シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

承認欲求、心の保水力、そして塩害。

 
 今朝、インターネットを巡回していたら、以下のような言葉に出会った。
 

「生きていてもいい」
「生きているとうれしい」
「死ぬとかなしい」
そんな言葉をかけてほしくて、かけられても、砂漠にじょうろで水を注ぐように、すぐに渇いてしまう。際限がない。

 
 承認がほしい。
 癒しをください。
 好きと言って貰いたい。
 
 インターネット上ではどこででも見かける執着である。けれども、水を撒いてもすぐに乾いてしまう土地・保水力の高い土地があるのと同じように、同質の承認や声がけがあっても、すぐに心が乾いてしまう人というのもいれば、いつまでも言葉を内に秘めてしっとりしていられる、心の保水力の高い人もいる。
 

 ここからは喩え話。
 
 世の中には、熱帯雨林気候な土壌の人、温暖湿潤気候な土壌の人、ツンドラな土壌の人、砂漠な土壌な人、などなどが、存在している。水を撒く(=承認や癒しの言葉をかける)のは簡単だが、土壌改造は、一朝一夕にはいくまい。例えば砂漠な土壌の人が派手に承認や癒しを求めているからと言って、無計画に水を蒔きすぎれば、土壌が侵食されたり、かえって塩害が発生して一層不毛の地になってしまうこともあるだろう。一方で、熱帯雨林気候の土壌な人のように、保水力が異常に高いようにみえて、繁茂している熱帯雨林を伐採して丸裸にしたら、たちまち雨で土壌が駄目になってしまうという場合もある。「永久凍土を暖めてみたら、メタンガスがボコボコ湧くは、地盤が緩むわで大変だった」という喩えがしっくり来る事例も、ネット上ではチラホラみかける。
 
 じゃあ温帯気候の森林地帯のような、保水力豊かな土壌になるにはどうすりゃいいのか、ということになるけれども、承認欲求や所属欲求が充たされる機会が全く無いような日照りや寒冷のもとでは、土壌はたぶん育たない。かと言って、いきなり承認や自己肯定が土砂降りに降って来るような環境に移動したとしても、土壌はそれほど豊かになれないし、保水力もつかないだろう。規則的とまではいかなくても、あるていど充てに出来るぐらいに承認や肯定感が降って来る同じ環境のなかで、相応に長い時間をかけなければ、“土壌改良”は進まないのではないか。
 
 ネット上で行き来する承認関連・癒し関連の文章は、「どれだけ恵みの雨が降ってくるか(=承認欲求が充たせるか・肯定感をゲットするか)」か「日照り続きを誰のせいにするか」に集中しがちだけど、実際には、土壌の保水力、即ち、自分自身が承認欲求やら所属欲求を充たせた時に、それをどれだけ内に留めてしっとりしていられるのか、も同じぐらい重要だ。特に、幾ら癒しの言葉を投げかけられても、幾ら承認欲求を充たしても、すぐに乾いてしまうという人や、しまいに“塩害”を起こしてしまうような人の場合は、何にも増して重要なのかもしれない。
 
 心の保水力が高ければ、人並みの承認、人並みの言葉で、案外やっていける。けれど、心の保水力が不十分であれば、幾ら沢山の承認の言葉、強い抱きしめを得られたとしても、半日ももたずに干からびてしまう。じゃあ、保水力をどうやって高めれば良いのか、という話になってくるわけだけど、これはかなりややこしく、100%確実な方法がある、とはいえないのではないかという気がする。*1
 
 ただ、現時点でも言えそうなのは、この土壌の喩えにあるように、バケツをひっくり返したように瞬間的に承認や抱きしめをプレゼントしても、心の保水力はつかないだろう、ということだ*2。“降水量の変化”はあくまで時間をかけたゆっくりとしたものが望ましく、ある程度あてに出来るぐらいには安定供給が持続していなければ難しい筈。それでさえも、塩害の問題も含めた思わぬ副作用の問題は常に付きまとう。その瞬間だけ恵みの雨を降らせるよりは、これは余程難しい取り組みだ。
 
 

*1:この辺りは、いずれ機会を改めて、もう少し使いやすい語彙を使って、適切に表現してみたいとは思っているけれども、そのような機会があれば、ということで。

*2:むしろ土壌をもっと壊してしまうかもしれない