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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

4/12第三回北極ネトラジの要約

おしらせ

 
 
 以下に、先日4/12に北極ネトラジ03:[マッチョ・ウィンプ/脱オタ・非モテの近親憎悪] のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容のメインの筋と、質疑応答の要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。
 
 
 

【前半パート】 マッチョ・ウィンプ/脱オタ・非モテの近親憎悪----承認欲求の視点からみた、メンタリティの比較検討
 

  • 最近、はてな辺りでは、自力本願でパワフルな男性(マッチョ)と、真面目だけれども与えられた条件に流されるまま、怨嗟の声をあげながら生きている人達(ウィンプ)の意見的対立がみられる。表面的には、両者は全く異なる人種のようにみえる。困ったことがあればまず自分で考え動くのがマッチョで、まず世間や他人が何とかすべきだと考えがちなのがウィンプ。ただ、マッチョとウィンプのメンタリティには両者が共通して持っているモノがあると思う。

 

  • 例えば、「求めるところの大きさ」「執着するところの大きさ」という点において、両者は意外と似てるんじゃないか。求める理想、追いかけるべき野心、といったものに関して、両者は現状以上のものを常に抱いているようにみえる。マッチョの場合は「自分で切り取るべき野心」、ウィンプの場合は「社会が到達するべき理想だったり」「自分が本来あるべきと思っている理想」といった具合に。マッチョ/ウィンプは、夢とエゴパワーの強い人達のようにみえる。ただ、求めるもの・執着するものに対して、どうアプローチするかは違ってる。けど、野心や理想への渇望という点では、両者はどちらも飢えた獣のようだ。
    • 念のため釘を刺しておくと、ウィンプ的な人が社会に期待しているのは些細なもの、のようにみえて意外と高水準のような気がする。かくあるべきと思っているウィンプの人達の理想を叶えるとしたら、企業はまともに立ち回っていけるのか、という疑問を自分はぬぐえない。ウィンプ的言及のなかには、リソース配分とかシステム再構成とかを度外視したものが多く含まれるようにみえる。

 

  • マッチョの場合、自分の才覚が通用する範囲を見極めながら、自力で目指すアチーブメントにむかって突き進む。その為に能力や人脈も涵養していくし、政治的に最適化された言葉を紡いでもいく。一方ウィンプは、自分じゃ無理だと諦めてアチーブメントには向かわないけれども、社会は駄目だ、みんな僕のことを分かってくれない、などとルサンチマンする。

 

  • しかし、ウィンプが無念さを呟かずにはいられないということからも分かるように、気持ちのうえでは色々と諦めきっていない(諦めてたら、わざわざ言及しない!)。理想はある、目指すべきアチーブメントもある。でも、現状の彼は何もしない(と思っている)し、自分の力ではどうしようもない(と思っている)。望ましい結果、あるべきと本人が思っている結果が天から振ってくれば良いなとは思っている。

 

  • 一方、マッチョもマッチョで、ウィンプ言説に苛立ってついつい言及せずにはいられない。しかし何故マッチョは苛立つのか?何故マッチョはウィンプに(飛びかかるように)言及しちゃうのか?
    • ホントはマッチョだって、何も努力しないでおっぱいが空から降ってくればいいと願望してると思う。自分でやるしかないから鉄火場や危ない勝負も乗り切った。だけどマッチョだって本当は、ただ空を見上げておっぱいが降ってくるのを待っていたいという気持ちを隠し持っているんじゃないか。だけどそんな事夢みてたらマッチョは生きていけない。だから、自分のなかで普段抑圧している“空からおっぱい願望”を、ウィンプに投影・外在化してるんじゃないか。自分のなかにある、ウィンプな“空からおっぱい願望”と、マッチョとしての日常の齟齬に苛立って、ウィンプをみた時に「俺はあんな奴らとは違う」と投影してみせないと、ウィンプな願望とマッチョな現実との間で折り合いがつきにくくなるんじゃないか*1。マッチョの過剰言及には、防衛機制によって駆動されている部分があるのではないか?

 

  • ウィンプもウィンプで、本当は自分の足で開拓したい・自分の人生をもう一度ロシアンルーレットにbetしたいという思いは隠し持っている。けれども自分に自信を失っているし、ロシアンルーレットはとても恐い。だから、マッチョのあけすけな発言をみていると、苛々するんじゃないか。普段抑圧を余儀なくされているマッチョな願望に直面させられ、だけどウィンプ的な自分の現実とのギャップに苛立つからこそ、殊更にマッチョに噛み付いて「マッチョの手法は受け入れられない」いう風に、自分の願望を外在化しなければやってられないんじゃないか。ウィンプが自分のなかに潜むマッチョな願望を受け入れる時、マッチョ的な手法や能力や鉄火場も必要だということにも直面しなければならない。でも気づいてしまうと、現実の自分自身と願望とのギャップに葛藤が生じてしまう。だから、マッチョの言説をみた時に、なるべく距離をとるような、自分のなかのマッチョを外在化するようなリアクションが、防衛的反応が必要になるのでは?

