シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

オタクの願望と想像力の度し難さを、少々侮っていませんか?

 
渚のフェイクとすら呼べん代物だ。 - Something Orange
 
 うーん、id:kaienさんは勿体無いことを仰る。システム周りに問題が少なく、尚且つ3D描写されるキャラクターがあまりにお粗末なものでない限りでは、『ai sp@ce』は、十分に堪能可能なコンテンツとして開花する可能性を秘めていると思いますよ。
 
 確かに、CLANNADなどは、原作はストーリー展開を楽しむ作品でしたし、だから「CLANNADは人生」という言葉も生まれてきたのでしょう。そして、この『ai sp@ce』のなかでCLANNADならではの重厚なストーリーを堪能するのは、無理だというのも分かります。でも、それをネトゲ的な二次作品に求めるってのが、そもそもおかしいと思いますし、ネトゲ的な二次作品のなかでキャラクターが一人歩きして、異なる形態で消費されることに苛立つ理由も無いわけで、「フェイクとすら呼べん代物」などと断じる必要は、無いと思うんです。
 
 第一に、キャラクターというものは、作品の内側で、ストーリーの内側でしか楽しめないものでしょうか?違いますよね?萌えキャラクター・美少女コンテンツは、それが月姫やリトバスのようなストーリーを重視した作品であっても、本編のストーリーとは別個に一人歩きし、二次創作されるのが常でしたし、今では版元が二次創作するのも極普通の光景になっているわけです。大抵のオタであれば、本編における消費のされ方も、パロディや二次創作作品のなかでの消費のされ方も、並列的に楽しむことが出来ることでしょう。むろん、個人的に気に入らないパロディや二次創作作品に対して「フェイクとすら呼べん代物」とダメ出し事は僕にだってありますし、数あるパロディや二次創作作品のなかでどれを選ぶのかは個人の自由だと思います。しかし、二次創作の世界が本編のストーリーを超えてしばしば多様化し、時には重要な作品を輩出するように*1本作も、重要なパロディ・二次創作作品に発展する可能性は十分に有り得る筈です。それぞれのゲームのワールド・キャラクター傾向を二次創作し損なわない限りにおいては、『ai sp@ce』が重要な作品に化ける可能性は、今はまだあると思います。
 
 第二に、そもそもオタクという生き物が「キャラ」を消費する時、何をみて何を消費しているのでしょうか。エロゲーやギャルゲーにおいては、ストーリーを堪能するという部分は確かにあるはあるけれども、昨今のオタは、それと同時にキャラクター単体であっても、「萌えるフック」となり得る属性なり何なりが揃っていればキャラクターに「萌える」ことが出来ます。ストーリー先にありき、とkaienさんは仰るかもしれないし、僕も割と最近まではそう思っていたのですが、もしかすると「萌えキャラ先にありき」なのではないか。萌えキャラクターという「スカスカの記号の断片群」に自らの想像力と願望をふりかけた“自分の願望に最適化された俺のなかのキャラクター*2”を消費するのが先立っていて、ストーリーは、そのお膳立てをする為の舞台装置としての役割を担っているのではないか、と思うのです。いや、「ストーリーだけ堪能」なエロゲー・ギャルゲーの消費の仕方をする人も、なかにはあるかもしれない。ですが、キャラクターというものの一人歩きに慣れ親しんでいるオタクにおいて・自らの想像力と願望に合致した二次創作やパロディなら高い金を出してでも買っちゃうようなオタクにおいては、「キャラ」を消費する時、生のキャラそのものを楽しんでいるわけでも、生のストーリーを楽しんでいるわけでもなく、ストーリーでお膳立てされた「キャラに自分の想像力と願望をふりかけた脳内補完されて出来たモノ」を食らっているような気がするんですよ。で、この『ai sp@ce』は、既に十分に人気のある作品からキャラクターや世界を輸入しているわけですから、そこに出てくる「キャラ」が大ハズレということは無いでしょう。キャラクターの属性、文脈、といったものが十分に整備されていれば、僕らは多少粗いポリゴンのキャラクターであっても「これは杏」「これは美夏」という風にアイデンティファイできますし、本編で与えられた属性データベースに逆らわない範囲で振舞ってくれる限りにおいては「確かに杏」「確かに美夏」と認識できます。である限りは、このようなゲームを通してプレイヤー個々は、幾らでも“自分の願望に最適化された俺のなかのキャラクター”なり“キャラクターを使った、俺好みのパロディな物語”なりを創り、拡張する機会を獲得できるではないでしょうか。だから繰り返しますが、システム周りや「ワールド内で何が出来るのか」の設定次第では、これ、化ける余地があるんじゃないでしょうか。
 
