シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

国道沿いの民、についての雑感。

 
 半分冗談、半分本気、な、国道沿いの民についての雑感メモ。
 

  • 国道沿いで暮らすにあたり、文学や哲学のストイックな追求は必要ではないし、「実用的」ではない。それよりも、「萌え」に類するような、諸記号に対するシミュラークルの消費様式のほうが要り用といえる。難解な文学や哲学だって記号として消費するのが国道の民にありがちな現象で、 記号と鏡と自己陶酔、そして差異化ゲームの枠から、国道沿いの民は逃れられない。しかし逃れるまでもなく、包み込まれてもいる、幸福、に、酔いしれることが常に許容されてもいる。*1
  • その点で、“Fateは文学”“クラナドは人生”といった訓練されたオタの所作というのは、国道の民として優れて適応的、と言える。また或いは、ふわふわのファーや改造マジェスタに的確に陶酔可能な人達(オタクはしばしば、近親嫌悪的にこの人達をDQNと呼ぶ)も、優れて適応的と言える。「うぐぅ」で「にぱ〜☆」な夢の国に遊ぶオタと、ワゴンRを改装して自分のセカイを構築できるDQNこそが、国道沿いで、苛立ちの無い境地への最短ルートを突き進む。
  • 単音のオルゴールのメロディにまで記号化されてしまったサザンオールスターズに酔いしれることも、I'veの純粋培養的ボーカルソングを自分の願望色に染めながら聴き込むのも、どちらも「実用的」な営為だ。記号に解体された音楽を用いて自己陶酔に耽ることで、気分の良い刹那へ。アーティストへの接近やら音楽性やらは、テレビに出てくる人に教えてもらえば良い。記号を駆使して、自分自身の願望に酔いしれるのに皆忙しい。
  • 国道には誰もが存在するのに、自分以外には誰とも遭遇しない。記号化されたキャラクター*2や、イージーリスニング等々の記号にまとめあげられてしまった音楽には、常に遭遇するのだが。イトーヨーカドーの生鮮食品売り場を流れるBGMのような、そういうコミュニケーションと文化が果てしなく広がる空間で、お互いの相違の把握も、細やかな他者性との遭遇も、歴史的経緯も、すべてが忘れられる。国道沿線では、それらはどのみち省みられる必要のないものだ。
  • ブックオフには、難読書は売っていない。難読書の、記号が売られている。勿論これは消費には十分「実用的」なガジェットだ。それを僕は買って、本棚に飾っておくことが出来る。吉祥寺の友達が薦めてくれた“哲学書”も、僕が手にした瞬間に金メッキのニセモノに成り果てる。しかし、そんな金メッキの記号でも、ガジェットとしては「実用的」だし、栄養として摂取することも可能だ。ブックオフで見かける“哲学書”は、中性脂肪に富んでいる。だからゆるふわ牛乳プリンと等価なぐらいには“おいしい”。
  • 「おっぱいが無いなら、エロゲーをやればいいじゃない」。国道沿いで良いおっぱい/悪いおっぱいに遭遇することはもはや困難だが、エロゲー的・携帯小説的な出会い・暫しの勘違い・別れ ならば、今でも見つけることが出来るかもしれない(どうせどれもコンテンツなのさ!)。いや、そんな暫しの出会い・勘違い・別れすら不要で、エロゲーや携帯小説や“冬のソナタ”があれば十分、という声も聞こえてくるのが、当世国道事情。辛い夜を乗り越えるのに「うぐぅ」な抱き枕さえあれば何とかなるという人というのは、絶対いますよ。
  • 以上を確認したぐらいで深刻なシニシズムを危惧する人の正体は、国道に訓化されきっていないヌルオタか、状況を把握することと「実用性」を混同している似非サブカルだ!----そうでなければ“うそつき”だ!!勝手に萌えて、勝手に感動して、勝手に殖えて、勝手に絶望を嗜む我ら、国道の民。『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンに同一化してみせる程度には、メタに構えてみせるその仕草すらベタで「実用的」な彼らに、深刻なシニシズムという言葉はまったく似合わない。シニシズムさえ「実用的」に消費する度し難さで、誇らしげにいこう。
  • Tシャツにプリントされた天使の翼の如く、国道沿いではすべてがまやかしごとで、だけれどすべてが最高に「実用的」と言える。“あたしは衆生の憧れを受けて大空を翔ける真白き鳥だ”*3。Tシャツにプリントされた天使の翼は、着る者の心を空高く舞い上がらせる。揚力が得られないのは、訓練が足りないからだ。助走をつけて、キミもソラを翔けろ。

 
 

 夕暮れのブックオフに出かける準備をしながら、以上のようなことを無反省に考えていた。
 「それこそ、シロクマさんの願望と執着が創りだした、虚像ですね。くだらない」
 「実用的」であれば、虚像か実像かは、どっちでもいいです。
 じゃ、ブックオフに行ってきます。
 あそこには、いいものが売られていますから。
 

*1:追記:ただし、文学や哲学をストイックに追求する、という所作そのものは「実用的」なので、その所作自体は一定のニーズがあることは断っておく。

*2:正確には、「記号化されたキャラクターとしてしか遭遇を許容しないような、情報量の低い他者が、記号で継ぎ接ぎされたキャラクターとして現れたそのイメージが」とでも書くべきか?

*3:参考:http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061210#p1