 

  • だからマッチョとウィンプは、現状よりも大きな夢や願いを抱く者同士の、近親憎悪(関係)なんじゃないか。マッチョは“空からおっぱい願望”をウィンプに投影・外在化し、ウィンプは“自分の足で開拓願望”をマッチョに投影・外在化することで、お互いに自分の今の処世術とのコンフリクトを避けているのではないか。

 

  • この近親憎悪の構図は、理想論を説く非モテ非コミュ論者/自力本願な脱オタ系論者の間でも観察されるものだと思う。基本的には脱オタ側の人間は、自力本願の路線。一方、非モテ・非コミュの全部ではないけれども多くは、自力本願ではない。こんな社会は間違っているとか、自分達は不幸だと嘆いてみせることはあっても、自分で手を動かすことは無い。動くべきとみなすものが、まず当人個人か、社会や集団か、という点で両者は正反対。

 

  • でも、脱オタ側だって、本当は痛い目みながら匍匐前進なんてしたくない。空から美少女が降って来たらいいなと思ってるけど、それを抑圧しながら匍匐前進している。脱オタな人が非モテの言説をみていると、匍匐前進してた時に必死に堪えていた、抑圧してきた自分自身の願望がみえてしまって、脱オタな処世術とコンフリクトを起こすのでは。自分のなかにある「空から美少女が降って来ればいいのになぁ」という甘い願望を、必死に投影・外在化しないと彼らは気持ちが折れてしまうんだと推測する。

 

  • 認められたい・活躍したい・女の子とキャッキャしていたい。そういう願望は、ウィンプ/マッチョも、非モテ/脱オタも大して変わらない。けれども自分の処世術を選択するにあたって、正反対の処世術をみると、自分が敢えて選ばなかった選択肢がウズいて、辛くなってしまう。だからこそ、似た願望は持っていても正反対の選択肢を選んだ相手を視たときに、イライラするんじゃないか。だから、お互いに言及せずにはいられないのではないか、と感じるが如何。

 

前半質疑応答

 
・「自意識過剰」「自己承認」「自己愛」「自分さがし」のような表現における「自」という言葉の、意味の使い分けを教えて欲しい。ここら辺の「自」の使われ方は、意味がブレやすくなっているのではないか?
 →大変難しい質問。例えば「自己」「自我」といった言葉ひとつとっても、使われ方は人によって様々。精神医学や心理学の偉い人でさえ、個々によってニュアンスが微妙に違ったり、わざわざ「俺の言う自己とは」みたいに説明づけたりしている。なかには、敢えて説明づけを避ける人も存在するぐらい。ただ、(主語が省略されることの多い・主格が誰なのかが不鮮明になりやすい)日本語においては「自」というニュアンスが何を指すのかは、文脈によってかなり左右されるものだとは思う。日本語のなかで「自」「他」を明確に区別して取り扱うことは、かなり難しく、修練の要る作業だと思う。この質問には今のp_shirokumaは充分に応えきれない。今後の課題として記憶しておきます。
 
・「あのー」という発言が多くて目立った。
 →すいません!(今後も減るように努めていきます)
 
・くやしいっでもスルーできないっと言う心理、「自分が選んだ<生き方の選択>は本当にこれで良いのだろうか?」ifというテーマは世の中の殆どの人が思っているんじゃないか
 →まったくその通りだと思います。一つの人生のなかで選べる処世術や生き方はそんなに沢山あるわけじゃないし、正反対の処世術に含まれる願望は諦めるしかない。だとすれば、マッチョ/ウィンプの近親憎悪にもあるように、自分と同じ願望を、異なる経路で備給しようとする経路を齟齬なく諦める為に、ある種の抑圧と投影の構図が必要になってくることがあるのではないか、と思います。
 
 



 
 
【後半パート】:僕がみた笑顔について----非モテの顔がぱぁっと明るくなった瞬間を考える
 

  • これまで僕は、いろんなところで非モテ・非コミュな人達と出会って会話してきた。そのなかには、ウィンプ的な境遇にある人も多々含まれていたと思う。例えばだけど、はてなの非モテオフ会なんかでは、コミュニケーションに困難を感じている人達に出会うことが出来たと思う。

 