 そして第三に、与えられたキャラを個々人がいじって二次創作し、それを開花させる可能性を計算に入れなければなりません。キャラクターという属性の束が与えられさえすれば、そこからどこまでも二次創作を広げ、キャラクターを色々に挙動させる現象が、昨今のオタク界隈では多々見受けられます。ニコニコ動画で人気を博しているキャラクター達をみるにつけても、キャラクターをいじる自由度が十分に高すぎず低すぎない限りにおいては、様々に想像力を膨らませた二次創作作品が出てきて、そのなかには屈指の出来栄えの作品も含まれているわけです。仮に、自分独りの想像力では何も二次創作出来なくても、物好きな有志が色々なものをつくって楽しませてくれますし、製作者を応援することだって幾らでも出来ます。例えば『ai sp@ce』では、キャラクターを躍らせることが出来る、とのことです。これも糞な仕様なら結局どうしようもないですが、例えば、踊りの自由度が高く、踊りを躍らせる動作コードを自作して他のプレイヤーに簡単に引き渡せるような仕様だったら、けっこう夢が広がりませんか。誰かが作った踊りが流通して、中央ブロックのアキハバラで、誰かが自作した歌や踊りを使った集団パフォーマンスが始まるかもしれません。静的なゲームストーリーを楽しむのとは種類の異なる、動的な遊びに直面できるかもしれないわけです。それも、キャラクタライズされた世界で、萌えの文法の世界のもとで、です!ラグナロクオンラインのような欠陥だらけの、自由度の低いアバターゲームにおいてさえ、自発的に様々なイベントや現象が発生して、自発的に楽しまれる現象が起こっていました。であれば、この『ai sp@ce』がある程度以上の完成度でリリースされたなら、一体どうなっちゃうんでしょうか。もし、そういう空間で、自分がプレイヤーキャラとしてうろつくことが出来たら、きっと楽しいだろうな、と僕は思わずにいられません。自分の想像だにしなかったような二次創作・見世物・コミュニケーションが、展開されることもあるかもしれません。あくまで可能性の話ですが、そういう可能性に、想像を膨らませる余地は、今はあると思うんですよ。
 

ひとつ、オタの願望と想像力の度し難さに、期待しようではありませんか。

 
 オタクコンテンツに関して鋭い見識をみせるkaienさんですが、今回は、オタクがキャラクターを所有し消費する際の、願望力や想像力を、少し侮っていらっしゃるのではないかとお見受けしました。オタクは、キャラクターさえ与えられれば、そこに自分達の願望と想像力を乗っけて、幾らでも自分好みの脳内補完をやれる・二次創作をやれるぐらいには、度し難い生き物です。ストーリーと“登場人物”だけを鵜呑みにすることしか知らない人はいざ知らず、キャラクターそのものをも消費する態度を身につけた、昨今のオタクであれば、キャラクターと舞台装置さえ与えられれば、想像力を膨らまし、色々な楽しみと消費空間を生み出せる筈ですし、ニコニコ動画の各シーンが、それを証明していると思えませんか。ですから、「ストーリーから離れたキャラクター達」を懸念するよりも、今は期待感を持って出来上がりを見守りませんか。「渚のフェイクにもならん」と言って想像するのをやめてしまうのは、少なくとも今は、時期尚早だと思うんですよ。
 
 ネトゲ的な空間には、ネトゲ的な空間ならではのキャラクターの消費の仕方、物語の紡ぎ方があると僕は思います。僕はそういう楽しみを、杏や渚に関連したキャラクターのアバターをもてる空間で楽しんでみたい、他のオタの皆さんと一緒に騒いでみたい、と願望します。もちろん、キャラさえよければ良いというわけでもなく、システム周りやゲームとしての仕上がり次第では全く駄目かもしれません。だからサービス開始までは期待と不安が入り混じりますし、ここまで期待しちゃった僕は、後でがっかりするかもしれない。それでも、『ai sp@ce』が広げる(かもしれない)可能性に、今はドキドキせずにはいられないのです。
 
  

*1:この点で、今回に即した事例としては、スパロボシリーズを挙げるのが適当のような気がします

*2:誰かの言葉を借りるなら、自分の願望に最適化された二次シミュラークルに加工されたキャラクターと文脈、とでも言えば良いでしょうか