シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

“他者”からの逃走、としてのキャラクター消費

 
 「現実異性の代用品」を超えはじめた、二次元美少女達 - シロクマの屑籠
 
 現実異性より遙かに理想的な二次元美少女達を消費するのも、三次元の異性を自分好みのキャラクターへと落とし込むのも、自分の願望や理想に合致しないノイズの除去・自分の願望や理想に合致しないものからの拒否、という点では共通している。その為のノウハウが、ほんの少し違うだけの話で。
 
 現実の異性や他者との対峙には、自分の願望や想像力に合致しない違和感・齟齬・摩擦が必然的につきまとう。そこが辛いところであるとともに、面白く奥深いところでもあるわけだが、理想のキャラクターを消費するだけであれば、自分好みの想像や願望に合致しない部分をみつけて傷つくことは無いし、自分の願望とキャラクターとの齟齬に苦しむリスクも無い。現実の異性や他者に接近していけば不可避な、傷付きや失望に遭遇せずに済ませてしまうことが出来る。
 
 では、“他者”からの逃走、としての二次元、が悪いことなのか。適応を妨げる営みなのか、というと、簡単に結論が出せそうにみえて、出してしまうことを私は躊躇わずにはいられない。なぜなら、理想と願望に合致するようなキャラクターが、メディアには溢れまくっていて、それらの供給が今後絶たれてしまう可能性もあまり無さそうにみえるからだ。逆に、価値観や共通理解が分断されまくった一期一会のなかで、他者ときちんと対峙する際のコストは、かなり高くなってもいる。仮に、対峙する相手を選びに選んだとしても、共通の価値観や理解を持たない者同士の場合などは、コミュニケーションに際して乗り越えなければならない障壁はかなり高い。コミュニケーションのノウハウが不十分な個人、などにおいては、その障壁はことのほか堪えることだろう。
 
 そうこう考えていくと、経済的に最低限の水準が維持出来るなら、実は、“他者”からの逃走、がアリ、という人達もいるじゃないか?という疑問がどうしても拭いきれないのだ。現段階では、アリ、と断言する勇気は私には無い。だが、経済的な臍の緒さえ保たれる限りにおいては、理想のキャラクターにくるまれたまま、案外、快適なスタンドアロン天寿を全う出来る個人も一定割合で出てくるんじゃないか。コミュニケーションを通しての承認欲求や所属欲求は、ニコニコ動画や2chにお任せしつつ、美少女や美少年のキャラクターを消費するという生き方には、他者との遭遇・直面は含まれていないし、範疇的に考えるなら、やっぱり“アウト”っぽいけれど、果たしてどうなのか。“他者”からの逃走に特化した人達の行く末を、これからもしっかり見届けたいと思う。
 
 目下、この系統の適応が長期間持続する可能性が一番高いのは、仕事を持った求道系オタクなんじゃないか、と思う。彼らならば“他者”から逃げ切ることが出来るかもしれない。繰り返すが、現時点では“かもしれない”という可能性の話であって、大多数の人がこれで巧くいく、とはちょっと信じきれずにいるが。
 
 

追記

 pdhさんから指摘があったので追記すると、こうした適応がもしも破綻無く続く為には、「十分すぎるほどキャラクター消費が可能な境地に到達していて」「誰かの迷惑や害にならずに共存可能」な などの条件が必須だと思う。その点において、例の事件の犯人などは「キャラクター消費が全然なっていないうえに」「迷惑千万」なわけで、あれは全く駄目と言うほか無い。