  • ところが、「非モテだの非コミュだの言って書き散らしている人は陰気な奴らなんじゃないか」と思いきや、オフ会で出会う彼らは、水を得た魚のように生き生きしていた。目が輝いている!どれほど不遇を嘆いている人でも、実際にコミュニケーションのなかで、ひとかどの人物として認めるべきを認めた時には、やっぱり目が輝くし、いい笑顔をみせてくれる。何度かオフ会で逢っているうちにすっかりうち解けて、リラックスしたムードのなかでまた逢うことが出来る。オタク関連のオフ会なんかで、話題や意見を共有した時の笑顔も同様。一体感・連帯感、といったものに際して、僕なんかも気持ちがとても弾むし、ああ、楽しかったなぁ、また逢いたいなぁって思える。
    • 種々のオフ会などが笑顔を全員に保証してくれるわけではないけれど、もしそういう時間が持てたなら、大抵の人はやっぱり嬉しい。僕らはそういうものを、コミュニケーションに期待してるんじゃないか。

 

  • 面と向かったコミュニケーションじゃなくても、承認欲求や所属欲求を満たした人が“ぱぁっと明るくなる瞬間”というのは観察可能。例えば、ブロガー同士のやりとりが成功裏に進んだ直後や、肯定的ブックマークを沢山集めた直後のブログにおいて、みなぎる調子の良さ・元気さが、透けて観察できることがある(ex.「大きな反響」とか「皆さんの注目を集めて」とか、思わず表現がでっかくなっちゃうことって、ありませんか)。「俺は認められない」「俺は抑圧されている」と普段主張している人達でも、承認欲求や所属欲求をゲットした時には、凄くみなぎる感じがある。

 

  • 承認欲求/所属欲求が、人が生きていくうえでどれぐらい必要なのかは今回掘り下げない。しかし、コミュニケーションのなかで承認されたりみんなと一体感を得た時に、凄いエネルギーを貰えるのは確か。貰ったエネルギーの燃費の善し悪しや備蓄量の個人差はあるけれど、大抵の人は、承認や所属の感覚を通して馬力を獲得できるんじゃないかと思う。マッチョと呼ばれる人だって、心理的に一人屹立しているわけではない。プロジェクトのなかでいっぱしの一人として役割を任されたり、「あなたが頑張ってくれればきっと大丈夫だ」といった一言なんかから、馬力を分けて貰いながら、立っている。マッチョな人は、そういうものを沢山貰ったうえでラクダのこぶのように蓄積させて、鉄火場を乗り切っているんじゃないか。その点、マッチョは、単にポジティブなだけの人達でもなければ、承認される為の能力に特別秀でるだけの人達でも無いような気がする。承認欲求の燃費が悪くて常にチヤホヤされてなきゃ保たないようでは、マッチョとして普通はサバイブ出来ないと思う。マッチョと呼び得る人の多くは、承認や所属の欲求をかき集める能力だけじゃなく、蓄積させて保持する能力も高めではないかと推測。そしてこれは、ウィンプや非モテに欠けている可能性の高い能力といえる。

 

  • ともあれ、いっぱしの人物としてみられること・集団や組織やオフ会なんかで連帯感や共感を得ること、は、金銭とか体力とはまた違った、メンタルな部分で人間の駆動力になっている。その点に関する限りは、マッチョ/ウィンプも脱オタ/非モテも、この点ではさして変わらない。燃費の善し悪し・集める能力の優劣・自力本願か他力本願か*2は、人それぞれにせよ、承認欲求・所属欲求をゲットした時の喜びや、非モテオフ会とかでみかけたぱぁっとした輝くような笑顔は絶対に偽物ではない、と自分は思う。で、マッチョもウィンプも脱オタも非モテも、そういう承認や所属の体験を通して、馬力を得ている・得たいと願っているのは共通していると思う。この辺り、皆さんはどう思われますか。

 

後半質疑応答

 
・男性向けの話しか無いのでマッチョとウィンプということでは無くて片側のジェンダーの話をしているようにしか聞こえないのが難かと。
 →残念ながら、仰る通りだと思います。自分は女性ではないので、女性側のこうした問題についてあまり詳しくありません。なので、ネトラジに限らず、p_shirokumaは女性側の視点について敢えて触れないように努めています。わかりもしないのに、わかったようなことを書いてしまいそうなので、女性側のこういう問題を、女性のほうで議論してくれると嬉しいなぁと願っています。
 
・ゼロアカ道場*3に集まってしまう自意識についてコメントを。
 →いや、いいんじゃないでしょうか。承認の機会を拾えるなら、それで良いと思います。
・でも、批評してもらうわけじゃなくて、最終点は批評家デビューですよ。そしてはてな率が異常に高いという…。
 →あはは、はてな率高いんですか。でも、ゼロアカ道場のようなものに群がったって、まぁいいと思うんです。それって、はてなダイアリーで「ボクをみてみてー」と記事を垂れ流すのとたいして変わらんのでは?
 



 端折り気味ですが、大筋としては以上のような感じでした。第四回は5月中〜下旬ごろに放送する予定です。ご静聴ありがとうございました。
 

*1:もちろんこれは病的ではない、ごく健康的な範囲の反応だと断っておきます。

*2:はたまた防衛しちゃうのか

*3:アドレス→http://d.hatena.ne.jp/knagano/20080302/1204481204