扱いされるという矛盾を『女医』はつねに突きつけられている。
 
 かと言って、彼女達がジェンダーとしての女性性から解脱して、割り切って仕事ロボットになりきれるかというと、殆どの場合、そうではない。プロフェッショナルな医師としてどれほど洗練されようとも、“彼女達は女であることをやめることができない”。言い換えるなら、自分自身のなかに強固に内面化された、女性としての夢・女性としての理想・女性としてのかくあるべき、といった価値観を抱えたまま、自分自身の境遇を省みずにはいられない。そして、内面化された女としての理想や願望と、自分自身の現状とのギャップが大きければ、その分だけ葛藤せずにはいられない。
 
 あくまで私個人の感想、と前置きしておくが、この『この病院はもうご臨終です』という本は、医療崩壊系の本というアングルで読み解くよりも、『女医』が直面しているジェンダー的葛藤というアングルで読んでいったほうが、新鮮な省察が得られると思う。著者の方がどの程度自覚的なのかは分からないけれども、少なくとも私が一番迫力を感じたのは、『ご臨終しそうな病院の話』ではなく、『迷いながら必死に生きる女医さんの等身大の声』、のほうだった。
 
 

高学歴『キャリアウーマン』とも共通した問題

 
 こうした、[内面化された女性性と、自分自身の現実]との葛藤に直面しているのは、もちろん『女医』に限った話ではないだろう。今のご時世、大車輪の活躍をしている独身の『キャリアウーマン』というのは珍しい存在ではない。しかし、職業人としてのキャリアと、内面化された女性的価値観との狭間で暗中模索しているというのが、表向きは強気で華やかな、彼女達の素顔のような気がしてならないのだ。
 
 おそらく彼女達は、頑張って、頑張って、幸せになりたいと願って、高ステータスの職業に就いたのだろう。しかし、そんなライフスタイルを突き詰めて彼女達が手に入れたものと、彼女達が本当に欲しいと願っていたもの*3との間には、甚大なギャップが横たわっているのではないか。小さい頃から成績優秀と期待され、社会に出てからも職業人として活躍しながらも、『いつかはお嫁さんになりたい』『母として子を育てたい』的な、女性らしい価値観からは自由になれず、葛藤を余儀なくされている“強い女達”。彼女達とて、高級マンションでネコと孤独を分かち合うために、わざわざ『女医』や『キャリアウーマン』になったわけではあるまい*4
 
 昨今、『婚活』という言葉が流行っているのをみるにつけても、キャリア女性に代表されるような、内面化した女性性ジェンダーと仕事との折り合いの問題は、まだまだ地獄の一丁目、むしろこれからが本番、という予感がする。そういえば、この世代の男性側も男性側で、“中年童貞”問題をはじめ、内面化された男性性ジェンダーを持て余したまま、加齢しつつある男性が増え続けているようにみえる。
 
 これから先、古典的なジェンダーの枠組みの外側を突き進もうとする人々が辿り着く境地が奈辺にあるのか?そういった未来を想像するにあたり、『女医さん達の葛藤』は示唆的で、参照しやすいクラスタだと思う。著者の仁科先生の今後の活躍に期待したい。
 
 ジェンダーの問題を考えたい人や、これから医学部を受験したいと思っている女性の方にもお勧めの本です。あと、愛娘を医学部に入学させたいと思っている父兄の方には超お勧め。色々と、みえてくるんじゃないでしょうか。
 
 
 



 
 ※ちなみに、以下の一冊は、全く関係ないようにみえて、この本とコインの裏表のような関係にあると思う。なにげに。中年童貞の本ではあるけれど。↓
 
 
中年童貞 ―少子化時代の恋愛格差― (扶桑社新書)

中年童貞 ―少子化時代の恋愛格差― (扶桑社新書)

 

*1:看護婦→看護師、保母→保育士

*2:もともと、『女医』という呼び方が俗称であることが、この傾向を一層しつこいものにしているようにもみえるが。

*3:または、彼女達がよいこととして内面化していたもの

*4:しかも、そんな彼女達を、男性然とした白馬の王子様が抱きかかえるような出会いは滅多に無いのである