シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

怒りの感情表出とコミュニケーション

 
 
怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
 
 怒りにメリットがあるか無いか?
 
 そりゃああるに決まっている。メリットも無いのにエネルギーとアドレナリンを霧散させても疲れるだけだが、怒りに限らず、喜びや悲しみも含めた各種の感情シグナルは、コミュニケーションのショートカットキーとして現在でもかなり重要な役割を担っていると思う。言語や文章では伝えにくいメッセージのなかには、喜怒哀楽の表情や振る舞いによってこそ、速やかに伝達できるものも多い。インターネットのようなテキストに専ら依存したコミュニケーションをやっていると、感情表出を伴ったコミュニケーションのメリットは忘れられがちだが、喜怒哀楽を伴うコミュニケーションと、伴わないコミュニケーションでは、効果が全然違うし、面と向かってのコミュニケーションに長けた人は、必ずといって良いほど喜怒哀楽のシグナル表出にも長けている。*1
 
 私は、効果的にコミュニケーションする人というのは、喜怒哀楽のうち喜楽だけしか取り扱えない人ではないと思うし、喜楽しか表出できない人は、むしろ人間として不器用な人だと思う。怒りや哀しみを持っていればこその人間だし、怒りや哀しみの気持ちを何とか相手に伝えたい状況というのもあるだろう。そして喜楽だけではなく、怒りや哀しみもまた、対象に影響を与えるシグナルとしての威力はかなり高い。目の前にいる人に、「もらい泣き」「こいつを怒らせると面倒だ」といった印象を与えるには、原稿用紙一枚の言葉を書き連ねるよりも、怒りや哀しみを表出することのほうが普通は効果的で、手っ取り早い*2。極単純な威嚇や同情だけでなく、より複雑なニュアンスのなかにも、怒りや哀しみの感情シグナルを混ぜ込むことで最適に伝えられる場合というのがある。
 
 やはり私は、怒りや哀しみの表出そのものは、メリットの大きな、強烈なコミュニケーションのショートカットキーだと思う----笑いやリラックスの表情がそうであるのと同様に。だが、強烈なショートカットキーであればこそ、不首尾に終わった時の悪影響や、失敗した時のデメリットも大きい。怒りのメッセージは相手に緊張や不快感を惹起するし、だからこそ強い印象を残すわけだが、“ただ怒られただけの記憶”を相手に植え付けるだけでは、望ましい結果は得られない*3。このような強くて扱いの難しい切り札的シグナルだからこそ、頻繁に怒ったり泣いたりしている人は信用を失いやすいのだろうし、怒りや哀しみを人前では押し殺すことを選ぶ人がいるのも分からなくもない。しかし例えば叱り上手の人などは、ここぞという時に、これぞという形で怒りのシグナルを表出する。そして最小の副作用で最大のコミュニケーション効果を引き出すことに成功している。言語のメッセージだけでは何の反省も洞察も無かったのに、面と向かって怒りの表情を伴う叱責を受けてはじめてハッと気づく、という経験の一つや二つ、誰しもあるのではないだろうか。
 
 “コミュニケーションの効果とシグナル”という視点からみる限り、喜怒哀楽という感情表出のうち、喜楽だけにメリットのあると考えるのは早計と考える。怒りや哀しみも、これはこれで優れた感情表出で、最適に用いられた場合には高いコミュニケーションの効果が得られるし、また逆に、喜びやリラックスの表情だって、場や対象を弁えずに表出すれば火傷のもとになりかねない。どの感情表出であれ、結局は使いよう次第なんだと思う。強い感情表出であれ、弱い感情表出であれ、粗く拙い使われ方をすればろくな結果をもたらさないし、上手く慎重に用いられればコミュニケーションの効果をそれだけ高めてもくれる。その意味では、笑顔だって、怒り顔だって、さして違いがあるわけではない。ただ、怒りという感情は良くも悪くも効果が激烈で副作用が厄介なので、取り扱いについての色々な不文律が世の中に*4出来ているのかもしれない。
 
 

怒りを表出しないのは、平安のせい?それとも怒りを表出できないせい?

 
 そういえば、リンク先のid:kohekoさんが「今の時代に怒る必要はそんなに無い」という推測を書いていらっしゃるけど、怒りを表出しなくなったのは、誰もが平安に過ごせる時代になって、怒らなくて良くなったからなのだろうか。そうした面もあるかもしれない。しかし一方で、日本はいわゆるストレス社会だ何だと言われているし、突発的にキレる人についての言及や事件が連日のように報道されていたりもする。つくりものの笑顔を貼り付けてコミュニケーションし続けた挙句、メンタルヘルス上の問題を呈する人もたくさんいる。いつも怒っている人というのも問題だが、全く怒れない人というのもやっぱり問題で、怒りを貯め続けて大噴火する人・怒りを自分自身に向けてしまう人・メンタルヘルスをこじらせてしまう人などは枚挙に暇が無い。一見すると現代の日本人は怒りを表出していないようにみえるけれど、それはあまり怒っていないからというよりも、怒るべき時に適切に怒りを表出する術*5を持っていないからではないか、と個人的には思う。それがコミュニケーションとメンタルヘルスの様々の局面に、厄介な歪みを生み出す一因となっているのかな、と私は疑っている。
 
 「平安に暮らしているから怒りの表情を表出しない」というのと、「ストレスも怒りも渦巻いているんだけれど、効果的に怒りの表情を表出できない」というのでは、随分とニュアンスが違うわけだけど、怒らない現代の日本人の多くは、後者に属しているんじゃないかな、と思う。怒りを表出する器用さが無いからか、環境的に我慢一辺倒しかないのかはここでは問わない。しかし、怒ろうにも上手く怒れない状況のなかで対人コミュニケーションを余儀なくされている人というのは、相当に多いんじゃないかなと推測する。特に、一見するとものわかりの良さそうな比較的若い世代において、怒りの取り扱いはどうなっているのかな、という事には関心を持たずにはいられない。
 
 

*1:また、情動シグナルの表出が伴わっているほうが、そうでないよりもストレスの蓄積を回避しやすい、というメリットもあるにはある。

*2:原稿用紙一枚の言葉のほうが効果的だという人は、よほど感情表出が拙劣な人か、逆に言葉を操るのが抜きん出て巧みな、詩人のような人だろうと推測する。

*3:ただし、何をやっても怒り、殴りつける、という手法が有効な関係が存在しないわけではない。相手を無気力化し隷属させることだけを目的としたコミュニケーションの場合には、Aを選んでもBを選んでも、何も選ばなくても、一方的に怒りと暴力に曝し続けるという手法が選択される場合がある。これはコミュニケーションの手法としては最も原始的で野蛮な手法であり、個人的には全く好みにあわない手法だが、残念ながら、このような手法が多用されるような人間関係は21世紀の日本においてさえ、なくなる気配が無い。

*4:或いは文化圏ごとに

*5:と怒りの感情を和らげる術